最初から、ウマの合わない人間はいるものだ。
相性が悪いとか、考え方が違うとか、色んな言い方はできるけれど。
跡部景吾と真田弦一郎は、所謂そういった『ウマの合わない』間柄だ。
けれど、そんな跡部が言ったのだ。
「……ああ、その考え方なら、賛同できなくもねぇな」
〜 Life 〜
【 The requiem to sacrifice to the dear mother. 】
真田弦一郎には、大切にしている人がいた。
いつも凛とした佇まいで、静かに微笑む女性だった。
本人には照れもあってか口にした事は無かったが、一生を共にする相手に
相応しく、むしろいっそ自分には勿体無いとまで思っていた。
マザー社の開発研究員として籍を置いていた真田は、まめに自宅へ
戻ることはできなかったけれど、時間があれば必ず会いに行くぐらいの
甲斐性は見せていたし、逆にそれだけ大事だったのだろうと仲間の誰もが
そう思っていた。
彼の事だから行動に移すのは遅そうだが、いずれは身を固めるのだろうと。
頻繁に会う事が叶わないかわりに、彼は一体のアンドロイドを贈った。
自分の代わりに彼女を守らんとするために、彼が手ずから生み出したものだ。
彼女は驚きに目を瞠ったものの、自己紹介を始めたロボットに興味深そうな
視線を向け、別れる頃にはすっかり打ち解けてしまった風で、どこか真田は
安堵の表情を浮かべていた。これなら、大丈夫だ。
何が大丈夫なのかと問われたら返答もできない漠然としたものではあったが、
それがその時の真田の正直な気持ちだったと思う。
そうして次の休暇の予定を話し、マザー社へと戻って、3ヶ月。
次に彼女と再会したのは、病院のベッドの上だった。
事故だったと、家族は告げた。
歩道を歩いていたところへ、運悪く車が突っ込んで来たらしい。
相手も意識不明の重体だが、彼女は命を落としてしまった。
彼女を守るためにと贈ったアンドロイドは、ずっと家に居たらしい。
そこで、ずっと主人でもある彼女の帰りを待っていたのだと。
こういう時、ロボットという『物』の理不尽さに反吐が出る。
何のために…何のためにあの場所へ行かせたというのか。
思えばこの時に、自分は全てを見放していたのかもしれない。
肝心な時に役に立たないアンドロイドも。
肝心な時に何もできない、人間も。
>> It knows that all breaks when you tell remembrance.
「……どうにもヤバい雰囲気だ」
マザー社の社員食堂で、たまたま偶然に跡部と会った。
広い食堂の中でわざわざ跡部が相性の悪い自分と席を共にする事を選んだのだ、
恐らく何か話があるのだろう。
この、周囲を飛び交う何気ない雑談で誤魔化さないとできない話が。
黙々と箸を運びながら視線で話を促せば、明日の天気でも話すような口調で
跡部が割り箸を2つに割りながらそう口を開いた。
「ヤバい、とは?」
「我らの母親が、な」
「……どういう事だ」
「最近、どうも不安定でな。
最新システムに切り替えようとは思うんだが……どうも
上手く読み込まねぇんだ。
システムじゃなくて、本体の方の老朽化、っていう考え方もできるが…」
「まぁ、もう歳だからな」
「労ってやんねぇと、だろ?」
揶揄った言い方をすれば、跡部が愉快そうに目を細める。
なんだお前、ジョークも言えんだな。そう言うから、余計なお世話だ。とだけ
返しておいた。
「そういえば、」
「アーン?」
「この間、統計が出たな。
とうとうアンドロイドの数が人間の人口を上回ったそうだ」
「ハ!これで俺達も仕事に困らねぇ。当分は安泰だな。
………笑えねぇ話だ」
「もうひとつ、笑えない話がある」
食事の手を止めて、真田が傍に置いてあった業界新聞を手に取る。
すでにチェックの入れてあるそれを、跡部に向かって放った。
「……な、…んだ…?」
「新しいプロジェクトが立ち上がった。テーマは、」
「アンドロイドのボディに……人間の脳を移植する…って」
「世も末だ」
