夕闇を、一匹の蝙蝠が空を駆ける。 額には落としても気付かないぐらい小さな小さな丸眼鏡。 まだ空の端には橙が残っているが、日は完全に落ちてしまっているので問題は無い。 向かう場所は、昨日訪れた病院。 なるべく早く急いで、急いで。 < A human being is as the human being and there should be he. > 昨日、忍足に付き合って起きてくれた跡部に事情を説明したところ、その人物に 心当たりがあると言って、彼は机の上から1冊のスポーツ雑誌を持って来てくれた。 それをパラパラと捲り、ある1ページで手を止めて「コイツか?」と聞いてくる。 写真を見て、すぐに分かった。 1枚の集合写真、その中にさっき見た顔を見つけたのだ。 名を幸村精市といって、学生テニス界では注目されている人物らしい。 何でも、彼を含むたった3人で、一昨年、去年と全国を連覇してしまったというのだ。 その彼が、今、病床に臥せている。 そんな彼のために、共に戦ってきた仲間達は今年も全国への切符を手にするため 奮戦しているらしいのだ。 「……ま、俺達も全国を狙ってるからな。 そう簡単にはいかせねぇが」 そう言って笑う跡部自身もテニスをしている人間なのだと知ったのは、この時だった。 自分の為に戦う仲間達を、きっと幸村は知っている。 だからこそ、もどかしい。共に戦いたいと強く願う。 強く強く、なりふり構っていられないほどに。 そんな気持ちは解らないでもない。 けれど、ならば、やはりその願いは間違っているのだと、気付いて欲しい。 忍足は病院に向かう途中、跡部に聞いた幸村の通っている学校へと寄り道していた。 そこで見たものは、必至に戦う仲間達の姿。 パァン、とコート中に響き渡るボールの音に、フェンスに止まって眺めていた忍足は いつの間にか見入ってしまっていた。 幸村の求めている世界を知り、幸村のために戦っている者達を、知った。 外に出られない彼は、きっと知らない。 猛る声は、決して外へと向けられているのでは無い。 わからないか? 感じないか? この声は、勇ましく咆える叫びは、全て彼に向かっているというのに。 「幸村、居るか!?」 窓の縁に舞い降りてから、蝙蝠姿の忍足は人の姿へと戻る。 目の前で見てしまった幸村は、思わず大きく目を瞠った。 「すごいな、蝙蝠にもなれるんだ」 「はは、蝙蝠にしかなられへんねん」 「それでもナマで見れるとは思わなかったよ、すごいな」 「あ、せや、そんな事より幸村、お前少しぐらい立ったり歩いたりできるんか?」 「?? それはできるけど……何だよ突然」 きょとんとした視線を向けながら問う幸村に答えるのももどかしいのか、 返事を聞くなり忍足はベッドの傍へと歩み寄って彼の身体を抱え上げた。 「え、うわ、ちょっと、何だよ!!」 「ええから、ちょお来てや」 「何処へ?」 「それは行ってのお楽しみ、やで。 昨日の願いは聞いてやれへんけど、これぐらいやったらしてやれる」 「……ッ!?」 窓枠に足をかけ、飛び降りるかのようにフワリとその身を投げ出すのに、 思わず目を瞑った幸村が忍足の服にしがみ付いた。 「落ちひん落ちひん。 でも見つかると厄介やし、もうちょっと高度上げるで」 苦笑混じりの言葉と共に身体全体にぐんとかかった重力に思わず息を詰まらせたが、 それはほんの一瞬だけの事。 恐る恐る目を開けば闇の中に光る点々とした明かりが飛び込んできて、大きく目を見開いた。 「凄い……凄い!」 「綺麗やろ?俺のとっておき」 「なんだ、蝙蝠にならなくても飛べるんだ」 「飛べるけど目立ってしゃあないやん。 せやし自粛してるんよ」 「あはは」 「せやけど、俺はコレを見せたかったんとちゃうんよ?」 「え?」 「連れて行きたいトコがあるんよ。 ちょっとだけ、付き合うて」 不思議そうに目を瞬かせる幸村に、忍足はにこりと笑んで見せた。 「此処……学校?」 「せや、皆遅うまで頑張っとるわ」 「どうしてこんなトコロに……」 「お前に見せたいなって、思ってん」 テニスコートの周りを囲うフェンスの外側に降り立つと、そこで幸村を地に下ろす。 多少ふらつきはしたものの、しっかりとした足取りで彼はフェンスの傍へと近付いた。 それを少し離れたところで、忍足が見守る。 彼には伝わるか? 此処で、この場所で、幸村の帰りを待つ彼らの気持ちが。 「………あのバカたれ共が……根詰めて練習したって実にならないって いっつも言ってるのにな……」 自分に背を向けている幸村の表情は計れない。 