第12幕:地雷

 

 

 

部室内には沈黙が流れていた。
説明をするにはしたが、忍足に反応が無い。
それはそれで、どこか不安にさせられた。

 

 

「ゆ、侑士…?」
「やっぱり信じられねーか。
 岳人の説明が下手だからな」
「な…っ!!だったら跡部が説明すれば良かったじゃんか!!」
「ハ!ふざけんな。なんで俺様が、」
「ハイそこ喧嘩しなや」
ビシリとツッコミが入って、あわや2人の口論が勃発しそうであったが、幸いそれは免れた。
忍足は手に持った跡部のジャージに視線を落としたままで、何も言わない。
まるで審判の下される時を待つようだと、胸の内でそんな風に思って跡部が小さく舌打ちを漏らした。
「………そォか」
「侑士……?」
「信じるも信じないも無いで。
 よう考えたら、実際に俺は記憶トバしてるんやから、それを信用するしか無いってコトや。
 でないと、それの理由付けができひん。困るんは俺や」
「なるほど…そう取るか」
口元に小さく笑みを乗せて跡部が頷く。
元々、頭の回転が良い奴は嫌いではない。
そういう意味では跡部にとって忍足は、気に入っている数少ない人間の内の1人だった。
「岳人は、俺に憑いてるのが何なのかまでは、解らへんのん?」
「う……そこまでは、解んない……。
 だって、大体が『音』しか聞こえねェんだからさ。判断できねーし」
その向日の答えにひとつ頷いて、忍足がにこりと笑みを見せる。
「そっか……ほな教えたろ。
 今俺にとり憑いとるんは、女や。まだ25にもなってへんのちゃうかな。
 若いOLのねーちゃんや」
さらりと言った忍足の言葉に、向日が息を呑んだ。跡部が眉を顰めた。
何を言っているのかの理解が瞬間的に遅れる。
「忍足………お前、」
「侑士、どういう事なんだよ…?」
「死因は絞殺や。そやな…新聞とか週刊誌とかなら、暴行の末絞殺、とか
 3面にでも書かれるんちゃうやろか」
「忍足!!」
跡部が苛ついた様子で語調を荒げる。
ふわりと笑みを見せた忍足は、普段と何も変わらない。
「ごめんな、岳人、跡部。
 俺、ひとつだけ嘘吐いててん」
呆然とする向日と跡部に向かって、小さく手を合わせる。

 

「全部、覚えとるんや」

 

ただ、シンクロしてしまう2つの心に対して、動ける身体はこの1つしかなくて。
行動にどうしても矛盾が出る。
全ての行動は、他人の思念に支配された、自分の意思であったのだから。
「………イマイチ状況が掴めねェ。
 ちゃんと説明しろ、忍足」
「そうだ!俺も知りたい!!」
当然、そう返される事も解っていた。
仕方無しに、肩を竦めて。
「ちょお長い話になんねんけど……堪忍やで」
そう言い置いて、忍足が口火を切った。

 

 

 

 

 

 

忍足が淡々とした口調で、自分の霊感の事と、今までの本当に自分が覚えている範囲での
事実を全て語る。
忍足の中に居るものは、去年の一件の残留なのだと言った。
とっかかりとして入ってきたものが、周りのモノも呼び寄せて、去年はあんな面倒な事に
なってしまったらしい。
そして向日が強制的に巻き込んだ跡部のおかげで殆どは祓われたものの、
最初に飛び込んできた魂だけは根強く残り続けた。
その後もその魂は周りを漂うモノに悪影響を与え呼び込んではいたが、その後はよく
跡部が傍に現れるようになり、何気ないフリを装って祓ってくれていた事もあって、
忍足自身にまで影響を及ぼすような事は無かった。

 

元々、ある程度忍足にはシンクロに対する耐性ができている。
それは過去の経験からの積み重ねで得る処世術と、どこか似ていた。
だからこそ今まであれだけのモノが寄って集っても、ビクともしなかったのだ。
シンクロは、錯覚だ。
錯覚だと分かっていれば、そこで自分と魂との間で線引きができる。
引いてしまえば、あとは映画を観ているような感覚だ。
だが、今回のように上手く線引きができない場合がある。
そういう時が一番厄介なのだ。
あたかも自分の身に起こったかのような、記憶・感覚・感情・行動。
乗っ取られるという事とは微妙に違う。
全ての行動は、錯覚を真実と思い込んだ自分自身が起こしたものだからだ。

 

 

 

 

 

 

