第13幕:エゴイスト×3

 

 

 

我慢ならないといった表情で跡部が立ち上がる。
そう離れているわけではない距離を大股で歩き、冷ややかに忍足を見下ろした。
「……跡部、お前ちょお足癖悪いで?」
「テメェ、殴られてーのか」
「何やのん、恐いやっちゃな」
肩を竦めて忍足が苦笑する。
こんな時にまで淡白でいられる忍足が理解できなかった。
少し前から思っていた事だ。
忍足には何かが欠落しているような、そんな気がしていた。
それが何なのかは今の段階では解らないのだが、逆にそれが跡部を苛つかせる
原因となっているのではないかと思う。
「冗談じゃねェぞ」
「何が?」
「そんな簡単に辞めさせてもらえると思ってんのか?」
「……なんか脅迫されとる気分やな」
「フザけんのも大概にしろ!」
忍足の胸倉を掴んで、跡部が声を荒げた。
「お前には、氷帝テニス部レギュラーとしての自覚が足りねぇみてーだな」
「…辞めようが辞めまいが、そんなん個人の自由やろ?
 跡部にそこまでの権限なんか無い筈やで。
 それに、そうまで言うんやったら、お前の鶴の一声で
 俺をレギュラーから外したってくれたらええやん。
 そしたら俺も気ィ張る必要あらへんし、もっと気楽にやってけるわ」
思わず、忍足の頬を力一杯殴っていた。
荒く息を吐いて、左手で怒りに震える右の拳を押さえる。
やや時間をおいて、左の頬を擦りながら忍足がむくりと起き上がった。
「……手ぇ出すのは感心せんな」
「ハン!知るかよ。テメェが大概な事言いやがるからだ」
「結局、自分の目的は何やねん。
 跡部は俺にどうしてほしいんや」
「別にテメェにどうこうしてほしいわけじゃねェ。
 俺は、今のこの面子で、最高の攻撃力で全国を目指しているだけだ。
 だから……テメェの我儘に付き合ってやる暇なんてねーんだよ」
「なんや、結局お前も自分の事しか考えとらへんのやないか」
「ンなのお互い様だろ」
「なんでや」
「言っとくが、テメェをレギュラーから外したら、一緒に岳人もレギュラー落ちだからな」
「な…っ、」
一定の表情を保っていた忍足から、一瞬、感情のたがが外れる。

 

「なんで岳人もなんや!!岳人は関係あらへんやろ!!」

 

思わず跡部が、くつくつと喉の奥から笑みを零した。
「一蓮托生だ、バーカ。それがダブルスってモンだろ。
 テメェの事しか考えてねーのは、お前の方なんじゃねーの?
 大体、クセのありまくる岳人をカバーしきれるのは、お前しかいねーんだよ。
 お前のいない岳人には意味がねェ。
 岳人のいないテメェにも……意味はねェがな。
 それでもレギュ落ちを望むのであれば、そうしてやっても良いが……」
脅迫だ、これは。
向日を人質のように扱われて、自分にどうしろと言うのだろうか。
だが、そう言われてそれでも構わないと言えるほど、忍足と向日の間に友情が無い
わけではない。
無いはずが、ないのだ。
「……お前…ほんまにタチ悪いで……」
「何とでも言え」
「俺に関わったらあかんて……言うてんのが解らへんのか、お前らは」
「1年関わってきたんだ、それこそ今更言うんじゃねェ」
忍足の持つ自分のジャージを取り返して羽織ると、跡部はそのまま出入口の扉へと向かう。
岳人を捜して来ると言って、彼は出て行った。
しんと静まり返った部室の中で、ただぼんやりと忍足はソファに転がったまま蛍光灯を見上げた。
脇腹の古傷が、痛む。
じくじくと疼くようなそれは、嫌でも過去を思い出させた。
あの時から、親友など作らないと決めたのに。
誰にも頼らないと、己の力で何とかすると、決めたのに。
どれだけ親しくしても、その一線だけはずっと守ってきた筈のに。
どうしてあの赤髪の少年はずかずかと領域に踏み込んでくるのだろうか。
「………少し、言い過ぎたんやろな、俺」
傷付いたような瞳が頭に焼きついて離れない。
殴られた頬に触れると、ちくりと痛みが走った。
解っている、さっきのは自分が悪い。
冷静になりきれなかった自分が、悪い。
「まずは…岳人に謝って………そんで、」
改めて言わねばならない。
これ以上、関わるなと。
向日とは良い友人関係を築いてこれたのだから、それを壊さないためにも。

