昼前に乾が「手塚が呼んでいる」といって、2階に下りていった。
別にそれはそれで構わないのだが、1人でいるのも味気ない。
そう思って柳が真田を呼び出した。
すぐに応じてやってきた所を見ると、要は真田も暇を持て余していたのだろう。
何か甘い香りがする。
真田がソファに座って雑誌を読んでいると、ふいに充満した匂いに顔を上げた。
そういえば先刻から柳がキッチンに立って何かを作っている。
視線を向ければ、丁度柳がオーブンから何かを取り出していたところだった。
「蓮二、さっきから何をしているんだ?」
「うん?ちょっと……お菓子を」
「お前がか?珍しい」
「ああ、ちょっと自己防衛をしようかと」
「どういう意味だ?」
「解らないなら構わない」
首を傾げれば柳が答えて笑みを浮かべる。
オーブンから取り出したクッキーを皿に盛ると、少し冷ます為にそのまま置いて、
そこから2枚だけ手にするとソファまでやってきた。
「ほら、弦一郎」
黒い方を口元に差し出すと、真田がそれを口の中へ入れる。
噛み砕いて飲む込むまでの様子を眺めてから、柳がやんわりと訊ねた。
「どうだ?」
「ふむ。焼き具合といい口当たりといい、申し分ないな。
だが俺の好みで言わせてもらえば、少し甘すぎる」
「ああ、それはチョコレートだからな。じゃあ、こっちはどうだ」
もう1枚、今度は茶色い方を同じようにして食べさせると、今度は真田が口元に笑みを乗せた。
「ああ、丁度良い。美味いぞ」
「そっちはコーヒーにしてみたんだ。やはり弦一郎の好みはこれか」
最初から解っていたように頷くと、真田がそれに笑みを深くする。
柳の髪に触れるように手を添わすと、ぐいと強く引き寄せた。
「ちょ…っ、」
「解ってないな、蓮二」
深く口付ける。
思う様に堪能してから唇を離すと、頬を微かに染めた柳と目が合った。
「うむ。やはりこっちの方が丁度良い甘さな上、俺の好みだ」
「・………言っていろ」
憮然とした表情で呟くと柳はソファから離れ、冷ましていたクッキーを丁寧にラッピングする。
出来上がったクッキーの詰まった包みは2つ。
残りは皿ごとダイニングのテーブルの上へ。
「こっちは食べても良いぞ」
「…その包みは誰かにやるのか?
忍足の誕生日は2週間前に終わっているし…違うか」
「ああ、その内解るから」
「なに?」
「そろそろ来る頃だ」
言葉と同時にインターホンが鳴った。
「……全く、お前の先読みはどうなっているんだ」
「凄いだろう弦一郎、見直したか?」
「恐れ入るを通り越して、恐怖を感じるな」
「失礼な奴だ」
「良いから、早く出てやれ」
「ああ」
頷いて席を立つ柳の背を見送って、顔は笑みが滲み出てしまって。
こんな緩んだ表情など、他の奴らには絶対に見せられない。
見直した?それどころか。
「……惚れ直したぞ、蓮二」
口内にはまだ、クッキーの甘さが残っていた。
ドアを開ければ、予想通り仮装したお子様(精神年齢が)が立っていた。
「………1人多いな」
これは予想外だと、驚きを顕にした蓮二が言葉を漏らす。
イベント事の大好きな千石と向日が、今日という日を逃す筈が無い。
必ず何らかのアクションを出してくる筈。
そして、ハロウィン特有の呪文。お菓子か悪戯か。回避するためには?
