おれ、ひとつビックリしたことがあるんだ。
将来このボンゴレファミリーを背負って立たなければならない少年が、
つい今しがた獄寺に殴られ頬を腫らしたまま出て行った男の背中を追いかけるように
扉へと視線を向けたままで、そう呟いたのを聞いた。
あの山本が、この真っ黒な世界を、知り尽くしているなんて。
そう呟いた少年は、その中に居た誰よりも傷ついた目をしていた。
「10代目が……そんな風に思う必要なんてありませんよ!!」
「そうは言うけどさ、獄寺くん。
獄寺くんだって、山本がこんなマフィアの世界に足突っ込んでるなんて…って
思わなかった?」
「そ、そりゃ……アイツは野球バカですから、てっきり大リーグにでも
行ってんだろうって……」
「うん、俺もそう思ってた。
だからビックリしたんだよ、まさか、あの山本が…ってさ。
だけどそう考えるとさ、」
かわいそうでしかたがないんだ。
10年後の世界で迷子のような状態だった自分と獄寺を拾ってくれたのは、
他でもない山本本人だ。
すっかり着慣れたような黒いスーツを身に纏い、バットではなく刀を握り締めて。
「いつからこんな世界に入ってしまったのかは分かんないよ。
もしかしたら、俺とかリボーンとかが誘ったのかもしれないし……でも、
俺達3人の中でいえば、山本が一番この世界の外側に居た筈だったろ?
本当なら刀なんて持たずにバット握ってバッターボックスに立ってさ…。
ううん、それが一番山本に似合ってた筈なんだ。それなのに……」
「けど!
俺には……山本自身がそれを選んでいたように見えました…!!」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でも考えてみてよ。
俺達の知ってる山本は、マフィアのことを『ごっこ』遊びだと思ってた。
俺達と一緒に戦ってくれてたけど、でも、野球は捨ててないし、本気だった。
そう思うとさ……一体、あの山本はどれだけのものを失って此処に居てくれて
いるんだろうって」
「…………。」
「獄寺くんが俺の事を考えて山本を殴ったんだって、それは分かってるつもりだよ?
だけどさ……獄寺くんは元々マフィアの人間だったし、俺は…ボスなんて
なりたくないけど、父さんが……その、アレな仕事してるから、いつ巻き込まれても
おかしくない。
だけど山本は関係ない。関係無いのに、バットを捨てて刀を握って、あんな似合わない
スーツなんか着ちゃってさ……親父さんまで失って……それなのに、俺やリボーンが
死んで、獄寺くんも…、今此処にいるキミじゃなくて、10年後の獄寺くんも
キミと入れ替わっていなくなっちゃった。
そう考えたら、一番かわいそうなのはもしかしたら、俺でも獄寺くんでもなくて、
山本なのかもしれないって……」
「10代目……」
ごめんね、俺なんか変な事言ってるね。
あははと苦笑いを零しながら言う綱吉を呆然と見遣り、続けて獄寺は己の右手を見つめた。
考えた事なんて無かった。
ただ、この世界の綱吉は既に亡くなっていて、その時に近くに居たのが間違いなかった筈の
男を怒りにまかせて気がつけば殴りつけていたのだ。
綱吉のように、山本も大事なものを失っていて、一人ぼっちになってしまっている、なんて
思いつきもしなかった。
「フン、言うじゃねーか、ダメツナのくせに」
「リ、リボーン…!」
言葉を失ってしまった獄寺の代わりに口を開いたのは、真っ白なボディスーツに身を包んだ
小さな殺し屋。
そういえば、自分よりも一足先に此処へ来ていたリボーンは、山本から何も聞かなかった
のだろうか。
「リボーンは、山本から事情は聞かなかったの?」
「さっきも言ったと思うが、この世界はオレ達アルコバレーノにとっては毒でしかねぇ。
オレも…ジャンニーニからこのスーツ貰うまでは死にかけだったからな。
あとはこの世界で何が起こっているのか、それを聞くだけで精一杯だったんだぞ」
「そ、そっか……」
「けどツナの言葉にも一理ある。
少し山本から話を聞いてくるか」
「う、うん!頼むよリボーン!!」
ホッと安堵の息を零しながら綱吉が頷くのを見て、リボーンは椅子から立ち上がった。
かわいそうでしかたがないんだ。
そう、綱吉は言った。
こんなわけもわからない世界に飛ばされてきて、命の危険に晒されていて、
それでああまで仲間を気遣う事ができるのなら上出来だ。
やっぱりボスには綱吉が相応しいと思う。
そして、彼が率いるボンゴレファミリーには仲間である守護者が必要不可欠だ。
その考えは変わらないが、それとこれとは話が別。
山本が今、どうしてこの場にいるのか、どうしてこの世界に踏み込んだのか、
リボーンにとっても興味があった。
「山本、入るぞ?」
一応ドアの外から声をかけて、山本専用の部屋だと教えられていた部屋の中へと
足を踏み入れる。
「よー、小僧か」
ベッドに凭れかかるようにして床に座り込み、山本は腫れた頬を濡れタオルで
冷やしながら、些かばつの悪そうな笑みを浮かべて赤子を迎えた。
「ほんと、獄寺ってヘンなところで馬鹿力なのな。
見てくれよ、こんなに腫れちまった」
タオルを離して赤く腫れ上がった頬を見せおどけたように肩を竦めながら、それでも
山本は笑っている。
その余裕ともとれる態度に、少し違和感を感じた。
この山本と、自分の知ってるあの山本は、同じ人間なのだろうか、と。
「よく避けずに受けたな」
「はは、だって突然だったんだぜ?
