第6幕:成長という変化







「おい、1面空けろ」
「え……あ、忍足?」
レギュラー専用のコートにやってきた跡部は、ラリーを止めさせると
そう言い放った。
汗を拭いながら不思議そうな表情で宍戸が忍足に視線を向けた。
何故、と問いたげな視線に苦笑で答えていると、跡部は自分のラケットを持って
コートの片面へと入っていった。
やれやれと肩を竦めながら、忍足も自分のバッグからラケットを取り出して
反対側へのコートへと歩いていく。



試合に出る条件は、跡部と練習試合をして、彼を認めさせる結果を出すことだった。



「え、勝たれへんでもええんや?」
「アーン?てめぇ、俺様に勝てるとでも思ってんのかよ」
「……どうやら失言やったみたいやな」
勝敗の方は問われないようだ。
それはそれで有り難い。
確かにどう考えても、自分では跡部に勝てないだろう。
諦めるとかそういうのとは少し違い、これは事実として受け止めていた。
つまり、跡部は。
「手ぇ抜いたと感じた時点で止めるからな。
 せいぜい本気出してこいよ?」
サーブは跡部からだ。
ラケットを構えてボールを待ちながら、忍足はただ前を見据える。
最後まで喰らいつくこと、それがこの試合に意味を成すのだ。










ドッ、とボールがコートに突き刺さる音を聞いて、忍足が僅かに眉を顰めた。
今ゲームは4−2、そして30−15だ。
何とか2ゲームは取ったものの、どう考えても不利な状況。
「ほんま……お前、強すぎやなぁ」
荒い息を整えながら忍足が口元に笑みを乗せた。
コートの向こうでは、小馬鹿にしているとも受け取れそうな表情で跡部が
笑っている。
もちろん力一杯馬鹿にしているのだろう、あの跡部のことだ。
ふと周囲に視線を向けて、部員達が固唾を飲んでこの試合を見守っていることに
気がついた。
注目されるのはあまり好きではない。
「余所見してて良いのかよ。余裕だよなぁ?」
跡部の声が聞こえてきて、慌てて忍足は前を向いた。
ボールは小気味の良いインパクト音を上げて、コーナーへと突き刺さる。
これで、40−15だ。
「どうした忍足、もう諦めるのか?」
「……ッ、」
跡部の言葉に、強く歯を食い縛った。



諦めた方がラクなのは分かっている。
けれど、それじゃ駄目なんだ。
最後まで力を出し尽くさないと、この男は絶対に認めやしないだろう。


胸の底に、蒼く仄暗い炎が燈る。










トッ、と遠慮がちな音を立てて、そのボールはネットのすぐ傍に落下した。
「………?」
訝しげな表情のままで、跡部は忍足へと視線を向ける。
あの体勢からでは絶対にロブを上げるしか無かった筈だ。
今、彼は何をした?
「忍足…?」
「俺は……まだ、止めへんで」
ラケットを静かに下ろして、忍足が真っ直ぐに跡部と視線を合わせる。
すとんと表情の消えたその顔からは、どの感情も窺えてこない。
完全なる無表情。言い表すならそうだろう。
「忍足……お前、」
「ほな、次いくで」
ボールをバウンドさせていた忍足が、高くトスを上げた。




表情を無くし、感情を消したその顔からは、何も見えない。
けれど内の熱い思いは、間違いなく彼の心の中で燃え盛り、そして。


これが、忍足侑士の本質か。




結局、試合は6−4で忍足が負けてしまった。
けれどそこに後悔は無いし、ましてやそれをどうでも良いとは思わない。
全力でやったのだから。最後まで。
「おい忍足、」
スポーツタオルを首に巻いて例のオーダー表を眺めながら跡部が声をかける。
ドリンクを喉に流し込んでいた忍足が、それにきょとんとした視線を向けた。
「なん?」
「お前………S3に入れ」
「え…」
「雪辱戦だ。今度こそ諦めるのは許さねぇからな」
オーダー表に名前を記しながらそう告げる跡部に、忍足の顔に柔らかい笑みが乗った。







NEXT>>「諦めない意志」








分かっている。
もう、自分から手離さなければならないものなんて、何一つ無いんだってこと。
何かを得ようと手を伸ばすことも、許されているんだって、こと。