結論など、ひとつしかない。
被り物をしているが、前髪がしっかり出ているオレンジ頭は千石に違いない。
とんがり帽子を被って顔にペイントを施しているが、ピンクがかったおかっぱ頭は
間違いなく向日だ。
だが、その後ろに立つ不思議な黒ずくめは……。
「誰だ?」
「それはナイショだぜ、柳」
「……ふむ。まぁ良いだろう。
お前達が来る事は解っていたからな」
「じゃあ、」
千石と向日が顔を見合わせ声を上げた。
『トリック オア トリート!?』
元気良く叫ぶ2人がどこか愛らしくて、口元を綻ばせて柳は3人を部屋の中へと
招き入れた。
中には忍足の情報通り、ソファに陣取った真田が居て。
その真田が柳の連れてきた仮装軍団に目を遣り、驚きを顕にした。
「なんだ、お前達その格好は……」
「なんだじゃねェよー。ハロウィン知らねーの?真田」
「ああ、あの南瓜祭りか」
「うはー、真田ソレじゃ駄目だろー。大体、南瓜祭りって何だよ」
呆れたような千石の言葉にも、真田が不思議な表情を見せて。
「何って…今日は至る所で南瓜の人形を見るから」
「まぁ良いじゃないか2人共。弦一郎だから」
「……そだな、真田だしな」
「うんうん、柳ってば的確な表現だ」
「何だか酷く馬鹿にされていないか、俺は」
憮然と言葉を吐く真田に、何を今更という視線を向けて柳はため息を落とした。
キッチンのテーブルに置いてあったクッキーの包みを取り上げて、千石と向日に手渡すと
柳は困ったように黒ずくめを見る。
「てっきり千石と向日の2人で来ると思っていたから、君の分が無いんだが……」
そう言うと、言葉を発する事無く黒ずくめが小首を傾げた。
声も出さず全身黒い布で覆っていておまけに仮面までされていれば、さすがの柳も
この中身が何者なのか判断ができない。
いつものメンバーの誰かだろうという予測はあっても、このお子様2人を除けば
それぞれが等しく確率を持っているからだ。
そんな、探るような視線を黒ずくめに送っていると、千石と向日が顔を見合わせた。
「ありゃ、1人分足りないのかー……どうする?」
「罰ゲーム?」
「悪戯。しちゃう?」
「そうだなー……でも、柳は俺達にくれたからなー」
2人でそんな相談を交わしていると、向日の肩をとんとんと黒ずくめが叩いた。
「ん?何??」
それに後ろを振り返ると、黒ずくめは真田を指差した。
向日の胸の内に悪戯心がムクムクと湧き出す。
「なるほどねェ。一蓮托生ですから?」
ふふふと意味深な笑みを浮かべると、千石は白い袋の口を緩めて中を漁る。
どれどれと一緒になって柳も覗くが、こっちは単なる興味だろう。
柳も自分に害が無いとわかれば、割と淡白になってみたりするので、
きっとこれから真田にどんな悪戯をされようとも、笑って見ているだろう。
薄情と言うなかれ。それが柳蓮二だ。
「さて、じゃあお菓子貰えなかったカワイソウなカオナシ君に選ばせてあげるよ。
どれが良い?」
デジカメを取り出してモードを確認しながら千石がそう告げると、黒ずくめが
ゴソゴソと袋の中を掻き回して……あるひとつのもので手を止めた。
「うっわ……お前、えげつないなァ」
覗いていた向日が言葉を漏らすと、黒ずくめは僅かに肩を震わせた。
どうやら笑っているらしい。
柳の口元にも、笑みが宿る。
真田がどう出るかが、まず見物だ。
「千石〜、こんなのどうよ?」
「うわぁ。また趣味丸出しじゃないか。ま、面白いから良いけどね。
写真も撮り甲斐があるよー」
くすくすと笑みを浮かべて千石が言った。
さて、ここまでは全て小声で会話をしている。
キッチンと、ソファのあるダイニングは少し距離があって、そこにいる真田には
この会話は全く聞き取れていない。
だがあまり良い予感はしていないのだろう、訝しげな視線を向けている。
そんな中を突如、仮装軍団が真田の方を向いた。
これはもう、どう考えてもターゲットが自分に移った証拠であって。
「な……なんなんだお前達……」
思わずソファから立ち上がって、一歩、後ずさった。
「はぁい、罰ゲーム開始ー」
「な、なんだ、その罰ゲームとか言うのは……」
「ああ、すまない弦一郎。用意したお菓子が1人分足りなくてな」
千石の言葉に恐る恐る真田が問えば、しれっとした柳の返事。
それに冗談ではないと表情を歪めたのは、当然の事。
「足りなかったのは蓮二の責任だろう!どうして俺が、」
「そうか……弦一郎は俺に、この仮装軍団に悪戯されろと」
「う。」
それはそれで嫌だ。でも自分がその被害を被るのも嫌だ。
そもそも、向日が持っているアレはなんだ。
そして千石の持つカメラもかなり嫌な予感がする。
「あ、なに真田、ひょっとしてこれも知らねーの?」
「知らない事は無いが……向日はそれをどうするつもりだ」
「え?モチ真田に被ってもらいまーす」
