第2幕:傷つくことから逃げ出して







同じコートに立っていたからこそ、分かる事だってあると向日は思っている。
シングルス一本で通ってきた跡部には、永遠に理解できない世界だろう。
言葉が無くても意思を通じ合わせる、合図が無くても呼吸で合わせる、
それができるのがダブルスだ。
けれど、途中でそれが大きく覆された。
もちろんきっかけは自分がペースを乱した事、それが第一に挙げられるだろう。
自信はあった。本当は自信があったのだ。
どれだけ窮地に陥ったとしても、自分と忍足は力を合わせて乗り越えられると。


まさか、放棄されるだなんて、思わなかった。







「がっくん、いい加減に泣き止みなって」
「うるせ、ジロー。お前もう帰れよ」
「だってこんなにベソベソながっくん放ってけないC〜。
 せめて跡部とおっしーが帰ってくるまではねー」
「…っ、なんでその2人なんだよ!」
「え、原因ってそこじゃないの?」
「………そうだけど」
鼻を啜って、向日がソファの上で小さくなるように膝を抱えた。
原因はもちろん忍足侑士の方だ。
試合で負けたことよりも、全国に行けなかった悔しさよりも、むしろそっちの方が
強かった。
観ていた者はみんな、桃城が忍足の攻撃を全て抑えたと思っているだろう。
だが実際は少し違う。
本当は裏をかくのが誰よりも巧みな忍足だ、桃城の手の更に裏を取るぐらい
本気でやればできたに違いない。
なのに忍足は、途中で全てを投げ出してしまった。
その理由にまでは見当がつかないけれど、それまでの相手を探るようなプレイが一瞬で
消えてしまった事を肌で感じたのだ。
まさか、打つ手が無くなったと思ったわけではあるまい。
ならば何故、そう思って思考はいつもふり出しに戻る。
もちろん負けたことを忍足のせいにするつもりは少しも無い。
元はといえば、序盤で飛ばしすぎた自分の責任でもあるからだ。
「あ、跡部におっしーじゃん。おっかえり〜!!」
「……んだよジロー、まだいたのか」
部室のドアが開いて、忍足を連れた跡部が戻ってくる。
それを見て手を振るジローに跡部が遠慮なく言葉を放った。
「うっわ、ヒドいんじゃねー?それって」
「大方、岳人の守りでもしててくれたんだろ?ご苦労だったな」
「んじゃ、俺先に帰るね」
「ああ」
「また明日な」
バッグを担いで跡部と忍足の横を通り抜け出ようとしたジローが、ふと忍足の横で
足を止めた。
「あ、ねえねえおっしー、」
「どないしたん?」
「おっしーってさ、合わせるの巧いよね」
「は…?」
「そんじゃー!!」
訝しげに視線を向けた忍足にヒラヒラと手を振ると、ジローは部室を出て行ってしまった。
ぼんやりとその背を見送るようにしていた忍足が、首を傾げて向き直る。
それに跡部が嘲るように口元を歪めた。
分かる人間には、分かってしまうものなのだ、と。







「………侑士、俺、納得いかねぇ」
ソファで蹲ったままの向日からそんな声が聞こえて、忍足はゆるりと室内に目を向けた。
見慣れた赤い髪が、ソファの背凭れの向こうからチラチラ覗き見えている。
やれやれと吐息を零すと、忍足は静かに向日の傍へと歩み寄った。
「ごめんなぁ、岳人。俺の力が足りんかったから、」
「そんなコト言ってんじゃねぇ!!」
慰めるような声をかけると、逆にそれが癇に障ったのか向日が背凭れの向こうの
忍足を睨みつけるように見据えて声を荒げる。
驚いたのは忍足の方だ。
「ラクな方に逃げんのは、もうやめろよ、侑士……」
「何が…」
「負けても仕方ないなんて……思わないでくれよ……」
「………。」
まただ、と忍足が眉を顰める。
どうして彼らはそんな風に言うのだろう。
決して自分を責める言葉では無いのに、居た堪れない気分になってしまう。
「忍足」
立ち尽くすしかない忍足の肩に手を置いて、跡部が訊ねた。
「悔しいか?忍足」
「そら、悔しいて思う………けど、」
「………。」
「しゃあないやん?負けは負け、や」



何故分からないのだ。
そうやって諦めて見ない振りをして遠ざけて。
自分から世界を狭くしてしまっているという事実に、彼は気付かない。
いや、気付こうともしない。
負けは負けだと潔く認めるような振りをしてみせて。



「………無意識、か」
「は?」
「いや、いい。とりあえず忍足も見つけたしもういいだろう岳人、
 今日は部室を閉めるから、お前らはもう帰れ」
「………わかった」
「はいはい」



さっきまでの会話も無かったかのように、普段と変わらない飄々とした振る舞いで
忍足は仕方無さそうに肩を竦めると、自分のバッグを手に部室を出る。
その心中は如何ほどのものか、きっと誰にも読めやしないのだろう。
一番近くにいる、向日や跡部だったとしても。
それが理解るからこそ、2人は歯痒くてどうしようもない気分にさせられるのだ。





自分の感情は全て隠して、全てのものを諦めたように突き放して。
本当に痛い部分は、いつまでも蓋をして閉じ込めたままのくせに。









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こんな簡単なことなのに、どうして気付けないのだろうか。
当たり前になってしまった感情は、今も彼を蝕み続ける。