第5幕:導いて行く







例え本人の思惑がどうだったとしても、実力があればレギュラーからは外される
ことはない。
それが氷帝学園テニス部の暗黙の了解だ。
そして、忍足の場合はその実力に恵まれていたからこそ、その地位だけは
誰にも脅かされることは無かった。
そうでなければ、恐らく彼は此処には居ない。







「シングルスか、補欠。
 もう選択肢はそれしかねぇな」
オーダー表をトントンとボールペンで突付きながら、跡部がそう告げた。
今、部室の中には跡部と忍足の2人。
他のメンバーは皆コートに出ている。
そして2人は此処に残って何をしているかといえば。
「さて、お前はどっちを選ぶ?」
「……お好きな方で」
跡部の言葉にやや俯いたままで忍足はそう答えた。
「んっとにてめぇは無欲だな。
 試合に出たいとは思わねぇのかよ?」
「そら……せやけど、決めるのは跡部と監督やん。
 俺は別に決めてくれた方で……」
どうしてこう、しつこく彼は絡んでくるのだろう。
別に試合に出たいとか、勝ちたいとか、そんなものはどうだって良いのだ。
テニスができればそれで良かったのだ。
なのに、どうして。
「……何も分かっちゃいねぇな、お前」
「なにが……」
「お前の本心は一体どこだ?」
「俺の…?」
「こないだからずっと探してんだが、それだけがどうしても掴めねぇ」
俯いて黙ってしまった忍足に、跡部が軽く肩を竦める。
「でも、とか。だって、とか。
 そんな言葉で濁しやがって、お前の心が見えてこねぇ」
「………俺は…」
「言ってみろよ、期待してねぇならしてねぇで、それで構わないだろ。
 じゃあもういいや、みたいな感覚で何もかも投げ捨ててんじゃねぇよ」
「捨ててなんか…」
言い募ろうとして顔を上げた忍足が、跡部の顔を見て口を噤んだ。
饒舌に喋っているが、彼は目は怒りのそれだ。
知らない間に酷く怒らせてしまっていたようだ。



「捨てたじゃねぇか。
 試合も、テニスも………岳人もよ」



岳人も。
その言葉に忍足がぎゅっと唇を噛み締める。
「…ガキの玩具じゃねぇんだ、捨てられりゃ、それなりに傷つく」
「岳人は……傷ついたんやろか」
「でなきゃ、お前とのダブルスを解消したりはしねぇだろ」
「それは……」
短く吐息を零すと、跡部は机の上で握り締められている忍足の手をやんわりと取った。
細い指ながらも節くれだったそれは、自分と同じように練習を積み重ねてきた証だ。
それをどうしてこの男はいとも簡単に投げ捨てることができるのだ。
「少し…勇気を出してみないか」
「え…」
「勝てないから諦めるんじゃなくて、手に入れられないから捨てるんじゃなくて、
 頂点に辿り着けないから歩みを止めるんじゃなくて……もっと、欲を出せよ」
「跡部……」
「無欲な人間ほどつまらないものは無ぇんだぜ」
実力は努力した証拠だ。
確かに多少の才能で左右されることもあるだろう。
けれど、努力に勝るものはない。
少なくとも跡部はそう信じている。
そして忍足はその努力のできる人間なのだ。
そんな彼が、全てを投げ捨てているなんて、勿体無いだろう。
「岳人のことにしてもそうだ。
 試合中にお前がそんな事したから、アイツは自分のことなんて少しも
 頼りにされてないんだって、そう思ってやがる」
「そんなこと…!」
「お前がどう思っていても、受け取る側はそう思っちまうんだよ。
 息を合わせなきゃ勝てないダブルスを、お前が一方的に切り捨てた」
切り捨てられたのは試合と勝利と、相方の向日岳人。
放棄されたその試合を、向日はどんな思いで見つめたか。
「……俺………なんてことを………」
謝るか?
いや、謝罪なんかで済む話じゃない。
これは態度で示さないと、意味が無い。
今にも泣き出しそうな瞳で、だが涙は零される事無くただ忍足は俯いた。
「まだチャンスはあるぜ、忍足」
跡部の言葉に、弾かれたように忍足が顔を上げる。
彼が手にしているのは、全国大会に向けたオーダー表。
ダブルスはもう岳人とペアを組む相手が決まっているので、D2・D1共に
名前が埋まっている。
空いているのは、控え選手と、シングルス。
「さて、もう一度訊くけどよ。
 シングルスと補欠、お前はどっちを選ぶ?」
「俺……俺、は………」
決して欲が無いわけではない。
ただ、得られなかった時の喪失感が、恐ろしかっただけだ。
それを味わうぐらいなら、自分から捨てた方が痛くなくて済むだけだ。
けれど。



「俺………もう一回、試合に出たい」



強い瞳で答える忍足に、跡部の唇がゆるりと弧を描いた。







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もう一度チャンスをくれるなら、今度こそ、俺は。