第11幕:姿亡き侵略者
目が覚めたら、部室のソファに寝かされていた。
自分のではないジャージの上着が掛けられていて、誰かが運んでくれたのだと思い至る。
いつの間にか意識がなくて、気がつけば覚えのない場所に立っているという事態は度々あったが、
今回のようにどこかで倒れたのだというのは初めてで、忍足は狼狽した。
そもそも自分が覚えている範囲では、まだコートで後片付けを手伝っていたのに。
「……なんでやろ」
「侑士」
よいせ、と気合いを入れて体を起こしたところで、すぐ傍で聞きなれた声がした。
「……や、岳人。おはようさん」
「おはようさんじゃねーだろ。
片付けサボって消えやがって!」
「あはは、ホンマやなぁ。
なんや優雅に昼寝なんてしてもうてたみたいやわ」
「…………っお前、」
「どうしたん?岳人、恐い顔やで?」
睨むように見てくる向日の眉間に寄った皺を指で突付いて、忍足がへらりといつもの笑みを見せた。
よく見れば自分も向日もまだジャージの姿のままだ。
「やっぱり、覚えてないんだな」
「……話が見えへんのやけど」
さすがに困ったように首を捻って、忍足が自分に掛けられていたジャージを手で除ける。
向日もジャージを着ているのなら、一体これは誰のものなのか。
裏生地に縫われているネームタグを見て、忍足は意外そうに片眉を持ち上げた。
「なんや、跡部のやん、これ」
「だってお前を助けたの、跡部だし」
「助けた…?ええと……ちょお待ってェや。
俺、今回はどこで何してたん?」
「何だ、気がついたのか」
部室の扉が開き、そう言いながら入ってきたのはジャージの持ち主、跡部景吾である。
目を向ければ彼もまた、ジャージのままだ。
だが上着は忍足に掛けていたので、上は半袖のシャツ一枚で。
「………寒そうやな」
「あン?誰のせいだと思ってやがる……」
小さく舌打ちを漏らして跡部が扉を閉めると、忍足とはテーブルを挟んだ向かいのソファに
腰を下ろした。
部室内は空調がきいているので、半袖のままでも問題は無い。
時計を見れば、20時を少し回ったところ。
他のメンバーは既に帰ってしまっている。
足を組んで腕組みをすると、跡部が忍足をじろりと見据えた。
「で、また行方不明になった忍足は、どこまで覚えがあるんだ?」
「ええと……後片付けしてて、俺は岳人とジローが喋っとるのを聞いとった。
あとは……此処で目が覚めるまで、なーんにも」
「間違いないか?」
「………あらへん」
僅かに視線を泳がせて、忍足がひとつ頷いてみせる。
今度は跡部が向日に目を向けた。
「じゃあ岳人、今度はお前の番だ。
何を見たか忍足に話してやれ」
「………うそっ?俺が!?」
どう説明すりゃイイんだよ…とぶつぶつ言いながらも、跡部に睨まれたらそれに従う以外に
術が無い事も解っている。
仕方なく、向日はゆっくりと説明を始めた。
自分が裏庭で忍足を見つけた時の状況を。
あの時裏庭で向日を忍足が埒の明かない問答を繰り広げていた時。
「ゆ、侑士、お前、一体……」
「あ、待って、ちゃうわ、コレはあん時の……」
「何ワケわかんねェ事言ってんだよ、侑士!!」
「ちょお岳人、黙ってや。今どれが『本当』か考えてんねんから」
「………こんな所に居たのか」
声がしたので向日がそちらに目を向ける。
そこには捜しに来たのだろうか、樺地を伴った跡部が立っていた。
「あ、跡部!!ちょうど良い時に来てくれたッ!!