かちり、と時計の針が20時半を指した。
喋り続けていた口を閉ざして、忍足がチラリと2人に視線を向ける。
向日も跡部も、何も言わなかった。
いや、言えなかった、が正しいだろう。
それだけ忍足の話が衝撃的だったからだ。
シンクロする、という事は、つまり。
「……疑似体験、みたいなモンなのか?」
「うーん、近いといえば近いし、でも違うって言えば違う。
 つーか、疑似でも体験なんかしてもうたら、俺心臓止まってまうやん」
向日の言葉にアハハと明るく笑って見せた忍足が、ふとその目を跡部に流した。
「跡部は?解ってきた?」
「……まだ、少し曖昧だな」
「かもしれんな。俺も上手いこと説明できたとは思っとらんし」
「まあこの際、それがどういう事なのかはどうだっていい。
 結局、お前の中にいる奴を追っ払うには、どうすりゃ良い?
 それでなくても最近のお前は挙動不審だからな、庇うにも限界がある。
 手っ取り早く片付ける方法があるなら、それに越した事はねぇ」
少なくとも、跡部の手では無理だ。
専門家に頼むという案は忍足が嫌がった。
理由を問えば、「今無理矢理祓ったところで、また違う奴が来るのがオチ」だという。
時間が経てば勝手に消えるとは言われたが、正直それを待っている暇は無い。
だが、忍足は。
「………放っといたってほしいねん」
そう言って、申し訳無さそうに笑みを浮かべる。
向日が唇を噛んだ。跡部が不愉快そうに眉を顰めた。
それは、これまでの自分達を、そしてこれからの自分達を完全に拒絶した言葉だからだ。
「却下だな」
「そうだぜ侑士!ここまで話聞いといて放ってなんておけるわけねーだろ!」
「せやかて……しゃあないやん、跡部の手でも祓えへんねんから」
「だったら何か別の手を探せばいいじゃんか!!」
「そんな事言うて、岳人は祓ったりでけへんのやろ?
 ほな別の手言うても無理なもんは無理やって。な?」
「なんでそこで諦めてんだよ!!何か良い方法あるかもしれねーだろ!?」
「あんなあ岳人、お前も大概に疎いからハッキリ言うけどな、」
ぽん、と向日の肩に手を置くと、忍足がふいに表情から笑みを消す。
「迷惑や、言うてんねん」
向日が驚いたように目を見開いた。
「な、何なんだよ…それ、」
「だって、そうやん?誰も助けなんて求めとらんのや。
 単にお前らが霊感持ちで、俺の中に居るヤツに気ィついただけや。
 ほんまやったら、俺が一人で何とかせなならん問題なんやから、
 手、出さんといて欲しいんやけど」
「でもでも!!このままじゃお前、本当にヤバいんだぜ!?」
「ああ、ジロー2号とか呼ばれてるアレか?
 まぁ……言われてもしゃあないやんな、事実やしな。
 もしテニス部員として素行に問題あるんやったら、部活辞めたっても構へんで?」
「侑士!!いい加減にしろよ!!
 どんな頑張ったって一人じゃ無理な時ってあるじゃんか!!
 それに、友達なんだから……親友なんだから助けたいって思うの当然だろ!?」
「親友………へぇ、自分、俺と親友やなんて思とったんや」
忍足を纏う空気が、冷えたような気がする。
今まで見たこともないような冷たい視線を投げつけられて、向日が押し黙った。
ぽつりと、忍足の口から苦々しい呟きが漏れる。
「………願い下げや」
「侑士、」

 

 

「願い下げや言うてんねん!!友人風吹かせてイイ気になんな!!」

 

「テメェらいい加減にしろ!!」

 

 

ガン!!と思い切り足でテーブルを蹴飛ばして跡部が怒鳴った。
眉間には深い皺が寄せられて、本気で怒っているのだと見て取れる。
さすがに忍足も口を噤んで気まずそうに視線を逸らした。
「岳人、お前は頭に血が上り過ぎだ。ちょっと外出て頭冷やして来い」
「………っ…、そうする」
消え入りそうな声でそう答えると、そっと扉を開けて向日は外へと出て行った。
閉められた音と同時に駆け去る足音。
少しきつく言い過ぎただろうかと、忍足が目を閉じて重く吐息を零した。
「忍足、テメェどういうつもりだ」
「……跡部もなんか?」
「何がだ」
「お前も、岳人と同じなんか?」
「……んなワケねーだろ。
 部長として、サボり魔をなんとか更生させなきゃならねーなと思ってるだけだ」
舌打ちを漏らすと、跡部が苦くそう呟く。
それにホッと息を漏らして、忍足が独り言のように小さく零した。
「ほんま……ヤバそうなんやったら、考えなならんなァ……」
変に部内に波風立てる気は無い。
テニス自体に未練が無いといえば嘘になるが、それでも背に腹は変えられない事も
あるという事は、身に染みて解っている。
そしてそうやって、色々な事を犠牲にして生きてきたと、思う。
だから今更……今更なのだ。
テニスを捨てる事にも抵抗は無い。
何とかしようと足掻く気力も無い。
テニスを始めるよりもっともっと昔に、諦めるクセをつけてしまった。
正直跡部の言葉には安堵した。
だから、この言葉もつい口をついて出てしまっただけだ。

「辞めた方が、ええんかもしれんな……」

 

 

ガッ!と固い音がして、テーブルが蹴倒された。

 

 

 

<続>

 

 

※忍足の地雷を踏んだのは岳人。跡部の地雷を踏んだのは忍足。