避けるヒマなんて無かったのな」
「………本当か?」
探るような視線を向けると、うっと山本は言葉に詰まったように視線を逸らす。
綱吉や獄寺の話を聞く限り、10年前の彼らでは全く太刀打ちできないであろうモスカを
一撃で止めた。
それだけで、10年前の山本とこの山本ではレベルが遥かに違うと予測できる。
ならば彼が獄寺の拳を避けることぐらい容易かっただろう。
「ほんと、小僧にゃ敵わねーなぁ」
苦笑を零すと山本は根負けしたかのようにリボーンへと手を伸ばし己の膝の上へと
乗せた。
「うんまぁ、ツナを守れなかったのは事実だし、一発ぐらい殴られてやっても
いいかなって思ってさ。
こっちの獄寺は……俺を責めたりしなかったから、」
「当たりめーだ、そこにいたのは獄寺もだったんだろ?
なら、おめーを殴るのは筋違いってモンだからな」
「…………。」
「どうした?」
口を噤んでしまった山本を訝しんで見上げると、なんでもねぇ、という言葉と一緒に
笑みが戻って来る。
どうしてだろうか、こっちへ来てからずっと、種類は様々だが彼からは一貫して
笑顔しか表れていないように思えた。
心からの笑顔だったり、自嘲の笑みだったり、苦笑だったり。
「山本、ひとつ聞かせろ」
「なんだ?
俺で分かることなら何でも教えてやるぜ?」
「もう、『ごっこ』じゃねーのか」
「…ッ」
リボーンの問いに、山本が大きく目を瞠る。
だがそれは徐々に閉じられて、浮かんだのはやはり笑み。
「ああ………もう、『ごっこ』じゃねぇな」
「いつからだ?」
「んー……3年ぐらい前、かな?
大学は中退したしなぁ……それまでは俺、野球でプロ目指してたんだぜ?」
「やめたのか」
「そうだな、こっちの世界に来るなら中途半端な気持ちじゃだめだからな。
って、そう言ったのはお前なんだぜ、小僧」
「オレが…?」
「そ。ツナ達の力になりたいって気持ちは分かるけど、もうそれだけじゃ、
その気持ちだけじゃ足りねぇトコまで来ちまってんだって。
本当に、ツナ達と同じところに立ちてぇって思うなら、全部捨てて
刀一本で来い、ってさ」
ちょっと悩んじまったぜ、と言いながら山本は穏やかな笑顔を見せる。
どうしてだか、違和感は拭い去れない。
何故そこで笑うんだ、と胸倉を掴んで怒鳴りつけてやりたいという気持ちにさえ。
「後悔はしてねーのか」
「後悔?なんで??」
きょとんとした目で見てくる姿は、そんな事考えてすらいなかったのだろうと
思わせるのに十分だった。
「前にも言ったと思うんだけど、ダチと野球を天秤にかけるような真似は
さすがにもうしねーって。
しかも、ダチより野球をとるなんてこと、有り得ねーし」
「…………。」
「どした?」
今度はリボーンが黙りこんでしまって、山本が不思議そうに首を傾げた。
胸のモヤモヤが晴れないのはどうしてだろうか。
確かに山本を見出したのも、ボンゴレファミリーの一員に相応しいと思って
勝手に守護者に決めたのも、自分だ。
けれど、自分は本当にこんな結末を求めていたのだろうか。
笑顔を貼り付かせて、一人孤独に刀を振り続ける、そんな山本の姿を
自分は本当に見たかったのだろうか。
違う。
本当はその傍には、綱吉が、獄寺が、仲間が、そして自分がいる筈だった。
こんな孤独な戦いをさせたかったわけじゃないのに。
「………すまなかったな、山本」
「ん?どうして小僧が謝るんだ??」
「オレがお前を、引き摺りこんだようなモンだからな」
「そんな事ねーって!
だって、決めたのは俺自身だぜ?
小僧は………リボーンは、いつだって俺に逃げ道を作ってくれていた」
「……?」
「だから…って、それを言い訳にするつもりはねーけど……、
俺が中途半端だったから……守れなかった。
小僧も、ツナも、親父も……守りたかった筈なのに、」
まもれなかったんだ。
そう言って笑った山本は、とても寂しそうに見えた。
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長くなっちゃったので、一旦区切り。