「あーとべぇーーー」 妙に間延びした声と共に窓から飛び込んできたのは一匹の蝙蝠。 明日提出の課題に取り組んでいた部屋の主が、それに気がついて視線を窓へと向けた。 「………あれ?」 「おや」 月明かりの下、窓枠に止まりきょとんとした目を向けているのは薄い蒲公英色をした小柄な蝙蝠で、 驚いた目を向けている人間は、茶色のおかっぱ頭が電灯に照らされていた。 これは、もしかして。 「……俺、もしかして部屋、間違えた……?」 「跡部の奴……まだ吸血鬼と付き合ってるんだ……」 あちゃーと顔を顰める蝙蝠と呆れたように頭を掻く人間は、同時に吐息を零したのだった。 それが、出会いだった。 <The prejudice and the truth.> 「………それで、まぁ、跡部には銀の弾丸と銃を貸したんだけどね」 「へぇ、でも跡部たぶんソレ使ってねーぞ?」 「だろうね、キミを見てるとすぐに分かるよ。 もしかしてキミが忍足?」 「違う違う。俺はジロー。まぁ、おっしーと一緒で吸血鬼なのは間違いねーけど」 すぐに間違いには気付いたものの、ジローはすぐに出て行くような事はせず、 これも縁だと少し世間話をする事にした。 この人間の名前は滝萩之介といって、どうやら跡部の学友らしい。 全く知らない人間の部屋に飛び込まなかっただけマシだろうか。 だが、と蝙蝠姿のままでジローはきょろきょろと部屋の中を見回した。 さっきからどこか不穏な空気が流れている。 不穏といってもそれは吸血鬼としてのものだから、人間側からいえば清浄な、 つまり清められた空間といえば良いだろうか。 身体に響くところまではいかないが、微妙に居心地が悪い。 「……ああ、もしかして……滝ちゃんって教会の子?」 「当たり、よく分かったね」 「空気で分かるよ、俺らにしちゃ害でしかないけど、…でも中途半端だなぁ。 部屋自体を清めてるワケじゃねーんだ?」 「さすがにそこまでしないよ。 寮だし、所詮借り物の部屋だもんね」 「そっか」 納得したように頷いてみせてから、ジローはもう一歩中に踏み込んだ。 座っていた窓枠から飛び立ち、ベッドの上へと舞い降りる。 ふかふかのそれにコロンと転がると、途端に襲ってきたのは睡魔だった。 「滝ちゃんさぁ……」 「うん?」 「俺を殺そうとか、そんな風には思わねぇの?」 「…どうして?」 椅子に腰掛けたままで、背凭れに肘を乗せると不思議そうに滝は首を捻る。 半分ウトウトしたままでジローが続けた。 「だって、敵じゃねぇの? 聞いたことあるよ、教会では吸血鬼を敵として教えるんだろ?」 「………ジローは人間を殺めたこと、ある?」 「ううん、ないよ。これからも、多分ない」 「なら、俺は何もしないよ」 そう答えて滝はにこりと綻ぶような笑みを見せた。 確かに教会では吸血鬼を敵として教わり、対処法まで授けられる。 その教えとはつまり、吸血鬼は人間の生き血を啜り生きるということ、彼らに血を 吸われてしまった人間は彼らと同様の存在になってしまうということ。 そして彼らは、仲間が欲しいが故に無作為に人間を狙う、ということだった。 実際に吸血鬼に襲われたという人間の話は聞いたことがあったし、実物を見ていない 滝としては教会の教えを間に受けるしか無かったのだが、それに疑問を持つように なったのは、学友の跡部が一人の吸血鬼と交流を持つようになった頃だ。 彼は言うのだ、吸血鬼は悪い存在じゃないのだと、明らかに生態は自分達と異なるが その中身は我々と何ら変わりは無いのだと。 そして彼は吸血鬼に血を吸われ、なのにあちら側につくこともなく今も普通の人間と 同じように暮らしている。 そこで初めて疑問が生まれたのだ。 もしかして自分の知る『吸血鬼』というものに対する概念は、大きく間違っている のでは無いか、と。 此処で出会ったのも何かの縁だ、もう少し本当の吸血鬼というものを勉強してみるのも 良いかもしれないと、そう思ったのだ。 素直にその事をジローに話せば、ベッド転がっていたジローはむくりと起き上がり、 宙を舞うとくるりとその身を回転させる。 次にはもう、そこに居たのは蝙蝠では無く一人の少年。 蒲公英色のふわふわした髪の毛を揺らして、ジローはへらりと笑ってみせた。 「うわ、驚いた……人の姿にもなれるんだ?」 「違うよ滝ちゃん、俺のホントはこっちだよ? いつだったか忘れちゃったけど、そのぐらいうんと昔に、吸血鬼にされちゃったんだ」 「………そう、なんだ…?」 「あのね滝ちゃん、俺、滝ちゃんの考え方ってスゴイなって思うよ。 思うんだけど……でも、教会の教えと考え方と人間は、俺達吸血鬼にとっては ホントは必要な存在なんじゃないかなって思うんだ」 こつ、と靴音を鳴らしてジローは滝へと近づいていく。 