【ある冬の日の風景】
最初、何が起こったかそこに居た全員が理解できなかった。
当の本人、甘寧でさえも。
「………な、何だぁ……?」
司馬懿に向かって木刀を振り下ろした時、司馬懿が小さく一歩左にずれて
それは簡単にかわされてしまった。
ち、と舌打ちを漏らして、甘寧が振り下ろした手を持ち上げた、その直後の事。
急に身体がふわりと浮いたかと思うと、己の身体が地面に叩き付けられたのだ。
「……他愛も無い」
「ちょ、ちょっと待てよ、今のはナシだ!!」
「ならば何度でもかかって来るが良い」
薄い笑みを浮かべて言う司馬懿に、甘寧がもう一度木刀を手に立ち向かう。
突き出された木刀を受け止めず司馬懿が己の木刀で軽く受け流すと、甘寧の手首に
両手を当てる。
「甘いな」
一瞬、視線が交わった。
気合を込めて両手に力を入れると、甘寧自身の身体の勢いを逆手に取る。
「のわッッ!!」
ぐるんと身体が一回転して、甘寧の身体は再び地に叩き付けられた。
「いててて……」
背中を擦りながら身を起こす。
司馬懿の目は、冷ややかだった。
「フン、貴様の力も所詮その程度という事だ」
「………ちくちょ〜〜……」
木刀を杖代わりにして身体を支えながら立ち上がると、甘寧は再び木刀を構える。
「こうなりゃ勝つまでやってやる!!」
どこまでも、根強くしぶとい男であった。
こうなってくると分が悪いのはむしろ司馬懿の方だ。
技術はともかくとして、司馬懿には力と、それ以上に体力で負けている。
持久戦になったら俄然、甘寧の方が有利となる。
「おりゃあっ!!」
皆が固唾を飲んで見守る中、木刀の交わる音だけが中庭に響く。
少しずつであるが、甘寧の方が勝ってきた。
打たれ強く諦めの悪い甘寧は、何度倒されても起き上がってくるのだ。
「………いい加減しつこいぞ貴様!」
「へっ、何度でもかかって来いって言ったのはそっちだろ!!
絶対泣かしてやるッッ!!」
まるで子供の喧嘩だ。
それは、見守っている他の連中にも伝わっていた。
少しずつ司馬懿が押されてきている事に。
「……やっぱ、持久力ねぇな〜……」
黒い碁石を手の中で遊ばせて、夏侯淵がため息をつく。
夏侯淵自身は司馬懿の腕を知っていた。
だからこそ司馬懿に賭けていたのだが。
「甘寧殿、粘りますよね」
「そこだけが取り得ですから」
苦笑を浮かべつつ張コウの言葉に孫権がそう答える。
本当は賭けるつもりは無かったのだが、曹操に促されては断る事もできず、
結局孫権は甘寧に賭けた。
剣を持つ司馬懿を見た事が無かったから、というのも理由のひとつだ。
回を重ねる毎に、甘寧と司馬懿の打ち合う数が増えていく。
司馬懿が防戦に回った証拠だ。
「こりゃ、駄目かもしれんなぁ……」
ため息混じりに曹操が言うのに、夏侯惇が隣で小さくガッツポーズを見せる。
徐晃と張遼はただ、無言で成り行きを眺めていた。
「おら、どうした軍師サンよ!
勢いが無くなってきたんじゃねぇか!?」
「く……、舐めるなよ、馬鹿めが」
甘寧の力の篭った攻撃を受け止めて、腕が少しずつ悲鳴を上げる。
何としても、見返したかった。
司馬懿の高い自尊心が、そう思わせていた。
だが。
互いの木刀がぶつかり合い、競り合いになる。
司馬懿が不利なのは言うまでもない。
「あああああ、もう〜〜………!!」
大穴に賭けている曹操はその展開に我慢ならないようで、夏侯淵の背中を
叩きながら怒鳴る。
「おい、淵!!このままでは負けてしまうぞ!!
何とか言ってやらんか、何とかっ!!」
「な、何とかって言ってもよぉ……」
手合わせであり賭けでもあるこの試合に、直接手を出すことはできない。
他に何をどうしろと。
そう思いながら夏侯淵が困ったように曹操を見遣る。
頬を紅潮させて、興奮した様子で曹操は両の拳を握り締めていた。
これは、司馬懿が負けたら何をしでかすか解らない。
そう思って夏侯淵は、重苦しいため息を吐いた。
本当は、ハラハラしながら見ているのは自分だって同じなんだけれど。
「しょうがねェなぁ……」
頭を掻きながら、夏侯淵が立ち上がった。
「な、そろそろ諦めた方がイイんじゃねぇ?