だが、その声音は優しく響いた気がした。 「それだけ、必死なんやろ。 お前のために、頑張っとるんよ」 「押し付けがましい。迷惑だ」 「でも、お前が復帰してきた時に、負けて大会が終わってしもうてたら シャレにならんやろ?」 「そうだとしても……それがアイツらの実力だ」 「負けたくないから、実力を上げるために頑張っとるんやないか。 お前が戻ってきても大丈夫なように、舞台を用意しておくためにな」 「………。」 コートを見つめる幸村の目に、彼らは一体どんな風に映っているだろう? 共に戦いたいというのであれば、そう望むのであれば、もっと他に方法があるだろう。 「幸村、お前は……手術受けへんのか?」 「……迷ってる。 受けて、治ったとしても今度はリハビリが待ってるからな。 大会に間に合うかどうかは……賭けに近い」 フェンスに指を掛ける幸村の手に力が篭る。 かしゃんと小さく聞こえた音は、何よりも彼の心情に近いのかもしれなかった。 「だけど俺は……やっぱり、皆と戦いたい。 最後まで、同じ舞台に立ちたい」 「ほな、手術を受けたらええ。 そんで、それこそ死ぬ気でリハビリでも何でもやったったらええ。 吸血鬼になりたいやなんてアホな考えはスパッと捨てて、 お前はお前にできる事を、本気でやれや」 「…………うん、そうだな」 フェンスに額をくっつけて、幸村が喉の奥で小さく笑った。 まだ、時間は多少ある。 可能性は、残っている。 「俺、手術を受けるよ」 凭れかかるようにしていた身体を起こして、幸村は忍足に向き直る。 その表情は昨日見たものとはまるで違っていて、妙にスッキリした明るさを伴っていた。 「……そぉか」 幸村の笑みを見て、忍足もホッとしたような表情を見せたのだった。 ザッと砂を踏みつける音に気がついて、幸村と忍足が揃ってフェンスの向こうを見遣る。 その先に立っていたのは、帽子を被った一人の男。 自分達も驚いたが、その男の方がより驚愕を表情に表していた。 「………幸、村?」 「うわ、さ、真田……」 ひきつった笑みで一歩後退りしてみせる幸村に、忍足があっと口元に手を当てた。 入院中の人間がこんな所に居るのだ、しかもパジャマ姿で。 驚かない方がどうかしている。 「何をしているのだ、こんな所で…」 「え、あ、その、実はちょっと、皆のことが気になったから……その、」 「もしや……抜け出してきたとか言うのではないだろうな?」 「え、あ、う、」 何と言って良いものやらと、幸村が返答に詰まっていると。 「こ、の…ッ、馬鹿者がーーーーー!!!」 カミナリが落ちた。 思わず耳を塞いで肩を竦める2人に、何事かと集まってきたのは仲間達だ。 「…うわ幸村じゃん、どうしたんだよこんなトコロに!」 「精市は絶対安静の筈だろう?」 「困りますね、こんなトコロに来られては」 「ていうかお前、大丈夫なのかよ?」 「もしかして、先輩達が心配で見に来たとかッスか!?」 「……赤也」 「うわスイマセンっす!!」 「大体だな、幸村は部長としての自覚が足りん!! こんな事をして、身体に障ったらどうするのだ!! 全国に間に合わなければ元も子も無いのだぞ!!」 「………え?」 一斉に言葉を投げかけられ困惑していた幸村が、呆れたような真田の言葉に きょとんとした目を向けた。 「……真田、お前……」 「全国に、お前が欠けるのは許さんからな。 解ったならさっさと病院へ戻れ!!」 「俺は……」 「精市、」 何と返して良いものか解らず口を噤んでいると、真田の隣に立った痩身の男が口を開いた。 瞼を下ろして微笑みかける姿は、相変わらず優しい。 「柳…」 「待っているから。 俺達は皆、全国への切符を手にして、お前の帰りを待っているから。 心配せずとも、お前の場所はちゃんと空けておく。 だから必ず戻ってくるんだ、良いな?」 「………蓮二、お前は幸村に甘い」 「同感じゃな」 「そうかな」 真田と仁王に挟まれるように言われ、柳が困ったように笑んだ。 「だが、お前達も思っている事は同じなのだろう?」 「う……」 そう言われると否定もできず、2人は揃って視線を逸らしたけれど。 「……ありがとう、皆」 静かに言葉を紡いで、幸村は静かに笑みを零した。 戦場は違えど、戦っているのは皆同じだ。 仲間達も、自分も、どちらが負けてもこの未来はありえないのだ。 「ありがとう。 俺も頑張るから………お前達も、頑張れよ」 「「 言われなくとも。 」」 当たり前のように頷く仲間達を目に、幸村は満足そうにただ、目を細めたのだった。