【ある冬の日の風景】
賊の討伐に出て負傷した司馬懿であったが、それも時間を経るにつれ回復していき、
通常通りの職務もこなせるようになった頃には、季節はすっかり冬に変わっていた。
ほぼ同時期に張遼も動くことを許可されて、漸く元の賑やかな城内に戻ってきた、
そんな頃である。
「……皆集まって何事かと思えば……」
妙に城内が静かな事に気付いて近くに居た者に声をかけると、中庭に集まっていると
答えられたので、司馬懿が職務の合間の息抜きついでにふらりと立ち寄ってみれば。
「では、許チョ殿対孫権殿、始め!!」
徐晃の号令と共に、それぞれが所有の武器を構えて間合いを取り合う。
「ああ、孟徳兄がな、勝ち抜き戦で皆で手合わせしようって言い出してよ」
中庭へ降りるための階段に座り込んだ夏侯淵が、そう答えて笑った。
「ほぅ……しかし、凄い組み合わせだな」
「参加者で公平にくじ引きだ、恨みっこナシだぜ」
「それは孫権殿も不憫な……」
許チョは他に類を見ない程の怪力で知られている。
張り倒されたら、痛いだけでは済まないかもしれない。
なかなか面白い見世物だと、司馬懿も夏侯淵の隣に腰を降ろした。
「あ、あの……」
木刀を向けたままで、孫権がおずおずと口を開く。
「お手柔らかに、お願いしますね?」
「ああ〜、わかってるだよ〜〜」
孫権の不安げな言葉にニコニコ笑って許チョが頷く。
それにホッとした表情を浮かべたのも束の間。
ドス…ッ!!
重たい音をさせて、許チョの持つ木刀が孫権の真横を掠め
地面に突き立つ。
びりびりと細かい振動が、己の身を伝ってくる。
「…………。」
孫権の頬を一筋の汗が流れた。
(死ぬ……こんなのに当たったら絶対死ぬ!!)
有り難いことに、許チョの動きは思ったよりもずっと早くはない。
動きをちゃんと見れば、避ける事は簡単だろう。
「わ、ちょ、待……っ」
ぶんぶんと力任せに振り回される木刀をかわしながら、孫権が一歩一歩後退る。
一方的に逃げ回る孫権を面白そうに見遣る傍観者達。
そんな中、甘寧が苦笑を交えて野次を飛ばした。
「何やってんだ孫権、やられたらやり返せ!!」
「………なっ、」
その言葉に焦った風に甘寧に視線を走らせる孫権。
だが、すぐ真上を掠めるように木刀の切っ先が通り過ぎ、慌てて相手に目を向けた。
「………無理なんじゃないですか?」
夏侯淵と同じように階段に陣取った張コウが、ため息混じりに答える。
「そんな事ねぇって!!
動きをちゃんと見りゃあ、勝てる相手だ」
「ですから、」
子供のようにムキになって言う甘寧に苦笑を浮かべ、張コウがまた孫権へと
視線を走らせる。
「孫権殿に、そんな余裕が見当たりませんよ」
「う……」
そう言われると反論の術は無く、言葉を詰らせて甘寧が呻く。
カシィ……ン!!
固い音が響いて、孫権の持つ木刀が遠く後方へと弧を描きながら飛んでいく。
強く痺れの走る腕をのろのろと上へ挙げて、孫権が苦笑を浮かべた。
「降参……です」
「そこまで!!」
徐晃の声で、許チョの手からも木刀が離れる。
ぺこりと頭を下げて、孫権が小走りに甘寧の元へと駆け寄った。
「何やってんだ孫権!!ぶちのめしちまえば良かったろ!!」
「ば、馬鹿っ!!できるわけ無いだろう!!
