<The failure story the rainy day and two small intruders.>










限界とは、どういう事だ?
「おい忍足、今のヤツら…」
窓を閉めて振り返るのと、ふらりと忍足の身体が傾くのとは、ほぼ同時だった。
小さいのが居なくなってホッとしていただろうサブローが、何かに気がついたように吠え立てる。
「忍足!!」
倒れ込む前に手が何とかテーブルにすがり付いて、床に膝をつけた忍足が荒く呼吸を繰り返す。
彼の身に一体何があったのか。
「おい、しっかりしろ!」
手を差し伸べて助け起こそうとした跡部の目と、ゆるりと顔を上げた忍足の金色に光る目が
かち合って、思わず息を呑んだ。
まずいと思って身体を離そうとしたが、それは忍足の腕に阻まれる。
「ちょ、忍足…ッ」
普段の彼からは有り得ない力で壁に叩きつけられ、鈍い痛みに息が詰まる。
どこかで力では負けないと思っていただけにそれは屈辱でもあったのだが、そういえば忍足は
人間では無かったのだと今更のように思い出して、短く舌打ちを零した。
これはもう、己が迂闊だったと言うしか。
「おい忍足、てめぇ何とか言え……いッてぇ!!」
抗議しようとして声を上げたが、首筋に走った刺すような痛みに噛み付かれたのだと知る。
それと同時に前にもあった、あの頭から血の気が引くような感覚に慌てて忍足の背に
腕を回した。
こくり、と彼の喉元が動く音を聞きながら、コイツ絶対正気に戻ったら殴ってやる…!と
心に誓ったのも束の間、いつまでも自分を離そうとしない忍足に、頭の中で警鐘が鳴る。
無理矢理にでも引き剥がさなければ、このまま全部吸い尽くされてしまいそうで。
だが、それはもう既に叶わぬ状態。
「ちょ……てめぇ、忍足………いい、加減に…ッ」
貧血を起こした身体では自分の声すらも遠くに感じる。
忍足の服を強く掴んでいるつもりがその力すらも奪われて、だらりとその腕が床へと落ちた。


そこまでしか、跡部の記憶には残っていない。







◆ ◇ ◆ ◇ ◆







「………?」
閉じた瞼の向こうから差してくる日の光に、いつの間に朝になってしまったのかと
ぼんやりした頭で考えながら、もぞりと寝返りを打ってはたと気付いた。
自分は一体いつベッドに入ったのだろうか。
というよりは、昨日の事が不自然なぐらい思い出せない。
確か、小さいのが2匹、乱入してきたところまでは覚えているのだけれど。
「あー……何だったっけ…」
気だるい動きで腕を持ち上げ頭を掻きながら、ベッドから身を起こす。
ありえないぐらいに身体が重いが、これは一体何故なのか。
確か昨日、あの2匹が帰った後に…
「あー……そうか…やりやがったなあの野郎……」
蘇るように頭の中に思い浮かぶ映像。
まるで狩られた小動物のように、自分は何もできなかった。
文句のひとつも言ってやりたいが、こう日も昇ってしまっていては彼ももういないだろう。
次に会ったら絶対ぶん殴ってやると心に強く誓って、さし当たって学校をどうするかで
首を捻った。
このまま体調不良と称して休んでしまおうか。
あながちそれは間違いでは無い。
時計を見ればもう7時半、今から準備をして行くのも億劫だ。
カーテンを開けるべくベッドから降りようとして、その目が緩く細められた。
部屋の隅、日の当たらないところでまだ眠っている飼い犬の傍に、蹲る人影。
あれは、まさか。
「………忍足?」
恐る恐る声をかけると、大袈裟なぐらいビクリと肩が跳ね上がった。
どうして、まだ此処に。
「お前、なんで……もう、日が」
「………お前をあのままにして、帰れるわけあらへんやろ」
立てた両膝に顔を埋めたままで、すっかり沈み込んだ声が答えた。
「大丈夫なん?」
「あぁ……ま、一応は」
「そっか…」
ホッと吐息を零して安心したように笑むと、忍足が跡部の元へ行こうと緩慢に動く。
だがそれを止めたのは跡部だった。
「ちょ、待てお前!カーテンしてるつっても、日は入ってくるんだぜ!?
 いいからそこ動くな!!」
「え、せ、せやって…」
「俺が、そっち行けば良いだけだろうが」
軽く嘆息を零すと、跡部が気合いを入れて立ち上がった。
途端に身体がふらつくが、それで倒れるほどヤワにはできていない。
途中でカーテンをもう一度しっかり閉め直すと、ほんの僅かだが光の筋は和らいだ。
忍足の傍で膝をついて、その顔を覗き込む。
「バーカ、だから無理すんなつっただろうが」
「……ゴメンな……まさか、ホンマにプッツンするとは思わなんだ……堪忍や」
「前から言おうと思ってたんだがよ、お前はちょっと我慢しすぎだ」
「………せやって、」
「俺がイイつってんだ、遠慮なんてしてんじゃねぇよ」
「………。」
「…どうしたよ?」
俯いて口を閉ざしてしまった忍足に、跡部が問い掛ける。
彼はそれに答える事は無く、ただ首を横に振っただけだった。
それに小さく吐息を零すと、苦笑を見せて咎めるように跡部が言う。
「我慢なんてするから、こんな事になっちまうんだろ?」
「……俺が素に戻った時な、跡部、そこんトコで倒れとってん」
「あ?」
「顔は真っ白で、唇は紫んなっとって……俺、ほんまに、殺してしもたんかって……」
慌ててベッドに寝かせはしたが、確認することは怖くてできなかった。
もしこのままもう目を開けなかったら……そう考えると怖くて逃げ出したくなったくせに、
この場から動く事もできなかった。
だから、ただ、彼の目が覚めるのをずっと、この場所で待っていたのだ。
「ほんま……謝って済む事や無いんかもしれん………けど、ほんまに、ゴメンな……」
膝を抱えて小さくなって、そうして謝り続ける忍足に、殴ってやろうなんて気持ちはすっかり
消えてしまっていた。
どうすれば彼を慰められるのかと、そんなことばかりが頭を過ぎって。
「………バーカ」
結局自分にできたのは、悪態を吐いてその身体を抱き締めてやる事だけで。
「俺は大丈夫だ」
「何言うとんの……まだ、全然顔色戻っとらへんやろ」
「心配しなくても、じきに治る」
人間様の回復力をナメんじゃねぇと言ってその黒い瞳を覗き込めば、それは柔らかい色を称えて
僅かに細められたのだった。







「でよ、お前これからどうすんだ?」
「どうもこうも、日が沈むまでは身動きが取られへん。
 そんなワケやしお世話になります」
「………お前ってヤツはよ…」
呆れた吐息がひとつと、揃って笑い出す声が、ふたつ。
耳をピクリと欹てて聴いていた飼い犬は、再び惰眠を貪るべく前足に顎を乗せて
大きく欠伸を漏らしただけ。








<END>







シメがうまいこといかなくて、随分な難産でしたが。
とりあえず忍足をプッツンいかせてみたかっただけですハイ。(汗)