へっへっへと笑いながら言う向日の手にあるのは、パーティーグッズの定番な被り物。
「ふふふふふふ、ハゲヅラな真田もあんまりお目にはかかれないよねー」
「じょ、冗談ではない!!」
じり、と詰め寄ってくる仮装軍団に一定の距離を取りながら、真田が慌てて声を上げた。
「誰がそんな情けない格好を…!!」
「それが罰ゲームだもんなー」
「ならば…できるものならやってみるが良い。向日でこの俺が捕えられるならな」
「う……ヤなトコ突くなー、お前」
まず真正面から攻めれば、真田は逃げるだろう。下手をすれば返り討ちだ。
そうならないためにも、先に真田を捕えて動きを封じなければならないが、
向日と真田では体格に差がありすぎる。
頭の中で作戦を練っていると、隣でずいと黒ずくめが動いた。
それはふらりと真田の真正面に立つ。
先刻から一言も発していないその黒ずくめに、真田が眉を顰めた。
「何だ貴様」
「………。」
「何とか言わんか」
「………。」
「ならばその仮面を外してもらおう」
やはり何も言わない黒ずくめに、真田がすいと手を伸ばす。
その腕を、黒ずくめが捕えた。
「……む、何だ……?」
振り払おうとしたが、びくともしない。
訝しげに見る真田の腕を、ぐいと捻り上げる。
「……っな……!?」
完全に油断していたのだろう、真田の反応が一瞬遅れた。
早い動きで黒ずくめは真田の背後に回り込むと、その手を脇の下から回し、
そのまま羽交い絞めにされた状態の真田が、首を向けて黒ずくめに視線を向けた。
随分手馴れた動きは、護身術のものだろう。
こんな間抜けな手に引っかかったとあれば、真田弦一郎の名が廃る。
そう思って何とか抜け出そうと身を捩るが、自分と似た背丈の男を振り払うのは
安易な事ではない。
「……貴様、何者だ……!?」
舌打ちを漏らしながらそう問えば、真田の耳元でくすくすと笑みを零した黒ずくめが
こそりと小さく呟いた。
「往生せェや、真田弦一郎」
「………!!っまさか……」
思わず唖然とした真田が、今回の敗者だ。
ぽかんとした表情のままで視線を向けていた真田の傍に向日が近寄ると、
えいっと掛け声を上げながら、持っていたものを被せる。
その真田が我に返る、その前に。
「よっしゃ、千石バッチリだぜ!!」
「決定的瞬間、いっただきぃっ!!」
部屋の中に、盛大にフラッシュが焚かれた。
「ハゲヅラ真田ゲットー!!」
わははははと大きく笑い声を上げながら、千石がデジカメを手に笑う。
写し出されている画像を覗き込んで、再び向日がプ、と含み笑いを零した。
漸く腕を解放された真田は、もう怒る気力を無くしたのか、どかりと床に座り込んで、
頭に被せられたものを忌々しそうに剥ぎ取ると、床に叩きつけるように投げ捨てた。
怒鳴り出さない真田に珍しく相当ご立腹なんだなと、柳が珍しそうに片眉を上げてみせる。
黒ずくめは慰めるかのようにポンポンと軽く真田の頭を撫でるように叩くと、またふらりと
キッチンまで戻ってくる。
ぽいぽいと手際よくカメラやお菓子を袋に放り込むと、千石の耳元で黒ずくめは言った。
「そろそろ撤収せんと、マジで真田のカミナリが落ちんで?」
「だねー、よし、他にも回らないとなトコロもあるし、撤収しようか」
向日もそれに頷くと、もう一度写真を眺めて笑いながら玄関に駆けて行く。
袋を持った千石が次に続いて、最後に黒ずくめが柳の方に目を向けた。
「結局、君は誰なんだ?」
柳の問いに黒ずくめは答える事無く、軽く手を振ると黒ずくめが踵を返す。
それに柳はそれ以上問いを投げることはなく、軽く手を振り返して見送るしか無くて、
もしかしたら真田なら知っているのではないかと思い至ると、柳は真田の傍まで
歩みを進めた。
「災難だったな、弦一郎」
「………助けなかっただろう、蓮二」
「ふふ、すまない。なかなか面白かったものでな。
ああ…それで弦一郎、お前はあの仮面の正体、解ったか?」
「…………まぁ、な。」
と、おもむろに真田は携帯を取り出すと、メールを打ち始める。
それを不思議に思った柳が、小さく小首を傾げた。
「何をしているのだ、弦一郎?」
「………フン」
送信してしまってから、真田が携帯をソファの上に投げて。
うん、と大きく伸びをするとそのまま床に大きく倒れ込んだ。
「悪戯小僧達の保護者に、苦情をな」
微かに口を歪めそう吐き捨てるように言った真田に、漸く柳が全ての事情を察知した。
⇒205号室に行ってみよう。
⇒堪能したから大トリ行くぜ!!
※本当は忍足は真田にハゲヅラだけじゃなくてハラマキもして欲しかったらしい。
要するに加トちゃんスタイルが拝みたかったらしい。
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