あんなのに一発でも当たってみろ、こっちの身体が砕けるわ!!」
「だったら当たらないように避けながらぶちのめせ!!」
「無茶ばかり言うな!!だったらお前が行って来い!!」
ぎゃあぎゃあと言い合いを続けるお子様2人を余所に、手合わせは着々と
進んでいた。
夏侯淵vs典韋
夏侯惇vs徐晃
張コウは残った甘寧と手合わせをするかと思いきや、乱入してきた曹操に
2人とも翻弄される羽目に合った。
張遼はといえば、まだそこまで動く力は無いのか、傍らに腰を降ろしたままで
興味深そうに眺めている。
そして。
「仲達、お前はやらねぇのか?」
「………は?」
夏侯淵の唐突な言葉に、司馬懿が怪訝そうに眉を顰めた。
「何故私がこんなものに出ねばならんのだ」
「いいじゃねぇか、たまには。
滅多に無い機会だろ?」
「無くて構わん」
「んな事言わずによ、」
「断る」
つっけんどんにそう答えていると、甘寧の言葉が耳に入ってきた。
「ははは、やめとけよオッサン。
軍師サンに俺らの相手は辛ぇだろ。
さっきの孫権みたいになるのがオチだぜ?」
この言葉が、司馬懿を動かしたと言って良い。
「誰がオッサンだ、誰が」
「あだッッ!!」
甘寧が夏侯淵に背中を蹴り飛ばされている。
それを尻目に孫権の傍にあった木刀を手にして、司馬懿が立ち上がった。
「………孫権殿、借りるぞ」
そのまま階段を下り、中庭へ降り立つ。
何事かと皆が見遣る中、司馬懿が木刀の先を甘寧に向けた。
「出て来るが良い、甘寧殿」
「おや。ご指名ですよ?」
くすくすと笑みを浮かべて張コウが言う。
「ええ!?本気かよ!?」
困惑した甘寧の言葉に、司馬懿がもう一度言った。
「怖気づいたか?」
「……言ってくれるぜ」
苦笑を浮かべて甘寧が立ち上がる。
彼もまた、司馬懿に負けず劣らず勝気な性格であった。
だが勝負というよりは、これは売られた喧嘩を買ったようなものだ。
もはや、どちらが先かは既にお互いの知るところではなかったが。
木刀を手に甘寧が司馬懿の向かいに立つ。
「泣いても知らねぇぞ」
「フン……つべこべ言わずにさっさとかかって来い」
「言われなくても……」
甘寧の手で、くるりと木刀が回される。
「やってやるぜ!!」
言葉と同時に駆け出した。
階段では、2人が下りて開いた隙間に孫権が腰掛け、内心穏やかでないながらも
黙って見守っている。
逆に夏侯淵や張コウ、徐晃などは。
「なぁなぁ、どっちが勝つと思う?」
「司馬懿殿の腕を知りませんからねぇ……」
「拙者は甘寧殿と手合わせした事がありますが、彼はなかなかに腕が立ちますぞ」
「本当か? …んじゃ、やっぱ甘寧かなぁ……。
仲達も結構やるんだけどなぁ……、やっぱ無理か?」
「そこが無難でしょうね」
「ならば、儂は司馬懿に賭けるとするか」
「殿……勇気ある決断ですこと…」
「フフン、当然だろう。
儂はいつも大穴狙いじゃ!!」
「では、私は甘寧殿にしましょうか。
司馬懿殿に賭けるのも癪ですしね」
「孟徳……急に消えたと思ったら何混ざってるんだ」
「おお元譲、お前はどっちに賭ける?」
「あァ? 俺!? 何で俺まで賭けにゃならんのだ!?
………そうだな、じゃあ甘寧にしておくか」
「夏侯惇殿……」
「おい典韋!賭け石を持ってねぇか!?」
「おォよ、合点だ」
顔寄せ合って話す面子が、一人、また一人と増えていく。
呼ばれてやってきた典韋が、懐から碁石を数個取り出した。
階段を上がり、床の上にそれらを並べる。
「白が甘寧、黒が司馬懿。 好きな方を取ってくんな」
ニヤニヤ笑いながら典韋が碁石を指してそう言うと、各々が好きな石を手にする。
数にすると、どうやら半々のようだ。
そんなこんなでに出来上がった人だかりへ、少し遅れてやってきた男は。
「では、私はこちらにしよう」
「文遠……!?」
「賭けても良いんだろう?」
驚いた風に見てくる夏侯惇に、穏やかな笑みを浮かべながら張遼が手にした碁石は、黒。
2009年1月 再アップ。
元は自作の配布お題に挑戦していた時に書いたもの。微妙に改編アリ。