人間が人間を辞める事を宣言したようなものだ。
確かにアンドロイドのボディに脳を移植して、尚且つそれが上手く動けば
その者は不老と長寿を手に入れる事ができる。
メンテナンスさえ、そして本人がそれを放棄さえしなければ、
脳が使い尽くされ動かなくなるその時まで、元気に活動ができるという事だ。
「くだらねぇな」
「…腐っている」
「全くだ。初めて意見が合ったな」
意外だとは思ったが、お互いにそれなりに『人間』であることの重要性は
認めていたらしい。
ロボットの開発という職に就いてはいるが、それはあくまでも人間の生活を
フォローするための分野であって、何もそれに取って代わりたいと思っている
わけでは無い。
自分達人間は、アンドロイドになりたいわけでは無いのだ。
「ったく、お上は勘違いしっぱなしだな」
「そうだな」
「だが、不老長寿は昔からの人間の夢だ。
それに不死がつけば言う事もねぇが」
興味が失せたかのように新聞を放ると、跡部は目の前の食事を平らげることに
専念する事にしたらしい。
思っているほど人間は上等なものではない。
けれど、崇高なものはある。
例えば向上心だとか、目の前の跡部のような、生存本能だとか。
跡部が放った新聞を拾って広げながら、やれやれと真田は吐息を零した。
いつもは跡部など置いてさっさと引き上げるところなのだが、たまには
食べ終わるのを待っててやるのも良いだろう、そう思って。
状況が激変したのは、それから半年経った頃。
暫く真田の姿を見ないなと思っていた跡部の耳に入ってきたのは、
彼の恋人が亡くなったらしい、という話だった。
マザーコンピューターの調子は相変わらずで、その内止まって
しまうのではないかという危惧さえあった。
それまでに、次の体勢を整えなければならない。
今、世間のロボットはこのマザーコンピューターを介して存在している。
止まってしまっては大事だ。
そんな慌しい日々を送っていた跡部が、真田を会ったのは噂を耳にしてから
一週間後のこと。
彼は今まで見たことの無いほど、憔悴しきっていた。
「よぉ、らしくねぇ顔しやがって」
「………何の用だ」
「情けねぇな、人が1人死んだぐらいでよ」
「貴様…ッ!!」
跡部の挑発的な物言いは昔からだ。
だが、いつもは流せていた言葉まで流せられない程、どうやら自分は追い詰められて
いたらしい。
「運が悪かったんだろ?」
「そんな言葉で割り切れるような優しいものでは無い」
「じゃあ、何だって言うんだよ」
運が悪かったので無けりゃ、なんだ。
突っ込んだ車の運転手は未だに意識が戻らない。
別にその運転手は余所見をしていたわけでも飲酒をしていたわけでもなく、
運悪くタイヤがパンクして、ハンドル操作が利かなくなっただけだった。
歩道に乗り上げたその瞬間にその場に彼女がいたのは、本当に偶然としか
言いようが無い。
もしかしたら誰か違う人間だったかもしれないし、もしかしたら誰も居なくて
運転手の単独事故になっていたかもしれない。
「てめぇの感情は、偶然に大事なモンってヤツがプラスされただけだ」
あくまで客観的にものを言う跡部の言葉は、冷静で冷淡、だが、真実だった。
真田が胸倉を掴んでいた手を外すと、襟元を正しながら跡部が皮肉げに
口元を歪める。
その姿をぼんやりと眺めて、真田は力無く首を横に振った。
「……肝心な時に役に立たないロボットなど、作って何になる」
「傍に居られなかった事を後悔してんのか」
「そうかもしれんし、違うかもしれん。
ただ……あれほど真剣に考えていたアンドロイドというものが、
今は実にくだらないもののように思えている」
「……ああ、その考え方なら、賛同できなくもねぇな」
「なに?」
「結局、そのロボットを管理するのも使うのも頼るのも、人間ってことだ」
「………。」
実にくだらない、と跡部も腕を組んで嘆息を零した。
「結局は全部、人間次第なんだ、真田」
ああ、その通りだ。
言葉には出さなかったが、その目を閉じることで肯定とした。
>> It always regrets.
