第8幕:それが、証 練習ではなく正式な試合でシングルスをする忍足は、実のところ初めて見た。 だから、知らなかった。 まさか彼が、あんなに。 「強いんじゃねーか、侑士」 試合の行く末を見守りながら、向日がぽつりと呟いた。 シングルスでも充分やっていけるほどの力量を、彼は手にしていた。 「なんで今までダブルスなんてやってたんだよ」 「……それは多分、ダブルスでなきゃ得られねぇモンを、ちゃんと知ってたからだろ」 一人で戦うのと二人で戦うのとは、根本的に大きく違う。 一人一人の力量も必要になるが、それ以上に相手を信じて呼吸を合わせる、そのリズムが 何よりも重要になるのだ。 「けど…」 「てめぇのせいだからな」 「それはさっきも聞いたっつの! だから何で俺が…」 「てめぇが、蛙を井の中から引き摺り出したんだぜ?」 「……俺が…?」 光を遮断する暗い井戸の底で、自分の世界はこれだけで充分だと笑う蛙を。 そこに無理矢理手を突っ込んで、腕を掴んで光を見せたのは。 「だから、責任取れつってんだよ」 「ばっかやろ、そんなの俺のせいだけにすんなよな。 お前だって…その先に広い海があるって教えたのは、お前だろーがよ」 「……俺かよ」 跡部と忍足が試合をするのを見たのは初めてでは無かったが、跡部が、そして忍足が あそこまで本気の勝負を見せていたのは、あれが初めてだったかもしれない。 そして忍足の底に眠る強さを引き出したのは。 「ま、結局どっちもどっちって事だよな」 「一緒にするな」 「うわ、何一人で他人ぶってんだよ跡部」 「…って言ってやりたいところだが……不本意だがしょうがねぇな」 「そうそう、人間素直が一番!ってな」 「調子に乗ってんじゃねぇ」 「あいてッ!」 眉を顰めて不快を露にしながら跡部が向日の頭を軽く小突いて、顔を見合わせ苦笑する。 コートの中では沢山の歓声の中、ゲームセット、と審判の声が上がっていた。 桃城と試合後の握手を交わし、ガットの切れたラケットを手にしたまま忍足が ゆっくりとコートから出て来る。 だが足はベンチには向かわず、最も大事にしている相方の元へと向かっていた。 「……岳人、」 「お疲れ侑士!やったじゃん!! カッコ良かったぜ!!さっすが!!」 流れる汗を拭おうともせずにただ真っ直ぐ向日へと声をかけると、ニッと明るい 笑みを見せた向日が労いの言葉を投げた。 この試合、勝てたら言おうと思っていた。 「岳人………俺を、許してくれる?」 あの日、全てを投げ出した自分を。 あの日、目を逸らした自分を。 「………侑士…」 どこか沈痛な面持ちで言う忍足を、向日はやや面食らったように見返した。 あの平然とした表情の下で、もしかして忍足はずっと気にしていたのだろうか。 もしかしたら、今までだって。 隠すのが上手いだけで、本当は、心の中で色んなコトを思っていたのだろうか。 気付かなかったのは、自分の方なのか。 「侑士……お前さぁ」 じっと下から見上げるようにして声をかければ、びくりと忍足の肩が跳ねる。 叱られる子供のような表情をしているのが実に興味深い。 けれど。 「やっぱり侑士は、俺の自慢の最ッ高のパートナーだぜ!!」 自分の中で最大級の笑顔を見せながらそう言えば、唖然とした目が問うてきた。 許してくれるのか、と。 「岳人、俺……」 「やればできるんじゃん、侑士。 なぁ、跡部?」 悪戯っ子がするような視線で跡部に言葉を投げると、傍で見守っていた彼が どうしてそこで俺に振るんだよ、とぼやきながらも手元にあったスポーツタオルを まるで忍足を隠すかのように頭から被せると、軽く掻き混ぜるように撫でた。 「……跡部、」 「ンだよ」 「勝ったで、俺」 「……ああ」 細く聞こえてくる忍足の声に、仕方無さそうに笑んで跡部が忍足の肩に腕を回す。 試合を目にして、すぐに分かった。 氷のように冷えきった瞳の奥にある、熱くなりすぎじゃないかと思うぐらいの 燃える闘志を。 目の前の相手と戦いたいという欲求を。 諦めないという、意志を。 「………よくやった」 「ああ……おおきにな」 どんなに追い詰められても決して諦めたりしなかった。 今こうして3人で立っていられるという事が、彼が戦い抜いたという証だ。 NEXT>>「一歩、また一歩と」 そして、次のステップへ。 |