誰にも言った事は無いが、ジローは吸血鬼という存在を信用していない。 自分も吸血鬼なのを承知の上での考えだが、吸血鬼の全員が全員、悪意を持っていないなんて 言い切れない。 大体、忍足のような考えを持つ吸血鬼が稀なのだ。 この町で、そして世界で吸血鬼がどれだけ存在するのかは知らないが、吸血鬼にされてしまった 人間は必ず一度は絶望する。 太陽の輝く時間に生きられないこと、人の血を吸わなければ生きていけないこと、そうなってしまった 事に激しく絶望するのだ。 何故自分だけが…なんて思ってしまったら、残るのは人間に対する恨みしか無い。 そうなってしまったら、辿る道はひとつだ。 「だから俺達は一ヶ所に固まって、仲間を作って暮らしたんだ。 そうすることで一人じゃないって思う。 そして夜の中で楽しいって思えることを見つけるんだ。 そうしたら寂しくなくなる。 生きていくためには確かに人間の血が必要だけど、それは俺達の中でちゃんと 約束事を作ったよ。 必要以上は吸わない、相手の人間に対して必ず見返りをつける、仲間は極力作らない、 その約束を守らない奴に対しては、仲間の内で制裁を加える。 そうすれば、きっと共存していけるって……そう信じてさ」 分かって欲しいのは、好きでこんな身体になってしまったんじゃないという事と、 自分達だって元々は皆と同じ人間だったという事。 「ジロー…」 「だけど…皆が皆俺達のような奴らばっかりじゃないよ。 人間の中にも悪い奴らがいるように、吸血鬼の中にも悪い奴はいる。 なまじ人間を超えた力を持ってる分厄介だよね。 だから……そういう奴らを抑える為にも、教会は必要だと思う。 それが俺のっていうか……俺達のグループの考えだよ」 吸血鬼を見た瞬間に悲鳴を上げられたいわけじゃないけれど、ある程度の警戒心はやはり 必要だろう。 怒りそうだから跡部に直接言った事は無いけれど、彼は自分達に対して余りにも警戒心が 無さ過ぎると思う。 初めて出会った吸血鬼が忍足だったから、仕方無いといえばそうなのかもしれないけれど。 「でも、さ。教会の奴らで滝ちゃんみたいに、俺達の事をちゃんと知りたいって言ってくれる 人間なんて居ないよ?だから、嬉しかったよ。ありがとね」 「ううん……俺もね、偏見だったなぁって………そう、思ったよ。 世界中の吸血鬼がジロー達みたいな考えを持ってくれていたら、きっと共存は 可能だったんじゃないかなぁって、そう思うよ」 けれど滝は知っている。 吸血鬼に親を殺されたと言って泣く子供を。 子供を仲間にされて連れて行かれたと嘆く親を。 「教会の連中は苦手だけど、俺、滝ちゃんは好きだよ」 笑顔でそう告げるジローに、ほんの僅かだが滝はたじろいだ。 それはきっと、この今の瞬間に自分もジローと同じ事を思ってしまったからだ。 この明るくて優しい吸血鬼を、自分は嫌いじゃない、と。 「あのさ、滝ちゃん。 俺また此処に遊びに来てもいい?」 「………うん、構わないよ。 ジローなら歓迎する」 「ホント?やった、ありがと滝ちゃん!!」 突如がばりと抱きついてきたジローに、滝は思い切り慌てた。 いきなりのこの行動ということもあるのだが、そもそも自分は教会の人間で洗礼まで 済ませてある。触れて無事に済むとは思えない。 「ちょ、ジロー!!危ないよ、だって俺……!!」 「えへへ、ちょっとぐらい平気平気!!」 焦ってそう言えばそんなお気楽な返事と、額に僅かに触れる柔らかい感触。 「わ、ちょっと、ジロー!!」 「嬉しいな、滝ちゃんみたいに言ってくれる人って居なかったからさ。 おっしーやがっくんに自慢してやろっと。 それじゃ、また来るよ。じゃあね、滝ちゃん」 にこにことしたままジローが離れ、ひょいと飛び上がるとまた蝙蝠に化け彼は窓から出て行った。 その後を残された滝が呆然としたまま見送る。 吸血鬼に触れられたのも初めてだったが。 「………吸血鬼にキスされたのなんて、初めてだ」 でも決して嫌じゃない。 思い出すかのように額に手をやり、滝は深々とため息をついた。 「これじゃ、跡部と何も変わんないじゃないか……」 どうやら自分にも不思議な友達ができてしまったようだ。 <END> 漸くジロ滝のフラグが立ちましたー!! すごく書きたいという思いだけはあったんですが、さてどういうネタ振りにしようかなと 考えている内にずるずると後ろの方へと…。(苦笑) 滝が教会の子なのでちょっと厄介なネタではあるのですが、彼らは彼らで 辿り着く場所があるので、見ていてやって下さるとありがたいです。 あと、今回跡部も忍足も書けんでスイマセン。(苦笑) |