冗談だろう?
知った時はそう感じて即座に否定した。
だが、見る度に少しずつ少しずつ不安は募って、跡部は廊下を駆ける。
あの時確かに言ったのだ、くだらないと、共に苦笑しあったのだ。
「真田ッ!!」
「……なんだ、跡部か」
「なんだじゃねぇ!!これは一体どういう事だ!!」
跡部が手にしていたのは一枚の連絡書。
その内容は既に真田自身把握していたので、ああ、と自嘲気味の笑みを見せた。
「腐ってんじゃなかったのかよ、アーン?」
「そうだな」
「そんな奴らの、どんな口車に乗りやがった」
「乗ったわけではない。
……自分から、頼んだのだ」
「てめぇ…!!」
ギリ、と強く歯を食い縛って跡部が真田を睨みつける。
連絡書の内容は、漸く土台の固まってきたアンドロイドへの脳移植、
その第1号ともなる実験台に、真田が選ばれたという事だった。
「どういった心境の変化か聞かせて貰えるんだろうな?」
「……そんな大した事ではない。
ただ、役立たずは役立たずなりの道を選ぶべきだ、という所か」
「自棄になるのも大概にしやがれ!!」
その言葉にカッとなった跡部が、真田の胸倉を掴んで激昂した。
「てめぇがアンドロイドになった所で、何も変わりゃしねぇんだ!!」
「そうだな、分かっている」
志願してしまえば酷く心は落ち着いていた。
不安と呼べるようなものは一切無い。
失敗すればその先に待っているのは死かもしれないが、それすらも
今の自分には恐怖させる程のものにはならなかった。
自棄では無い。ただ、見たくなったのだ。
機械仕掛けの身体から、世界はどのように見えるのか。
「守るべきものを失った今なら、後悔する事もなかろう」
それが、例え絶望的な現実でも。
大事な人を亡くした時、アンドロイドを役立たずだと思いはしたが、
憎む対象にも嫌う対象にもならなかった。
それは、今なおもこの場所に籍を置いている自分が立証している。
「準備が整い次第、実験は開始されるそうだ。
もしかしたらお前と会うのもこれが最後かもしれんな」
「……せいせいするぜ」
吐き捨てるようにそう言えば、困ったような表情で真田が苦笑した。
なんだかんだで、ウマは合わないが腐れ縁だった。
時々鬱陶しいと思う事もあったが、それなりに楽しいと思うこともあった。
だから。
「すまん、跡部。…………ありがとう」
「よせ、虫唾が走る」
睨むようにしてそう答え、跡部は用が済んだと立ち去るべく踵を返す。
その背に、真田がひとつ問い掛けた。
「跡部、マザーはどうなんだ?」
「………時間の問題だ」
そうか、と呟くように声を漏らすと、今度こそ本当に跡部は部屋を後にした。
結論だけ言えば、真田を使った実験はおおむね成功したと言って良い。
からかい半分で跡部が会いに行ったのだが、まるで知らないものでも
見るかのような視線を向けられた時に、ああやっぱりな、と半分
落胆の色を隠せなかった。
彼は、記憶を失っていた。
引き換えに、彼は一体何を手に入れたのだろうか?
答えは跡部に見える筈も無い。
真田が失踪したと聞いたのは、直後の事だ。
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原題:『君が思い出を語る時、全てが砕け散るのを知るんだ』
『悔やみはするさ、いつだって』
ちょっと長いので一区切り。
もうちょっとお付き合い下さい。