さて、こちらは千石と手塚が生活を送る、205号室。
そこの主の片割れである千石清純は、午前中から何処かへ行ってしまって姿を見せない。
何処へ行ってしまったのか、その段階では手塚が知る筈もない。
暫くは一人静かに過ごしていたが、やはりふいに訪れた静寂には勝てなかったのか、
仕方無しに手塚は携帯を手に取った。
そしてメールは1つ上の階に住処を持つ乾の元へとやってくる。
基本的に余計な話を送ってこない手塚からの今回のメールは、『暇だ。』の一言だけ。
遊んで欲しいなら欲しいで、傍にいて欲しいなら欲しいで、それぐらい書けば良いのに
手塚はそれすらも省略する。
いくらなんでも味気無さすぎやしないかと思ったが、仕方なく乾は腰を上げた。
同室者である柳に「手塚が呼んでる」と声をかけてから、軽い足取りで階段を下りる。
向こうから呼んだのだから、とインターホンを押すことも声をかける事も省略して
ドアノブに手をかけた。
それから、3時間。
丁度昼時だったという事もあり、共に昼食を取ってTVを見たりしながら
何気ない話をして。
そうやってダイニングに隣接するリビングの床でゴロゴロしていたら、
いつの間にか眠ってしまったらしい。
ベランダの窓から差し込む柔らかい日差しのおかげもあり、快眠したと言って良い。
目が覚めたのは乾の方で、原因はインターホンの音だった。
乾の身体を抱き締めながら眠る手塚は、それでもまだ起きる気配を見せない。
というか、腕が背中に回されているから、乾自身も動けない。
しょうがなく、手塚の耳元で声をかけてみた。
「手塚、誰か来たみたいだ」
「…………ん、」
小さく声を漏らした手塚は、それでもこの陽だまりで眠る今の方が大事らしく、
目を開ける素振りは無い。
というよりは、起きているのかどうかも甚だ怪しい。
だが回された腕が緩んだという事は、そういう事なのだろう。
「………俺に行けっていう事か、」
律儀に見えて意外と横着。使える者は使える時に気兼ねなく使う。
手塚国光がそんな人間だと知ったのは、こんな関係になってからだ。
仕方無く吐息を零して、乾は手塚の腕を退けると立ち上がった。
『トリック オア トリート!?』
玄関の扉を開けた瞬間にそんな言葉を投げかけられたら、誰だって躊躇する。
おまけに、目の前に立つ3人は何だかよく解らない仮装までしている。
この状況を一体どうしろと?
「ええと……とにかく、何がどうなってるのか説明してくれないか」
「今日は何の日か知ってるかい?乾??」
「その声……千石だな」
被り物をしていて顔は解らないのに、声だけで瞬時に言い当てられる乾は流石だと言うべきだろう。
「今日は何日かなー?」
「………そういう事か」
漸く事態を飲み込めた乾が、困ったような吐息をつく。
ハロウィンに何をするかぐらいは、乾にだって知識はあった。
それを実践する輩が存在した…というのは予測の範囲外だったのだが。
「で、お菓子はくれるのかい、乾?」
「うーん……持ち合わせがない、というのが正直なところだな。
それ以前に此処は俺の部屋でもない。お菓子をあげたくても、あげられる環境じゃない」
「なるほど……正論やな」
「忍足まで居るのか。意外だな」
「う……それは言わんとってや。俺かてめちゃめちゃ恥ずかしいねんから」
「じゃあ、この部屋の主ならどーだよ?手塚は?」
「ああ、手塚なら……」
玄関口でワイワイと言葉を交わしていても、一向に出てくる気配も無ければ声も聞こえない。
という事は。
「ぐっすり寝てる、かな」
「じゃあ、手塚で決まりだねー」
面白い事になるよ、と妙に弾んだ口調で言うと、千石は室内に踏み込んだ。
ソファに座らず、リビングの絨毯の上で寝そべる手塚は、未だ目覚める様子は無かった。
今日は季節的なものを考えると、とても暖かい日で、昼寝にはもってこい。
何も予定の無い者達は、きっと皆惰眠を貪る事だろう。
そんな、気持ちの良い、日。
が。
「はぁい、罰ゲーム開始ー」
うきうきと向日が自分の持っていた袋の口を開ける。
どれを使おうかな、と千石と顔寄せ合って話し合う。
「パーティーグッズか……やるな。ハンズで買ったのか」
「あっはっは、どう乾?愉快でしょ??」
気になったのか一緒になって覗いていた乾が、何故か納得したように頷いている。
まずは千石がデジタルカメラを取り出す。
次に向日が悪戯アイテムを取り出そうとして……はた、と気がついたように手を止めた。
「あ、そうだそうだ忘れるトコロだった。
ジローみたいに居眠りぶっこいてる人には、まずはコレからな」
そうして取り出したのは、1本のペン。
仮面で表情は解らないが、忍足が気付いたように焦った声を上げる。
「あ、アホっ!!お前それジローやったから笑い話で済んだんやろがっ!!
