「象に乗りたい」

 

そんな曹操の言葉に、会議が一瞬中断する。
そこに居た誰もが我が主人に目を向けた。
「象……ですか?」
僅かにこめかみを引き攣らせながら司馬懿が尋ねる。
それに曹操は大きく頷いた。
「殿…今は一体何の会議をしているかご存知か?」
「合肥を取るんだろう?そのぐらい解っておるわ」
「ならば……!!」
「だが、司馬懿よ」
珍しく真面目な顔をして、曹操がはっきりとした口調で告げた。

 

「儂は象に乗りたいのだ」

 

 

 

<南蛮夷平定戦・魏〜前編〜>

 

 

 

「仲達!!」
大混乱に陥った軍議をどうにか終えた後、廊下を歩いていた司馬懿は
呼び止められて振り返った。
「妙才殿か…何か?」
その声音から察するに、相当不機嫌のようで夏候淵は苦笑を浮かべた。
「いやなぁ、さっきの話、どうすんのかと思ってよ」
「象、か?」
「ああ」
思いきり嫌そうに顔をしかめたが、司馬懿はふぅとひとつため息を落として
呟くように答えた。
「合肥の前に、南蛮の民を攻めねばならないな…」
「じゃあ、やっぱり象を…」
「この際だ。しっかり象を捕らえてきて、殿には『もう勘弁してくれ』と言うまで
 乗って頂くとしよう」
まだ訪れたことのない土地である。
地図を広げて場所を確かめ、司馬懿はもう一度ため息をついた。

 

 

 

 

「…で、結局こうなるんですね?」
簡易な陣を構え拠点を置いた魏軍は、北に見える南蛮の民の陣地を狙う。
攻め入る道は全部で4本あり、司馬懿は軍を4つに分けると告げた。
「司馬懿殿らしくない、随分荒っぽい戦法だ」
張コウの言葉に苦笑を浮かべそう答えつつ、徐晃は胸当ての留め具を嵌めた。
「ご機嫌斜めなんですよ。殿が無茶仰るから」
ため息を吐きつつそう呟いて、張コウは肩を竦めた。
だがしかし当の曹操本人は象に乗れるのだと張り切っていたりする。
それが更に、司馬懿の神経を逆撫でするわけであって。
「徹底的に合わないんですよね、殿と司馬懿殿は」
自分も簡単に装備を整え、張コウは徐晃を見遣った。
南蛮…と言葉が示す通り、この地は異様な湿気と熱気に満ちている。
一言で言うと蒸し暑い。
なのに、どうしてこの男は。

 

「徐晃殿……暑くはないのですか?」

 

いつもと全く変わらない重装備で、徐晃は涼しげな表情を見せている。
格段に布地の少ない張コウの方がむしろ汗ばんでいるぐらいなのだ。
張コウの視線に徐晃は薄く笑みを浮かべて答えた。
「心頭滅却すれば……ですぞ。
 さ、張コウ殿、参りましょう」
さくさくと歩き出す徐晃の背を眺めて、張コウは小さく肩を竦めた。

 

「全く……恐れ入りましたよ」

 

 

 

 

「なぁ、仲達、本当お前無理すんな?」
後ろから夏候淵の心配そうな声が聞こえる。
それに全く構わず、司馬懿は馬を駆けさせた。
とはいえ、この暑さで意識は既に半分飛んでいる。
川の辺で馬を止め、司馬懿は鞍から降りる。
橋を挟んで向こうには、孟獲率いる南蛮の兵士たちが陣を構えていた。
追いついた夏候淵が司馬懿の隣に立ってその顔を覗き込む。
「お前、本当に大丈夫か?」
元々暑さ寒さに司馬懿は極端に弱い。
なのに先陣切って飛び出し、おまけにこの暑さに何の対策も施さないままで。
暑気当りになるのは確実だろうな、とか心配していたのだが。
司馬懿は汗を流しこそすれ、存外平然とした顔で橋の向こうの陣を見据えていた。
「どうやら…見た感じでは象はいなさそうだよなぁ」
目を凝らして見遣った夏候淵がそうぼやく。
それに司馬懿が小さく舌打ちを漏らした。
「ハズレか。……まぁ、仕方ない。
 とりあえず潰しておこう」
「それは俺が行ってくるから。お前はそこらの木陰で休んどけって。
 その内ぶっ倒れるぞ?」
「何を言うか」
鼻で一笑すると、司馬懿が黒扇を揺らす。

 

「何かにぶつけなければ、この苛々は収まりそうにないからな」

 

 

 

 

「全く……殿には本当に困ったもんだ」
大仰なため息をついて、張遼は空を仰ぎ見た。
鬱葱と生い茂る木々を掻き分け、張遼と夏候惇の2人は歩みを進める。
「孟徳の奴、今更象になんて乗ってどうするつもりなんだか」
同じく眉根を寄せてそうぼやく夏候惇。
気分はもう保護者である。
もしくは、我侭な弟を持った兄の気分か。
どちらにせよ、あの気紛れに振り回されるのはたまったものではないと。
ブツブツ言いながら先へ進むと、突然視界が開けた。
「これは……」
一帯に張り詰める殺気を感じつつ、張遼と夏候惇は顔を見合わせニヤリと笑った。
奥に大きな影が見えたのだ。
人などとは比べ物にならない、巨体の影が。
それはすなわち。
「当たりか…。とりあえず、頂いていく事にしよう」
剣を構え、夏候惇は嬉しそうな笑みを浮かべた。
とりあえずさっさとこの暑苦しい地域から逃げ出したいだけなのかもしれないが。

 

 

 

 

「そういえば……ここには毒の泉があるとか……」
2人歩きながら張コウと徐晃はひとつの泉の前に出てきていた。
「この濁ったというには何かが違う色合いの水質といい、倒れそうになる薫りといい、
 何だか粘り気のありそうな液体といい……毒だって言ってるようなものじゃないですか」
「それで、張コウ殿」
「何でしょう?」
徐晃に目を向けると、前方を指差し彼は何かをじっと見据えていた。
「拙者…象、というものを見た事がないのだが……あれだろうか?」
見るからに人間でない巨大な影。
しかしその上に跨る者は紛れもなく人であった。
「へぇ…随分と大きな乗り物なのですねぇ……」
少し興味を持ったようで、張コウも小さく笑みを浮かべた。
「多分、あれなのだろうな」
「そうでしょうね」
顔を見合わせ、にっこり笑う。

 

「とりあえず、乗ってらっしゃる方には降りて頂くとしましょうか」
「そうですな」

 

小人数が幸いしたか、向こうはまだこちらには気付いていないようである。
ひとつ頷き合うと、張コウと徐晃は泉を迂回して挟み込むように移動を始めた。

 

 

 

<後編へ>

 

 

8888ヒットのArashi Ai 様のリクエストで、ほのぼの魏軍SSです。

テーマがテーマなだけに、一本で終われなかったので前後編に分けてみました。(汗)

ていうか、どこがほのぼのやねん……。(爆)

 

すいません、オチつける気満々な自分がココに居ます……!!(><)