TWILIGHT SYNDROME
〜 It's possible to challenge a lot of wonders!〜
#03 最終電車(中編) 前に学校のトイレに入った時もそうだったが、とにかく「夜の」という枕詞が付くだけで、 こうも不気味に見えるものなのだろうか。 あまり清潔とはいえないその空間に乗り込むも、この暗がりでは奥の方まではハッキリと 見ることはできないが。 「うーん……見たトコロ何も変わりないッスよねー……」 「じゃあいねぇんだろ」 「う…ッ、跡部サンって夢が無いなァ……なぁ樺地ィ」 「ウス」 「てめ、樺地!!ウスとか言ってんじゃねぇよ!!」 跡部が後ろから樺地の背中を殴れば、どうしたものか困り果てた樺地の表情が 見て取れて、思わず忍足は忍び笑いを漏らしてしまった。 跡部と切原に挟まれて、さぞかし難儀している事だろう。 そう思いつつ忍足もぐるりと周囲を見回して……ある一点で目を止めた。 今、何か。 「………どうした?」 どうやら自分の行動には敏感になっているのだろう跡部がそう声をかけてきて、 ゆるりと首を振った忍足が、手洗い場のところを指差した。 「今……何かあったような…気がしてな」 「何かって……こんなトコロに何か居んのかよ」 眉を顰めて跡部がその方へと近付いて行く。 軽く排水口が繋がる台を叩いて手を置き、蛇口と、鏡を順繰りに視線で追って。 「…ッ!?」 鏡に映る自分の左手。 そして、それを掴むもうひとつの、手。 「うわッ!!」 思わず声を上げてその場から飛びのくと、庇うように掴まれていた方の手を 反対の手で押さえる。 見えていた筈の手は、もうどこにも見当たらない。 「えッ、なになに、どうしたんッスか!?」 「い、いや…………忍足、今の、」 「…排水口から逃げてったわ。もう居らんで」 「チッ…」 何だったのだろうか、そこまでは解らないし消えてしまった今では知る術も無い。 これ以上この場に居る気も無かったのでさっさとトイレから出てホームに戻ると、 後ろから樺地が声をかけてきた。 「跡部さん……」 「あん?何だ樺地」 「左の手が……」 「手がどうしたって……」 己の左手首を見て絶句した。 赤黒く、指の形がわかる程に変色した痣。 こんなもの、さっきまでは無かったのに。 「うわ、大丈夫ッスか、跡部さん?」 「見た目だけだ、問題ねぇ……だが、テメェの言う通り、此処には何か居るみてぇだな」 「でしょ?」 「喜んでんじゃねぇ、バカ」 「あいたッ!」 脳天を拳骨で殴られて涙目になった切原が、乱暴だなぁと唇を尖らせた。 それでも次はドコに行くんださっさとしろと言えば、気を取り直して切原は連絡橋へと 向かっていった。 「陸橋の上?」 「そうッスよ。なんでも酷いフラれ方したOLとかで、」 「ほな自殺か」 「でしょうねぇ」 階段を上って、隣のホームへ渡る橋を越えて行く。 何か無いかと見回しながら歩く切原が、途中で足を止めた。 「どないしたん?」 「忍足サン……人が、」 真っ直ぐ前を見つめていた切原が、指をその方へ向ける。 その指先を追って目を凝らした忍足が、僅かに眉を顰めた。 女性のようだが、そもそもこんな時間にこの場所に居るのはおかしい。 それに、僅かに琴線に触れてきたこの、思いは。 黙って立ち尽くしていると、その女性は隣のホームへ続く階段を下っていく。 入れ違いになるように遅れて上ってきたのは跡部と樺地。 「アーン?お前ら何やってんだよ」 「跡部、今……」 「今度は何だ?」 「お、追うッスよ!」 「ちょ、切原、待ちぃや!!」 「チッ……バカが。行け樺地!」 「ウス」 一人走り出した切原を見て舌打ちを漏らし跡部が樺地へそう告げると、頷いた樺地が 切原の後を追って駆けていく。 佇んだまま動けずにいる忍足の背を軽く叩いて跡部が動くように促すと、ゆっくりとだが 彼もまた切原と樺地が向かった方へと歩き出した。 「跡部……」 「俺はちゃんと見てなかった。何が居た?」 「女の人……切原が追ってったあっちの方に、下りてった」 「そうか、俺達も行くぞ」 「うん……わかった」 まだ何か言おうとして忍足が口を開きかけたが、それは止めたようで小さく吐息を零すと、 忍足は跡部について隣のホームへと向かう。 その、何か言いたそうにしていた事柄については多少は気に掛かったが、跡部はそれ以上 訊ね返そうとはしなかった。 