第18幕:過去
忍足に霊感が出てきたのは、そう昔の事ではない。
小学校の、ちょうど5年に上がった頃の事になる。
きっかけを必要とする事の無い霊感という能力は、自然と忍足の中に備わった力だった。
まだ、その頃の忍足は関西に住んでいて、跡部も向日もその頃の忍足は全く知らない。
昔話というには少し新しい、そんな頃の事。
「この傷なぁ……前に岳人が何があったんかって聞いたやろ?」
「うん」
「事故ってわけじゃぁ……無さそうだな」
「せやねぇ…事故っていえば事故になるんかもしれへんけど……。
これは……俺が自分でやった傷や」
「うわ、自分でかよ。……自殺か?」
「ちゃうちゃう、そんなんや無うてな。
なんつーか……親友を殺しそこなった、その痕や」
最初は、当然この力に戸惑った。
見えないものを感じることにも、恐怖を感じた。
そして、誰かが死んでいくビジョンを見てしまうのも、まだ幼い忍足には
相当な恐怖の対象だった。
霊感のカケラも無い両親は、そんな忍足の話には全く取り合うこともなく、
もっぱら相談相手になっていたのは、小学校を入学した時からの、親友だった。
「あん時も…なぁ。
まだ慣れてへんかったから、シンクロしまくってたしな…。
あの時の俺には、その友達の姿が友達には見えてへんかってん」
学校の帰りに、いつものように親友の家へと遊びに行って、
遊んだついでに、今自分に憑いてるモノの事を、話していて。
親身になって聞いてくれる、親友だった。
面白半分興味半分だったのかもしれないけれど、話を聞いてくれるだけでも
その時の忍足にとっては救いだったのだ。
「あれ、何であんな事になってんろ……。
確か、おやつにリンゴがあんでーって話になって……ああ、そうや」
丁度両親が不在だった親友の家には、刃物を扱ってくれる大人は居なくて、
それでもリンゴを剥く事ぐらいなら自分たちにだって出来る、と頷いて、
勝手知ったるとばかりに忍足が台所へと包丁と皿を取りに行ったのだ。
そうして、それを握り締めて親友の部屋へと戻った、その時。
「……ほんまに、あいつが、違う人間に見えてん。
殺したいほど憎くて憎くて憎くてしょうがない、そんな人間に見えてん。
自分を傷つけた、こんな風にした、ナイフで刺してきた、その張本人やって。
………これが、ほんまのシンクロや。まぁ、状況は色々あるけどな、
あの時は……ほんまに最悪のパターンやった」
どうしたことか、目の前に憎い相手が居るじゃないか。
しかもご丁寧に自分の手には、刃物まであるじゃないか。
これは、これは好都合。
思わず駆け寄って、相手の後ろの髪を掴んで思い切り引き倒した。
何か大声で叫んでるけど、そんな事どうでもいい。聞いてやらない。
上に乗り上げて、包丁を握り締めて。
今こそ、この恨みを受け取るが良い、と。
包丁を相手の心臓目掛けて振り下ろした。
【………ッ、ゆう…!!!】
我に返ったのは、親友の絶叫が聞こえたから。
瞬間に世界は全て元に戻る。
組み敷いている下には、恐怖で顔を引きつらせている、親友の顔。
戻らないのは、己の腕。
「……あの時は、ほんまにテニスしてて良かったなぁって、思ったわ……」
振り下ろした腕の勢いは止められない。
そんな自分に出来た事といえば、とっさに手首を曲げる事だった。
この頃から既にテニスをしていた忍足の手首の柔らかさが、親友の命を奪う事を止めさせた。
その代わり、向きの変わった刃は、自分を貫いたけれど。
焼けるような熱さと、死んだ方がマシだと思わせるぐらいの痛み。
相手も自分自身も何かを叫んでいたようだったけれど、すぐに意識を失った忍足には
知る由も無かった。
「そんで…目ェ覚めたら、病院で……全部、終わった後やったわ」
何十針も縫ったけれど、奇跡的に忍足の命は助かった。
だがそのまま1ヶ月ほど入院を強制させられて、漸く退院してきた頃には
何もかもが終わってしまっていた。
周りの、自分を見る目が何か変わってしまったような気がする。
それを不審に思った忍足が知ったのは、自分が気を失った後の事。
血塗れになった忍足の姿を見て半狂乱に陥った親友は、救急車を自分で呼ぶという事が
できるはずもなく、泣き喚きながら隣の家に駆け込んだのだ。
そこから、この一件の話は飛ぶように周囲を駆け、自分が戻った時には
話は随分と曲解されて学校中に広まってしまっていた。
だが、『忍足侑士が友人宅で自殺を図った』となっている辺り、親友は最後まで
その凶器が本当は己に向けられていたのだという事を言わなかったらしい。
そして。
「酷い目に合わせてしもうた友達は……もう、その時には居らんかった」
聞けば、自分が入院している間に引っ越してしまったらしい。
何処へ行ってしまったのかは、教えてもらえなかった。
今思えばそれも仕方ない事だと思う。
殺されそうになった上に、次には目の前で相手が血塗れになったのだ。
彼の負った心の傷は、如何ほどのものだろう?
その生々しい現状を突きつけてしまったのは、他でもない自分自身だ。
後悔ならずっとしている。
だが、謝りたいと思う気持ちも、告げなければならない言葉も、届けるべき相手はもう居ない。
そして、自分も。
「結局……その学校も街も、とにかくその場所には居辛うなってな、
そんで、家族揃ってこっちに出てきたんや。
丁度親父がやっとる病院がこっちにもあってな、転勤ってカタチで…」
あの時、自分の領域に彼を連れ込まなければ、こんな事にはならなかっただろうか。
自分の霊感の事を話さなければ、離れずに済んだのだろうか。
親友…という立場でなく、一定の距離を持った関係であれば、傷つけずに済んだだろうか。
相手も……そして、自分も。
だから、もう親友は要らないと思った。
友人も一定の距離を置くようにした。
領域を踏み荒らそうとする奴は、突き放した。
そういう風に自分という人間を象ったら、どうもクールな奴だと思われるようになってしまったが、
それはそれで好都合だと思った。
自分は誰も必要としてはいけない。
近づく人間を許してはいけない。
でないといつか、また。
もう、誰かを傷つけるのは嫌だ。
誰かを失うのは嫌だ。
その為の嘘なら、笑顔で吐ける。
その為になら、いくらだって自分は我慢できる。
だから、お願い。
もう、誰も居なくなったりしないで。
<続>
※忍足の心の闇は深くて、昏い。
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