なんか侑士がヘンなんだ!!」
「?それは、どういう……」
跡部が視線を忍足に向けると、向日の後ろでジャリ、と砂を踏む音が聞こえた。
それに、向日が振り返る。
忍足が蒼白な顔色で、一歩後ろに下がっていた。
視線は跡部に向いている。
どこか切迫したような表情をしていて。
「侑士?」
「く、来んな……」
「アーン?それは俺様に言ってやがんのか、テメェ……」
一歩、跡部が近づく。
「来んな言うてるやろ!!」
一歩、忍足が下がる。
「聞くわけねェだろ」
平然とした表情でそう言うと、跡部がゆっくりと歩みを進める。
それに忍足が、くるりと背を向けて走り出した。
「い、嫌や!!」
「っ逃がすか!!」
目の前で逃げられると、面白くないのは当然だ。
逃がすつもりはないとばかりに、跡部が追って走り出す。
足は僅かに跡部の方が速い。
「なんで追って来んねん!!」
「テメェが逃げるからに決まってんだろーが!!」
思い切り手を前に伸ばす。
あともう少しで、忍足の肩に届きそうだ。
「やめ…触んなッ!!」
「何フザけた事ぬかしてやがる!!」
「お前の手は……アカンのや……ッ!!」
叫ぶように答えた忍足の言葉と、跡部がその肩を捉えたのは、同時だった。
ポンと軽く触れただけで、いとも簡単に彼は。
「………ッ、何…だってんだ……?」
崩れ落ちるように倒れ意識を失った忍足を見遣り、跡部が眉を顰めた。
「俺の、手……?」
じ、と自分の手を凝視する。
不思議な事に、今回は何の感触も得られなかった。
祓ったという感覚は無いが、まるでスイッチでも切ったかのように忍足は倒れた。
それも、引っ掛かる一言を残して。
しかしこの忍足の発言は、これではまるで。
「…………知ってるみてェな言い方するんじゃねーよ」
自分の背後でバタバタと走ってくる足音が2つ。
確認するでも無く、向日と樺地の2人だろう。
自分が捜しに出てから随分時間が経ったから、もう他の部員は帰ってしまっただろう。
そう判断して、跡部が指を鳴らし樺地に合図を送った。
「樺地、忍足を部室に連れていってソファにでも寝かせとけ。
済んだら今日はもう帰って良い」
「………ウス」
頷いて、忍足を背負うと樺地は向日に一礼してゆっくりと歩き去った。
残されたのは、跡部と向日。
「岳人、」
「跡部!」
声を発したのは、同時で。
「何も憑いてねぇじゃねーか」
「やっぱり憑いてたよなッ!」
「「…………。」」
何故か会話が噛み合わない。
お互いが暫し無言で眉を顰め、首を捻る。
「……触っても、何も無かったぞ、今回は」
「でもっ、今度は俺ちゃんと聞こえたんだぜ!?
しかも今回は『声』だった!!」
「声……?」
「俺だって、声が聞こえるなんて、そうザラにある話じゃねーんだぜ?
相当やっかいなモンが憑いてるよ、侑士……」
「………と、なると…」
感触が無いという事は、祓えていないという事なのだろうか?
今までそんな事、一度だって無かったのに。
「それに、侑士なんかヘンだった」
「あン?どういう事だ」
「なんか…混乱してるっていうか……ヘンな事言うんだ」
「何て言った?」
「えっと……『なんで自分は生きているんだ?』みたいな……そんな事」
「………。」
「それに、最初俺の事が判らなかったみてーだし……」
その言葉に難しい顔をして地面を睨むように見た跡部が、ふいに頭を上げる。
「もしかして…今まで考えたことも無かったけどよ……もしかしたら、
その厄介なモンに忍足が乗っ取られるってのは、アリなのか……?」
「………まさか、そんな、いくらなんでも」
「そうすれば辻褄が合う。フラリと急に消えやがった時に、忍足自身の意識が
無かったとしてもな」
「俺の事が判らなかったとしても……か」
「どうだ、岳人?」
「……信憑性はかなり高いと思う。思うけど…ッ!」
必死で泣くのを堪える子供のような表情で、向日が跡部を見上げた。
「どうすんだよッ!!俺ら何もできねーじゃんか!!
俺には何の力も無いし、助けてなんかやれねェし!!
跡部の手でも祓えなかったら、本当に打つ手ナシじゃねーかッ!!」
向日は知っている。
姿亡きモノに乗っ取られた人間の末路。
祓わない限り、その人間に生の道は無い。
「………岳人」
「ココまで知ってるのに、解ってるのに、助けてやれねーなんてズルイ!!
嫌だ!!侑士が死んじまうなんて嫌だっ!!」
堪えていた涙が、堰を切って溢れ出す。
力任せに跡部の胸を殴る。
何度も拳を振るったが、跡部は止めなかった。
次第に打つ力も弱まり、とうとう向日はその場にしゃがみ込んだ。
しゃくり上げるように啜り泣く声だけが、腕に伏せられた顔の下からくぐもった声で聞こえてくる。
小さく吐息を零して、跡部は空を見上げた。
すっかり空は闇に染まっていて、星まで見えてしまっている。
確かに今の状態では、打つ手はナシだ。
例えばその手の専門家に祓って貰うように依頼するとしよう。
しかし、その前に忍足には全て説明せねばならない。
もちろん自分と向日の霊感の事も含めて、だ。
問題は、忍足がそれを信用するかどうかだ。
恐らく答えはNOである。そう言い切れるぐらいに、普段の忍足は現実主義だ。
霊の存在自体を信じているかどうか怪しいというのに。
だが、信じさせなければならないだろう。
忍足の命までかかってきているのなら、尚更だ。
「……確かに、ココまで知ってるのに、解ってるのに、だな」
「跡部……?」
「肝心の忍足自身が何も知らねェってのが、許せねーな」
「何言って……」
袖で目を擦りながら顔を上げた向日を、跡部が一瞥して。
「岳人、部室へ戻るぞ」
「え、あ、待てよっ」
告げるとさっさと歩き出した跡部の後を、慌てて向日が追いかける。
追いついて、隣に並んだ所で。
「忍足が目を覚ましたら、全部話す。
助ける云々は、それからだ」
<続>
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