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 幸村の願いを叶えたわけでは無かったので、病院に連れ帰った後そのまま 去ろうとすれば、彼は忍足を呼び止めた。 望みを叶えてもらったわけではないけれど、忍足の心遣いとその先で得たものに 相応の価値があったのだから、取り引きには応じるというのだ。 つまり、それは血をくれるという事で。 「……ん、おおきにな」 腕から3口、取り引き通りに血液を貰い礼を言うと、若干顔色を悪くした幸村が ベッドに横たわりながら苦笑を浮かべた。 「なんだ、吸血鬼って首から吸うもんだとばかり思ってたな」 「そんなコトはあらへんよ。 血管通っとるトコロならどこからでもええねんで?」 「いやホラ、でも図的にあるだろ? 腕からなんて、なんか採血でもされた気分だ」 苦笑を見せつつ腕についた噛み痕にテープを貼ってくれている忍足にそう問えば、 くすくすと笑い声を上げながら彼は答えた。 「ええやん、採血された程度やて。 それに……首からっちゅうのんは、俺らにとってはちょお意味のあることでな」 「そうなんだ?」 興味を持ったらしい幸村に、痕は2〜3日で消えるから安心しろと言ってやってから、 忍足が特に隠すでもなく教えてやった。 「俺らにとって、首からっていうのには『服従』とか『忠誠』っていう意味があってな? 後ろから噛み付けば『相手を服従させる』、前からなら『相手に忠誠を誓う』、 まぁ……そんな意味があるんやわ」 だから滅多に首に噛み付くようなことはしないのだと言えば、初めて知ったのだろう 幸村がへぇ、と声を漏らした。 「知らなかったなぁ……映画とかだとよく後ろから噛み付いてるじゃないか」 「まぁなぁ、せやけどその後の展開を考えると、それもあながち間違いでは無いんやけど」 「後ろからと前からで、意味合いが逆になるんだな」 「せやで?後ろからはともかく、前からっちゅうのんはまぁ……滅多にないなぁ」 むやみやたらに人間を服従させたいとは思わないし、誰彼構わず忠誠を誓いたいわけでもない。 それだけの価値がある人間に出会うこと自体が稀であるから。 「ほな、きばって治しや? また気が向いたら遊びに来るわ」 「ああ。何ていうか……色々と有り難う」 「気にせんでもええってな」 ほなさいなら、そう告げて忍足は蝙蝠に化けると夜の闇へと飛び出して行った。 ベッドに横たわったままでその小さな姿を見送りながら、幸村が僅かに微笑む。 確かに吸血鬼だった。 だが、話で聞いたものほどの恐怖は感じない。 怒ったり、呆れたり、嘆いたり、笑ったり。 言われなければ、人ならざる者の部分を見なければ、きっと気付かなかっただろう。 「あ……名前訊くの忘れたな」 ふいにそんな事を思い出して、あーあと嘆息交じりの声が零れる。 人間よりも人間くさい彼が、忠誠を誓うような相手が果たして居るのだろうか。 だとすれば一度、見てみたいものだ。 「今度会ったら、訊いてみようかな」 風に揺れるカーテンをぼんやりと眺めながら、幸村はそう呟くのだった。 パタパタと、小鳥の羽ばたきにも似た音が空を切る。 来たか、と机に向かって明日の予習をしていた手を止め、窓辺を見遣る。 蝙蝠姿の彼は窓辺に降り立つと人の形へと姿を変え、微笑んだ。 「よぉ、忍足」 「跡部!跡部ちょお聞いたって! お涙頂戴のちょっとええ話やで?」 ちょっといい話ねぇ。 そう口に乗せて、困ったような呆れたようなそんな笑みを見せる跡部の首元には、 何かを隠すように白いテープが貼ってあった。 <END> お、終わった…!! このパラレルを考えた時に、幸村メインでこの話を書きたいと真っ先に思いました。 上手くカタチにならなくて青学の別キャラメインの話を書いていたところやっぱりそれも 行き詰まって最終的にこの話に戻ってきてみたりして。(笑) 幸村と立海大メンバーの話は、一度はやってみたかったネタなのでありました。 大体雰囲気を掴んでもらえたかな、と思うのですが、こんなカンジでゲストキャラの 願いを解決したり更にこんがらがってみたりさせながら、一方で跡忍を進展させつつ 更にもう一方で忍足を含めヴァンパイア達の生態や過去などを暴露してけたらな、と そんな風に考えている世界であります。 一番最後に持ってくる話はもう決めてあるので、とりあえずネタの限りを出し尽くして いきたい所存であります。 このパラレル世界もどうぞご贔屓にv |