会議室でそいつは、えらく真っ青な顔をしていた。
そして、軍師のクセに発言ひとつしやがらねぇ。
孟徳兄が物凄く欲しがっていたそいつの『才』ってヤツにあんまり興味は
無かったけど、それでもどうしても目がいってしまうのは、
そいつが、あんまりにも、冷たい目をしていたからだ。
名前は、司馬仲達、といったっけ。
【この道の上に立つ】
→ 夏侯淵
初めて見たのは、街の茶屋だった。
あの時は惇兄に連れられて、ちょっとした用事で出ていたんだが、
茶屋で一服しようって事になって、寄り道したんだ。
その茶屋に、仲達はいた。
他に数人の友人だろうか、卓を囲んで何やら話している。
惇兄は以前に仲達の所に勧誘に行って、手酷く断られたらしい。
俺はそれを見てたわけじゃあないが、そいつを見た瞬間の惇兄のしかめっ面を見たら
何となく想像できた。
あんな顔をさせられるのは、他に孟徳兄ぐらいしか俺は知らない。
ただ……その茶屋では仲達は、とても楽しそうに喋っていた。
とても、楽しそうに笑っていたんだ。
それが、仕官してきたって聞いて顔を見に行ってみれば……。
あの変貌ぶりには驚いたな。
だって……あの時に見た光景が、まるで嘘だったみたいにそいつは。
笑うことを、忘れていたから。
昨日、仲達に声をかけた。
孟徳兄も惇兄もいない会議で、一人真っ青な顔で座っている。
時々、何かもの言いたげに視線を彷徨わせるくせに、何も言わずに
唇を噛み締めたままで。
それが酷く辛そうに見えたから。
「今日はこのぐらいにしようぜ。埒があかねぇ」
そう言って俺が会議を止めさせた。
張遼も便乗してくれたから助かった。
そもそも、結論の見えない会議に延々と参加しているなんて、俺たちみたいな
戦うしか取り得の無い武将には辛いだけだ。
それが解んねェなんて、馬鹿だろアイツら。
忍耐強い徐晃も、それに習って我慢してるっぽい張コウも、そろそろ限界近かったみたいだな。
実際、止めて良かったと思う。
張遼が出て行って、それに続くようにふらりと仲達も部屋を出た。
それがまた何というか、今にも倒れそうな雰囲気だったから、様子を見に行こうと
仲達を追いかけたら……アイツ、そこの廊下でしゃがみ込んでやんの。
その姿は、正直説明しにくいんだが、すごく、頼んない雰囲気だったから。
親切にも俺が声をかけてやったら……手を、払われた。
こっちを見ている目が、何もかもを拒絶していた。
ああ、嫌なんだろうな、って。
話の進まない会議も、無理矢理働かされているような環境も、何もかも。
ひょっとしたら、帰りたいって思っているのかもしれない。
でも、そんなのってあんまりじゃねェか。
コイツが発言しない、いや、できないその理由は何となく解ってる。
才あるくせに、コイツの評判は最悪だ。
この目と、突き放したような口調と、それから……その才を妬む者が居るせいで。
だったら、その才を誰も文句言えねェぐらいに見せ付けてやれば良いのに、
それができないのは、………多分。
「もう少し練る必要がある。あと一日、待ってくれ」
少しだけ、会話らしい会話ができた。
最後に仲達はそんな事を言って去っていった。
その背を見送って、俺は軽くため息をつく。
多分、本当は、イイ奴だ。イイ奴の筈なんだ。
でなきゃ、あの時茶屋で見たような、あんな顔はできないだろ。
「…変なヤツ」
思わず呟いてしまって、慌てて口を押さえた。
チラ、と視線を送れば仲達は気付いた風もなく歩いていく。
良かった。
今のがアイツに聞こえていませんように!!
また、嫌な会議が始まった。
もうかれこれ2時間ほど経つんじゃないだろうか。
そろそろいい加減にしてくれよ。
そう思って仲達に視線を向ければ、仲達自身も口を開く時期を決めあぐねているようで、
俺と視線を合わせた後に、軽く肩を竦めた。
今日は意外と顔色が良い。
その時、俺の隣で張遼が我慢ならんとばかりに机を叩いた。
「もう良い。敵軍はすぐそこまで来ているのだ。
いい加減に結論を出したらどうだ!?」
ヤツにしては随分と苛々しているみたいで、反対隣に座っている惇兄に宥められている。
少しだけ落ち着いて、張遼は仲達に視線を向けた。
「……上策は、無いのか?」
問いにしては少し、切羽詰った雰囲気だった。
少なくとも、俺たち武将側はみんな、そろそろ余裕ってモンが無くなってきていたから。
「…………」
仲達はその言葉に少し戸惑ってたようだが、椅子から立ち上がると壁に貼っていた
地図を剥がして戻ってくる。
それを机の上に広げ、その地図の上……この城から南に少し行ったところにある谷間を指で差した。
「…………挟撃。それしかあるまい」
「挟撃!?」
驚いたのは、そこに居たヤツ全員だった。
だって、挟撃ってのは。
「谷の向こうから、一体誰が襲撃すると言うのだ?
それはしかるべき場所に軍を配置できている事を前提に行える策だ。
もうすぐそこまで敵軍が来ているというのに、誰がそこまで向かえると言うのだ」
さすがの孟徳兄も驚いたみたいで、地図をしげしげと眺めて嘆息する。
だが俺は、何となく作戦の全貌が読めてきた気がした。
「夏侯淵殿、行って頂けるな?」
「よしきた!」
すかさず俺が返事する。
何となくそんな気はしていたんだ。
「淵が!? 行けるのか??」
驚いたように聞いてくる惇兄が、ちょっとだけ失礼だなって思ったかもしれねぇ。
「何言ってやがんだ惇兄!
俺が奇襲策が得意だってこと、知ってるだろ?」
「いや、それはそうだが……」
「心配すんなって!近道知ってるからよ。
今ならまだ、間に合う筈だ。決まりならもう行くぜ俺。
時間が惜しいからな!!」
ワクワクしてきた。
こんな戦が好きなんだ、俺は。
「……あ、と。そうだ。
なぁ仲達」
「何か?」
次々と指示を出していく仲達の言葉を遮って俺が声をかけると、律儀に仲達は
返事をしてくる。
「あのな、張コウも連れて行って良いか?」
「………だが、」
「大丈夫だ。俺が道を教えておく。
ちょっと考えがあるんだが……。
心配すんな、張コウも充分に疾いぜ?」
「……好きにしろ」
そう言って仲達は話を切り上げ再び机を向き合う。
話は決まったとばかりに、俺も部屋を出ようとして……振り返った。
「おい張コウ、何やってんだ。
さっさと来いよ!」
「え、あ、本当に私も行くんですか??
………まぁ、別に構いませんけどねぇ」
そうブツブツ言いながら、張コウは隣に座った徐晃と2,3言葉を交わすと
こっちに走って来る。
廊下を2人で歩いていると、張コウの意外そうな声を聞いた。
「………動くものなんですねぇ…」
当たり前だろ。
そう思って、俺は何だか可笑しくなって、笑った。