第9幕:ジロー2号

 

 

 

季節はあっという間に巡り、また桜の季節がきた。
今は春休みの真っ最中で、それが終われば自分達は最上級生となる。
今日はしとしとと雨の降る中、外で部活が出来ないので校舎の中で基礎トレが
行われていた。
雨で濡れそぼる桜の木を校舎の窓から見下ろすように眺めていると、後ろから
友人の声がした。
「侑士、何してんだ?」
「…うん?桜見てんねん。綺麗やろ?」
「ふーん?侑士って桜、好きだよな?」
「そうやな…花の中では一番好きかもしれへんな」
葉桜になったら毛虫が湧くから嫌やけどな、と笑みを浮かべて忍足はまた視線を外へ向けた。
雨は昨夜から降り続いていて周囲の気温を奪い、白く視界を染め上げる。
淡い桃色の花弁が、その中でも色褪せる事無く映えて見せて。
何となく2人並んで桜を眺めていたら、また違う声が聞こえてきた。
「お前ら、2人揃ってサボるなんざ、良い度胸してんじゃねぇか。アーン?」
「うげ、出たー!!怖い怖い部長様のお出ましだ!!」
「うるせぇ岳人!!さっさと戻って体動かして来い!!」
「うえー、基礎トレもう飽きたー……」
3年が引退して、跡部が部長の称号を受け継いだ。
そして、いつの間にか向日と跡部が妙に親しくなっていた。
跡部に言わせると、「アイツから『岳人って呼べ』って言ってきた」らしいのだが。
そのアンバランスな2人を不思議そうに1年間見てきたのが、忍足だ。
何が原因でそういう関係になったのかは知らないが…。
「おら、忍足もさっさと戻りやがれ」
「ハイハイ……」
ぺし、と跡部に後頭部を叩かれ、嘆息交じりに答えると忍足も漸く基礎トレに励む
仲間の元へと歩き出した。

 

気がつけば、向日は跡部と仲良くなっていた。
だがその発端になったのは、中心に居たのは自分であったことに、
当の忍足自身はまだ、気付いていない。

 

 

 

 

 

 

「なぁ、最近な、」
昼休憩での食事はいつも全員で食べていたのに、部室じゃないからだろうか、
珍しく向日と忍足の2人になった。
誰も居ない教室の、誰のものかも知らない机と椅子を拝借して、
パンに齧り付きながら、忍足が何気なく言葉を発する。

 

「なにげに跡部率が高いような気がすんねんけど、気のせいか?」

 

その言葉に、ジュースを飲んでいた向日は思わず咽る。
ゲホゲホと苦しそうに咳き込むのを、大丈夫かと呆れ顔をした忍足に
背を擦ってもらって漸く落ち着けた。
「あ、跡部率って何だよ!!」
「だから、最近気がつけばやたら跡部が近所に居るような気がしてな?」
「うん、」
「なんでやろな、って思ってん」
「なんでって……」
そんな事自分に聞かれても答えようが無い。
「でも、ホラ、今は居ないじゃんか!」
「そんな事あらへんで?」
ほら、と指差せば教室の入り口に立つのは紛れも無く、あの男。
跡部はずかずかと2人の元に歩み寄ると、トンと机に手をつく。
「どうしたん、跡部?」
「雨が上がった」
「は?」
「だから、雨が上がったんだっての。
 昼からは基礎トレじゃなくて、コートに出るぞ」
「マジで!?やりィ!!」
基礎トレに辟易していた向日は、ぱっと顔を輝かせて歓声を上げる。
宍戸や鳳とダブルス練習しようなと言う向日に頷いて答えてやっていると、
その忍足の背を跡部がポンと軽く叩いた。
「今度はサボんじゃねーぞ」
「うわ、何で俺の方見て言うねんお前」
「何でって……お前、自覚ねーのかよ?」
「何の話や」
「だってお前……いや、まァいい」
ふいに語尾を濁して跡部がそこから一歩離れる。
気がつけば、どこか向日も怪訝そうな表情で忍足を見ている。
それを不思議に思った忍足が、小首を傾げた。
「なぁ……ホンマに何やねん、自分ら」
「あのさ侑士、最近お前、自分の事何て言われてるか知ってるか?」
「………何て言われとんの?」
本当に知らないのであろう、そして自覚すらないのだろう忍足に
向日と跡部が顔を見合わせ、同時に答えた。

 

「「ジロー2号。」」

 

「………………、っはぁッッ?」
軽く2〜3分は間があった。
驚いて目を丸くしている忍足に、やれやれと跡部が肩を竦めてみせる。
「やっぱり自覚ねェんじゃねーか」
「ちょ、ちょお待ってぇや。何やねんその『ジロー2号』とか言うのんは…」
「だから、侑士はジローに次ぐサボリ魔だって言われてるんだよ」
「サボってなんかあらへんやん!!」
「そんな事言うけどさ、」
残りのジュースを音を立てて飲みながら、向日がポツリと呟く。
「さっきだってさ、お前が急にフラリと居なくなったから、わざわざ俺が
 捜しに来てやったんだぞ?」
「さっきて……」
雨に打たれている桜の木を見ていた、あの時か。
「今日だけじゃないんだぜ?
 最近の侑士は、目を離したらすぐにどっか行っちゃうんだ」
「そんな……つもりは」
「お前に無くたってそうなんだよ」
切り捨てるように跡部が言う。
困ったように視線を跡部に向けると、彼は少々ご立腹のようだ。
とりあえず謝るのが得策だと思った忍足は、素直に謝罪を口にする。
「ホンマ…それはゴメンやで。気ィつけるわ」
「おう、そうしろ」
言うと跡部がもう一度忍足の頭を軽く小突いて、教室を出て行った。
また2人に戻って、暫くの沈黙が流れる。
忍足は何か考え込むように、じっと机に視線を落としていた。
「……な、侑士」
「何?」
「ホントに、自分で気がついてなかったのかよ?」
咥えたストローに息を吹き込んで、紙パックをぷうと膨らませたり
萎ませたりしながら、何気なく向日が訊ねてみる。
それに暫し逡巡した末に、忍足が小さく頷いた。
「ホンマに……知らんのや」
「じゃあ、さっき、桜見てた時はどうなんだよ?」
「ええと……どうやったかな。
 何であそこに居ったのかが、解らんのや。
 気がついたら窓から外見てて、桜が綺麗やなって思って……」
「なんだそりゃ?」
「せやし、解り易く言えば……岳人と基礎トレしてた記憶の次がもう、
 あの窓の傍に行ったところで、その中間がぽっかり抜けてるんや。
 何を考えてあそこに行ったのかが、そもそも謎やし」
「うわー……なんか怖ぇ〜……」
「自分でも恐ろしいわホンマ。
 しかもしょっちゅうやったんやろ、俺」
腕を自分の身体に回して身震いした向日に、忍足も小さく苦笑を浮かべてみせる。
本当に、何がどうなっているのか。
「まぁ…何にせよ、や」
「ん?」
「また勝手にどっか行きそうになっとったら、教えたって?」
「ああ、うん。オッケ、見張っといてやるよ」
一変してからりと笑った忍足に、向日もストローを咥えたままでにこりと笑って見せた。

 

 

<続>