軍師サンも結構やるじゃねぇか。それは認めるからさ、」
「フン……いらぬ世話だ」
競り合いながら、そう小声で言葉を交わす。
どこから見ても険悪そのものだ。
だが、どう考えても力では甘寧の方が上である。
上の筈なのだが競り勝てない自分にどこか非常に苛ついてきて、
甘寧が一度間合いを取るべく離れる。
その間に司馬懿も体勢を立て直して、木刀を構え直した。
「本気でいくか……怪我しても知らねぇからな」
「……どこからでも来い」
どこまでも余裕の表情を崩さない司馬懿に、益々いきり立った様子で
甘寧が木刀を振り翳して走り出した。
その時、司馬懿の耳に入ってきた、夏侯淵の声。
「仲達!!
この勝負に勝ったら、今日の晩飯は俺の奢りだ!!」
あくまでも表情は変わらない。
だが確かにその時、司馬懿の目は光を帯びた。
「その言葉に二言は無いな!?
見ているが良い、妙才殿!!」
右手に木刀を持ち直すと、それまで受け身の一手だった司馬懿が
甘寧に向かって走り出す。
上から振り下ろされる木刀を、司馬懿が下から振り上げた木刀で。
力強い音を立てて交わった。
「……意外と俗物的な所があったのですね、司馬懿殿って…」
徐晃の隣に腰掛け、組んだ足に頬杖をついた張コウが呆れた声を漏らす。
「食べ物に釣られた事ですか?」
「いえ、そうではなくて」
言いながら、張コウが徐晃の耳元に口を寄せる。
「多分…私が言っても貴方が言っても、駄目ですよ?」
「え……、ああ、」
少し考えて、そして閃いて。
「そういう事でござるか」
苦笑を浮かべて徐晃が答えた。
横に薙がれた木刀を、司馬懿が身を沈めてかわす。
それを追って甘寧が木刀を向けるよりも早く、司馬懿の足払いがその足を攫う。
「ぅわっ、たっ、」
傾ぐ身体に慌てて起こそうとする甘寧の右手を、司馬懿の左肘が打つ。
大した衝撃にはならないが、それでも木刀を手放させるには充分だった。
くるりと回転しながら、木刀は遥か後方の地に突き刺さる。
後ろに尻餅をついた甘寧に、
「終わりだ」
しゃがみ込んだままで、司馬懿が腕を持ち上げ木刀を喉元に突きつけた。
「勝負〜〜あったみてぇ〜〜だぞォ〜〜??」
間延びした許チョの声に、周囲から歓声が上がった。
この嬉しい結果に曹操が両腕を上げて叫び、更には隣に居た夏侯淵に抱きついた。
「やった!!偉いぞ淵!!」
「も、孟徳兄、俺が偉いんじゃねェよー」
夏侯淵にじゃれつく曹操の頭を、どこからか飛んできた木刀が直撃した。
「だ…っ、」
誰だ!?と問う前に、後ろから夏侯惇が。
「五月蝿いわ!!ちょっと賭けに勝ったからって、
いちいちぎゃあぎゃあと喚くで無いわ!!」
そう怒鳴りながら、負けた腹いせに曹操を階段から蹴落とした。
「…っくそ!!
何で勝てねぇんだよ……!!」
悔しそうに唇を噛んで、甘寧が拳を地に打ち付ける。
それにちら、と視線を向けて、すぐに司馬懿がそれを逸らした。
階段のところで喚く男達を眺めながら。
「戦いの相性、というものが存在するように思う。
どうあっても、どう頑張っても、どんな作戦を持ってしても、
決して勝てない相手というのがな。
ただ、甘寧殿にとってそれが私だったというだけだ」
「そんな事が…」
「私は、あると思っている。
試しに夏侯惇殿を捕まえて勝負を挑んでみると良い。
土壇場での機転が利く分、甘寧殿の方がかなり有利に動くだろうな」
もし本当に、司馬懿の言う通り相性というものが存在するのであれば。
「俺は……どれだけ力をつけたとしても、アンタにゃ絶対ぇ勝てねぇって事、か…?」
「そうなるかもしれん」
「しれんって……どういう意味だよ」
「甘寧殿の動きは素直で単直すぎるために読み易いのだ。
こう出るだろうなと予測した通りに、面白いぐらいに動いてくれる。
軍師にとって、これほど有り難い相手は居るまい?
ならば、どう出るべきか……これが、謎かけだな」
「………えーと、つまり……」
ぶつぶつと言いながら何やら考えていた甘寧が、ふと司馬懿の手に視線を止めて、訊ねた。
「そういや軍師サンよ、アンタの木刀はどこ行ったんだ?」
その問いに、司馬懿が甘寧へと視線を戻して。
「さぁ、勝手に何処かへ飛んでいってしまったな」
そう答えて、緩く笑みを浮かべた。
<終>
2009年1月 再アップ。
元は自作の配布お題に挑戦していた時に書いたもの。微妙に改編アリ。
これもちょっと気に入っていました。
書いててすごくすごく楽しかったのを覚えています(^^)