 

「ほんま……しょーもな……」

 

どこまで自分は打算的なのか。
ここまで来ておいて、まだ、波を立てない方法を考えている。
独りごちた唇の端が、小さく戦慄く。
両の瞳から零れ落ちたものを見咎めた者は、誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

テニスコートのベンチに蹲るようにして座った向日を見つけて、跡部は嘆息を零しながら
鍵の閉められた扉には触れずフェンスを乗り越えるようにして中に入った。
きっと向日も同じようにして入ったのだろう。
「おい岳人、いつまで拗ねてやがんだ」
「……うるせーな、跡部には関係ないだろー」
「てめ、ここまで俺を巻き込んでおいて、今更関係ないとかぬかしやがんのか」
「う。」
言葉に詰まって向日が小さく呻いた。
確かに1年前、跡部を半ば強制的に巻き込んでしまったのは向日である。
だが、それは去年のあの一件だけの話だ。
その後から今までは、跡部が勝手についてきて勝手に祓っていただけだ。
大体にして、忍足にまだ何か憑いていたという事を、向日は跡部に聞くまで
知らなかったのだから。
「跡部ってさぁ、大概に自分勝手だよなぁ」
「……喧嘩売ってんのかテメェ」
「侑士も自分勝手だ」
「………。」
「それで、俺も自分勝手なんだ」
最初から全部知っていたくせに黙っていて、且つ今になって余計な事をするなと怒る忍足も。
誰も何も頼んでないくせに、勝手に祓い続けている跡部も。
そして押し付けがましくも未だに手を差し伸べようとしている、自分も。
結局のところ、誰もが自身の事しか考えていない。
自分が『そうしたい』と思ったから、そうしているだけに過ぎないのだ。
だから。
「やっぱり俺、侑士を助けたいよ」
「……無理強いして嫌われてもか?」
「それでも……侑士が侑士でなくなるのは、俺が嫌なんだ。
 それに、俺にもできる事があるなら、してやりたいし」
「勝手なヤツだな」
「まーね」
へへ、と笑ってみせて、向日がベンチから飛び降りるようにして立った。
「跡部はどうすんだ?」
「……アイツは、これからのテニス部に必要な人材だ。
 面倒は御免なんだがな、背に腹は変えられねぇ」
「そっか」
うんと大きく伸びをすると、向日は跡部の背中をポンと叩く。
仲間が居るのは心強いと思う。
殊更、それが他でもない跡部景吾だと言うのであれば。
「だけどお前、素直じゃないよなー」
「……あ?何の事だ」
「いや、解んねーならいいや。
 つーかココ寒いし。戻ろうぜ」
冷たい風が身体を撫でて思わず身震いすると、向日は軽い足取りで外へと続く
石段を上っていった。

 

 

 

 

 

 