階段を1段飛ばしで駆け下りるものの、その女性の姿は目の前で掻き消えていき、 足を止めた切原が肩で大きく息をしながら周囲に目を向けた。 どこにも見当たらない。 まるで、さっき見た事の方が嘘だったかのように。 けれど見たのだ。 間違いなく、この目で見たのだ。 「くっそ〜……ドコに消えたんだろ」 「切原」 「まだどっかに居るかもしんねぇしな、ちょっと捜してみようぜ、樺地」 「ウス」 キョロキョロと辺りを見回しながら歩く切原について歩きながら、樺地が少し居心地悪そうに 緩く視線を周囲に投げた。 見られているような、気配がある。 視界の端に階段を下ってくる跡部と忍足の姿が映ったが、そこからではない。 もっと近いところのような、もっと遠くからのような。 ホームの端まで念入りに調べてから、諦めたように切原が肩を竦めた。 「ダーメだ、いねぇ」 「ウス」 「惜しいなぁ〜、逃げられたんかなぁ」 はぁ、と落胆の息を漏らしながら、一旦2人は跡部と忍足が待つ所まで戻ってきた。 「どうだったよ?」 「どうもこうも……スッと消えちゃいましたしねー」 跡部の問いに笑いながらそう答えて、もしかしたら線路の下とかに隠れたんだったりして、と 切原が覗き込む。 その背中を、トン、とまるで誰かが押したかのように。 「切原ッ!!」 ぐらりと身体が傾くのと、忍足が叫びに近い声を張り上げたのとは、ほぼ同時だった。 「わァッ!!」 線路に転げ落ちた切原が、痛そうに眉を顰めながら身体を起こす。 「アイタタタ、なんだって………、ッ!?」 「あかん切原、早う退き!!」 「な…」 立ち上がった切原が、眩しさに目を細める。 ライトだ。それもこちらに向かってくる。何だ? ………電車だ。 猛スピードで向かってくる電車は通過のためか速度が緩む事は無い。 「何してる、早く逃げろ!!」 跡部が怒鳴って促すが、硬直したまま切原はその場を動けないでいた。 このままでは間違いなく轢かれてしまう。 見てる事しかできない跡部が強く唇を噛んだ。 忍足が祈るしかなく固く瞼を閉じる。 その隣で、静かに樺地が動いた。 1歩で、線路に下り立つ。 2歩で、切原の身体を腕に抱えて、 3歩めは、大きく跳んだ。 直後、猛スピードで電車が走り抜ける。 電車の通り過ぎた後は、静かなものだ。 間違いなく、もう自分は駄目だと、一瞬でもそう思ってしまった。 だが。 恐る恐る目を開いて、ゆるりと身じろぎをする。 どこも、痛くない。 生きている。 強く回された腕に、視線をそろりと上に向けた。 「か、ばじ…?」 「ウス」 「助けて……くれたんだ?」 あんな、誰も動けなかっただろう、あのタイミングで。 あの速度で突っ込んでくる電車を目に、尻込みせず線路に飛び込める人間などそう居ない。 それなのに、彼は。 「おい樺地!切原!!生きてんなら返事しろッ!!」 「ウ、ウス!」 「うぃっす!!」 ホームから少し焦ったような跡部の声が聞こえて、反射的に2人がそう声を張り上げた。 声だけでなく、むくりと起き上がって手を振って見せれば、明らかに安堵の色を含んだ ため息が聞こえてくる。 「よし、ホームの端に階段があるからよ、そこから登って来い」 「ウス」 「へ〜い」 先に立ち上がった樺地に手を貸されて切原も腰を上げると、跡部の指示どおりに ホームの端へと向かって線路の上をゆっくりと歩き出した。 「樺地ィ、」 「ウス」 「その………ありがとな」 「ウス」 助けてくれたことにそう素直に礼を述べると、相変わらずの穏やかな表情で 樺地は静かに頷いたのだった。 「よ、良かった……心臓が止まるかと思うた……」 重苦しく長い息を吐きながら、忍足がその場に膝をつく。 全くもって迂闊だった。 もっと早く切原を止めていれば、こんな事にはならなかった筈だ。 「おい、忍足、やっぱり切原が落ちたのは……」 「…死を受け入れるって事はな、ほんまにもの凄い大変な事なん」 跡部の問いに応えた忍足の言葉は、答えのようなそうでないような、 とても曖昧なものだった。 「あのお姉さんは、死にたいぐらい辛い事があって……でもなかなかそれを 自分自身で受け入れる事ができんで、もう随分長い事この辺を彷徨ってたんや。 けど……やっと、決心がつきかけとった」 差し伸べられた手を掴んで立ち上がると、跡部の肩にこつりと己の額を凭れかけさせる。 これは、自分達の自業自得だ。 「そんな人の前に、俺らは出てきたらアカンかってん」 「忍足……」 「ほら、決心が鈍ってまうやん?」 