跡部にやってどつき回されたん、もう忘れたんかっ!?」
「大丈夫だってば。心配いらねーよ侑士」
ペンのキャップを外すと、楽しそうに向日は静かな足取りで手塚に近づいた。
そして、眠る手塚の額に。
『肉』
「………っ!!!」
思わず吹き出しそうになって、乾が慌てて口元を抑える。
視線を向ければ、今まで制止していた忍足も笑っているようで、仮面の下から
くぐもった笑い声が聞こえていた。
「くくく……向日ってばサイコー……!!」
忍び笑いを漏らしながら千石が親指を立ててみせると、同じく口元に笑みを乗せた
向日がまた足音を忍ばせて戻ってくる。
次は、何をしたものか。
「あ、なあなあ、こんなんどないや?」
面白アイテムから一品を選んだ忍足が、袋の中からそれを取り出す。
瞬間。
「ゆ、侑士……!!お前って意外とえげつないことするじゃんか」
声を漏らさないように気をつけながらも、向日が腹を抱えて蹲る。
その肩が震えているところを見ると、ウケているようだ。
「え、何でやのん。基本やろ?」
「忍足、開き直ったね、キミ」
「しゃあないやん。もうトコトンまで付き合うわ」
忍足が仮面をずらして顔を見せ小さく片目を瞑ると、もう一度仮面をつけ、足音を忍ばせて
手塚に近づいた。
まずは掛けたまま眠っている手塚の眼鏡を、こっそりと拝借。
そして代わりにそっと掛けたのはパーティーグッズの定番、ヒゲメガネ。
額の文字との微妙なアンバランスさが、忍足の目から見ても笑いを増長させる。
「あ、あかん、笑ろてまう……!!」
慌ててそっと手塚から離れると、キッチンのテーブル脇で見守っていた3人の元へと撤退、
我慢しきれなかったのか腹を抱えて蹲った。
「ヤバい。似合いスギや。アレは犯罪や。アレはカメラに収めるべきや。むしろ芸術や」
くつくつと笑って忍足がそう呟きながら、乾のズボンの裾を引っ張り手塚を起こせと合図を送る。
それに千石がカメラを構える。いつでも来いとばかりに。
頷いた乾が、場所を動かず声を出した。
「手塚、手塚ちょっと起きてくれ」
「………ん…何だ煩いぞ乾………」
ブツブツと言いながらも乾が言うからなのだろうが、重い瞼をこじ開けた。
「手塚、面白いお客が来てるんだけど?」
「客……?」
そう言われては起きるしかない。
気合を入れて気だるい身体を起こした瞬間を、カメラが捕えた。
ぱしゃり。
「な…!?」
突如炊かれたフラッシュに動揺した手塚が声を上げる。
「はい手塚、ご愁傷様」
「へっへっへ、決定的瞬間激写ー!!」
「やりィ〜〜!!」
「な、何、これは一体……」
耳に掛かっているモノに違和感を感じて、手塚が慌てて外してみる。
ヒゲメガネに思いっきり眉を顰めた瞬間も激写されてしまった。
慌ててキッチンに視線を向けると、笑いを堪えきれずに顔を背けている乾と、
一緒に立っているのは……仮装軍団。
その中の被り物をした一人が、カメラを持っていて。
もはやどこにツッコミを入れれば良いのかも判断できず、手塚が途方に暮れたような
視線を向けた。
やはりそれも撮影された。
さすがに手塚の表情に怒りの色が混じったのを見てとると、千石が慌ててカメラを袋に突っ込んで。
「撤収するよ、皆俺に続けー!!」
そう声を上げると仮装軍団がわらわらと玄関に向かって駆け出す。
玄関先まで見送りにきた乾に、最後に靴へ足を突っ込んだカオナシ忍足が振り返って。
「……後のこと押し付けてまうけど、堪忍な」
「心配しなくていいよ。ヒゲメガネと文字ぐらいで、」
「あれ、油性やし」
「…………は?」
「堪忍やでっ!!」
顔の前で両手を合わせると、忍足も2人の後を追って駆けていった。
後に残された乾が反芻する。
「油性……?」
「乾!」
「ぅわ、びっくりした」
いきなり背後から声をかけられて、肩を竦めた乾が恐る恐る後ろを振り返った。
眼鏡は元のものになっているが、額の『肉』はそのままだ。
「これは………一体どういう事だ。説明しろ乾」
しかも表情から醸し出すオーラから出される言葉の冷たさから、珍しく手塚が
全身で怒っていることを示していた。
きっと鏡でも見てきたのだろう。
なるほど、これを何とか宥めなければならないのか。
だから忍足の「堪忍やで」なのか。
「………まいったな」
小さく嘆息して困ったように頭を掻いた。
なんだか頭痛がしてきた気がする。
とりあえず保護者に連絡をしておくか、と乾はポケットから携帯を取り出した。
⇒305号室に逃げ込め!!
⇒堪能したから大トリ行くぜ!!
※……はい、がっくんは跡部にも額に肉やった事あります。半殺しにされました。べさまに。
でも全然へこたれてません。怖いもの知らず岳人。
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