開いた口が塞がらない、というのはまさにこの事を言うのだろう。
そんな風に思いながら忍足はただまじまじと目の前のパートナーと部長を眺めていた。
跡部が出て行った先で何を話していたのかは知らないが。
「………開き直りよったなー………」
「へへへっ」
「褒めてへんし」
忍足の呟きに照れ笑いを見せる向日にツッコミを入れて、忍足は深々とため息を吐いた。
戻ってきた2人に、もう自分には関わるなと言おうとしたのに、その前に言われてしまった。
何とかして自分を助けてみせる、と。
そうしたいと思って勝手にそうするだけだから、止めても無駄なのだ、と。
そんな事を言われてしまったら、自分には何も言えないではないか。
「………方法が、無いわけや無いんよ」
「本当か?」
「跡部、岳人、お前らはなんで【魂】ってのが消えずにそこらを漂ってるのか、
 そういうの考えた事って、あるか?」
「無ぇな」
「即答かい。岳人は?」
「んー………無い、な。俺も」
「せやんなぁ……」
普通はそうだろう。
霊感が無い者は、【魂】が漂っている事すら認識が無い。
例えあったとしても、向日の場合は音でしか聞き取れないのだから、
それらが何を示しているのかまでは理解できないだろう。
時期にもよるだろうが、本当に小さい頃から霊感があったのだとしたら、
『そういうものなのだ』として深く捉える事すら無いだろう。
跡部に関しては、人間的な問題だと思われる。
そもそも生きている人間に対してすら、余り興味を示す方じゃないのだ。
こうやって忍足に関わっている事も、半分奇跡みたいなものだ。
それだけテニスで全国を目指す思いが強いのだと、そう言ってしまえばそれまでだが。
「つまりは、心残りがあるから、消えられへんのや」
「心残り?」
「生きてる内に、ああしておきたかった、こうしたかった、そういう思いの事やな」
「じゃ、お前に憑いてるヤツも心残りがあって、その辺を飛んでやがったって事か」
「そう。ま、それも色々千差万別で、もっとずっと昔にくたばってる霊なら、
 心残りが何だったのかすら忘れてしもとるのが大半や」
「今居るヤツはどうなんだよ。シンクロってそこまで解るモンなのか?」
「コイツは比較的新しい方や。多分、死んですぐ俺んトコ来たんやと…思うわ」
「すげぇ、そこまで解るのかよ」
「色んな魂、仰山見てきたからな。
 シンクロして得るビジョンが生々しければ生々しいほど、新しい霊なんやわ」
ふむ、と顎に手を当て何かを考えるようにしていた跡部が、ふと顔を上げた。
「それで、心残りを叶えてやれば消えるのか?」
「せやな。それが一番手っ取り早い。早いけど難しい。
 もうひとつの方法は、放っておいて時間が経つのを待つ事。
 時間を置いたら消えてしまう。一番簡単な方法やけど、時間がかかる」
「その、ソイツの心残りってやつまでは、わかんねーのか?」
「………まだ、そこまでは」
困ったように苦笑を浮かべて、忍足が肩を竦めてみせる。
だから、時間を置くしかないのだ。
「時間が経つのをって、どの程度なんだ。
 1週間か?1ヶ月か?1年か?」
「10年後かもしれん」
「却下だ」
忍足の答えに跡部が眉を顰めて吐き捨てるように言った。
10年もなんて、待っていられるわけがない。
要は忍足自身でもいつ消えてくれるかわからない、という事だ。
となれば、心残りというものを忍足が探るしか無い。
探ろうとして探れるものなのかどうかは解らないけれど。
「…とりあえず、このままじゃ埒が明かねぇ。
 もう遅いからな、とにかく今日はここまでだ。
 鍵閉めるから、早いこと着替えて此処を出ろ」
「んだな。侑士も早く着替えろよー」
言ってさっさと自分のロッカーの元へ歩く2人に、忍足が慌てて口を開いた。
「な、ちょ、さっきから勝手な事ばっか言いよるけどな、
 ほんまにもう、これ以上は……」
向日と跡部が同時に忍足を振り返った。

 

「「 聞かねーよ。 」」

 

脇腹の傷が、またチクリと痛む。
それを誤魔化すように立ち上がって、忍足も自分のロッカーへと向かった。
「ほんまに、どうなっても知らんからな」
勝手過ぎるだの、強引過ぎるだの、ブツブツと愚痴を言いながら着替え始める忍足を見て、
向日と跡部が顔を見合わせ、苦笑した。

 

「「 望むところだ。 」」

 

時計の針が、カチリと21時を指した。

 

 

 

<続>

 

 

 

※戦う事を決めた少年達は、強い。