だから特に生命力に満ち溢れた切原が狙われたのだろう。 やはり死んでしまった者にとって、今を生きている者はいつでも羨望の対象なのだ。 羨ましくて、そして妬ましい。 どれだけの事をその女が忍足に伝えたのかは解らないけれど、参ってしまっている 忍足を見ていると、それは結構なシロモノだったのだろうと想像はできる。 慰める言葉なんて見つからず、跡部にはその身体を抱き締めてやる事しかできなかった。 「お前は…、何も言わないんだな」 「え?」 「俺にはお前の痛みを貰ってやる事はできないし、多分聞いてやることしかできないんだと、 そのぐらいはもう解ってんだ。けどよ、」 「跡部…」 「辛かったら、ちゃんと言え」 一言忍足がそう言えば、こんな茶番はさっさと止めにして帰るぐらい容易い事だ。 切原などが何を言おうと、拳ひとつで黙らせる事ぐらいできる。 「言いたくないなら言わねぇで良いから、」 「………。」 「我慢できなかったら、ちゃんとぶつけろ。いいな?」 「………うん、ありがとうな」 真摯に言葉を投げてくる跡部を見遣って、忍足がにこりと笑みを見せる。 まだ、大丈夫だ。 樺地と切原を迎えに行ってやろうと言って、忍足はホームの端に向かって歩き出した。 ホームに登ってしゃがみ込んでいる2人の傍に、跡部と忍足が歩み寄る。 「お前ら大丈夫なんか?」 「な、何とか…」 「ウス」 2人に目線を合わせるように腰を落とした忍足が問えば、こくりと2人は頷いてみせた。 かすり傷ぐらいはあるが、これはホームから転げ落ちた時のものだろう。 「こ…怖かった……」 半分涙目になって呟く切原の頭を慰めるように忍足が優しく撫でていると、 その隣にしゃがんだ跡部が、樺地の肩を労るように叩いた。 「よくやったな、樺地。さすがだ」 「…ウス」 素直に褒めるところはちゃんと褒めてやる跡部のこういうトコロが、 恐らく過去あの学園でテニス部を率いていられていた確固たる所以だろう。 カリスマだけで、あの大所帯は率いていけるものではない。 「懲りたかよ?切原」 「そらお前、こんな危ない目に合わされてんから……」 からかうような色を含んだ跡部の言葉に、今更何をと呆れた視線を忍足が投げる。 だが、切原はこんな事でめげるような男ではなかった。 「まだまだ!これからッスよ!!」 「おいおい…マジかよ」 「電車に轢かれかけといて、まだやるんか…?」 「みんなが居てくれるなら大丈夫ッス! 俺は誰の挑戦でも受けて立ァーーーーつ!!」 ガバっと立ち上がると握り拳を作ってそう声を張り上げる切原には、跡部も忍足も さすがの樺地も唖然と見上げる他は無く。 「……ありえねぇ、コイツ…」 「さすが立海大出身、こういうトコロは真田にそっくりや」 「ウ、ウス……」 仕方ないかと吐息を零し、忍足が立ち上がって切原の額を軽く指で弾いた。 「ええけどな、切原。お前は一人で突っ走りすぎやねん。 絶対に一人で先行ったらアカンで?」 「う、うぃっす!」 「樺地も、絶対に切原から離れたらアカンしな?」 「ウス」 「ほな、次はどこに行くんや?」 「あ、俺、ちょっと喉渇いたんで、自販機行きたいんスけど…ダメっすか?」 「やって、跡部?」 「もう好きにしろ…」 本当にとことんまでめげない奴らだ。 切原もだが、忍足も。 呆れを通り越したいっそ投げやりな口調で、跡部はそう言って追い払うように 手を振ったのだった。 「自販機ってったら……ドコや?」 「あ、反対側のホームなんで、一旦向こうに戻りましょう」 「よっしゃ」 さきほど下りて来た階段を指差して、切原が歩いて行く。 それについて歩きながら、もう一度今居るホームをぐるりと見回す。 階段があって、ベンチがあって、時刻表がある。 すぐ隣には昼間には開いているのだろう立ち食いそばのブースがあって、 その脇には公衆電話。 そこから先はもう何も無い。 公衆電話の前を通り過ぎ、少し小腹が空いたかもと電源の落とされた食券の券売機を 横目で眺めていると。 プルルルルルル… プルルルルルル… 公衆電話が、声を上げた。 <NEXT> や、やばい…3本で本当に終われるか…!?(汗) 樺地は悟りを開いたお坊様のような人です。 そんな人なのに、跡部には絶対服従を誓ってます。 それは樺地も跡部がイイ人だってちゃんと知ってるからです。 って、そういう話じゃなくて!! 恐怖体験ツアーは漸く折り返し地点です。 |