第7幕:3つの問い

 

 

ちょっとトイレへ行ってくると、滝と宍戸の2人に告げて向日は教室を出た。
当然、向かう先はトイレなんかではなくて、さっきから聞こえ続けている音の向かう方向。
断続的に鳴り響き、そしてそれに共鳴するかのように集まり出しているそれが、
どうしても気になったのだ。
気になったというよりは、それが集まった先に何があるのか興味があった。
「……こっちか」
己の耳に飛び込んでくる音だけを頼りに階段を降りて、校舎の外に出る。
そこでキョロキョロと辺りを見回すと、糸を手繰るように音を拾い集めて進む。
裏庭に入った時、急に音が大きくなった。
「近い、かな?」
昼休みの終了時間が迫ってきているという事もあり、駆け足気味に裏庭を通り過ぎて。
辿り着いた先は、今はもう使われる事の無くなった古いクラブハウスだった。
新しく建てたクラブハウスへ半年ほど前に移ってからは、時折置きっ放しにしていた
物を取りに行く生徒以外は訪れる事も無く、ただ近い将来に取り壊される時を待つのみの、
その場所。
「こんな所に何で集まるんだ…?」
そこはもう心霊スポットに踏み込んでしまった時と同じような状態で、耳の奥ではハリケーンが
吹き荒れているような、至る所から魂の飛び交う音が聞こえている。
より強い存在感を発している場所を捜すと、ひとつの扉の前で足が止まった。
「あれ?俺らんトコじゃん」
扉の傍のプレートには『男子テニス部』と書かれている。
この間テニスコートで見た事もあって、もしかしたら中には跡部が居るんじゃないだろうかなんて
勘繰ってみたりもしたが、兎に角此処まで来たのだから確認するのが先決だろう。
ドアノブに手をかけると、それは簡単に開いてしまった。
「何だよ、鍵してないのか。無用心だな〜……って、そういや
 盗られるモノなんて何も残ってないよなぁ」
あははと自分で自分にツッコミを入れながら、向日がぐるりと部室内を見回した。
新しいクラブハウスが出来た時に、ロッカーやその他備品も一新してもらえた為、
此処で使っていたロッカーや机、ソファなどはそのままの状態だ。
そのソファの陰に、人影を見つけて。
ざあっと、顔から血の気が引くのを感じた。

 

「侑士!!」

 

ぐったりとソファの背に凭れかかるようにして目を閉じた忍足は、ピクリとも動かない。
慌てて駆け寄って、肩を掴むと強く揺さぶる。
「侑士、侑士!!しっかりしろって、おいっ!!」
「………っ、」
その衝撃に意識を引き戻されたように、忍足がゆっくりと瞼を持ち上げた。
「が…岳、人……?」
「お前、いつから此処に居たんだよ!
 どうしてこんな所に居るんだよっ?」
「ここ……何処や……?」
「何言ってんだ、学校だろ侑士!!」
「ガッコ…?そう………そォか」
ふ、と忍足が口元に笑みを乗せた。
ここまで来れば、もう安心だろう。
「朝練……サボってもうたみたいやなぁ……」
先輩に怒られるわ。
ぽつりと呟いて、忍足はまた目を閉じる。
気を失うというよりは、強引に眠りに落とされるように。
「ちょ、ちょっと侑士っ、おいっ!!」
慌てて忍足の身体を支えるように抱きかかえた向日が、ギョッとした表情を作る。
それは気を失ってしまった彼の、身体の中から。
「な、なんだよ……」
ひとつやふたつ、みっつやよっつ、なんてものじゃない。
街中で霊媒体質なんだろうなと思われる人間を見かけた時でさえ、
まだ音を聞き分けて数を数えられる程度だった。
その時は7つほど憑いていたのだが。
今、目の前の親友から聞こえてくる音は、それの比ではない。
10までは数えてみたが、それ以上は止めた。
数えても意味がないと向日が判断したからだ。
引き寄せられるようにして集まっていた群れは、全て忍足の方へ向かっている。
「やべぇ……」

 

こんなものが全部一人に集中砲火してしまったら……忍足は一体、どうなってしまう?

 

ぞくりと、背中に嫌な感覚が這い上がって、向日はゆっくりと立ち上がった。
何とか忍足の身体を引き摺るようにして、ソファの上に寝かせる。
特に顔色が悪いなどという風には見られない。
ただ、眠っている。
普通に見ていればそういう結論に達するだろうが、向日は違った。
このまま放っておけば、忍足はきっと二度と目を覚まさないだろう。
そんな気すら、して。
「なぁ、侑士。放課後も部活あるんだぜ?
 早く目を覚まさねーと、間に合わねェだろ」
すぐ助けてやるから、ちょっと待ってろよ。
そう呟くと向日は勢いよく旧部室を飛び出していった。
向かうのは再び、校舎の方だ。
確か彼の教室は自分達の2つ隣の筈。
教室に居てくれる事を祈りながら、ただ向日は必死に駆けた。

 

昼休み終了時刻まで、あと10分も無い。

 

 

 

 

 

 

今この瞬間は、己の身軽さを感謝した。
垣根も障害物も全部飛び越えて、最短距離を突っ切っていけるからだ。
階段を1段飛ばしに駆け上って、目的の教室に一歩、踏む込む。

 

「跡部!!」

 

珍しく取り巻きを誰も連れていないのが、向日にとって最大の幸運だっただろう。
普段華やかな彼も、時折こんな風に一人で居る時があった。
それが何故なのかは知らないが、今はその方が都合良い。
何をするでもなくただ窓際の自分の席でぼんやり外を眺めていた跡部が、
向日に気が付いて訝しげに眉を顰めた。
なんでコイツが俺様の目の前に立ってんだ??しかも息を切らして。
表情がそう語っている。
「………何だ、向日」
「跡部、お前に訊きたい事があるんだ」
「はァ?」
ますます不審そうに見てくる跡部に構わず、机を挟んで向かいに立った向日が、
バンと勢いよく机に両手をつく。
「質問は3つ。正直に答えろよな?」
「何でこの俺様がそんな事……」
「つべこべ言うな!!」
向日が跡部の言葉を怒鳴りつけるように遮った。
訝しげな表情を驚きに変えて、跡部が向日を見遣る。
何故向日がこんなに必死になっているのか、その理由に見当がつかないからだ。
「YESかNOか、それだけで良いからな。
 1つめの質問。
 仲間がヤバい。助けるか?」
「……だから、それが何だってンだよ」
「どっちだ!?」
今の向日は答えしか必要としていない。
それを判断したのか、跡部が諦めたように肩を竦めた。
「YESだ」
「じゃあ、2つめ。
 3つめの質問に、正直に答えるか?」
「…………おい」
主旨を言わない向日に少し苛つきを見せて、跡部が目を細めて向日を睨みつける。
自分にこんな質問を投げかけて、一体この男はどうしようというのか。
だが、このままでは埒が明かないのも、また事実。
自分が答えなければ、向日はきっとこの場所を退かない。
「わかった。YESで良いぜ」
何を聞かれるのか知らないが、自分の何を知りたいのかも解らないが、
とにかく今は目の前の鬱陶しいのを何処かへやるのが先だ。
跡部の返事に、向日が少し声のトーンを落とした。
「じゃあ、3つめの質問だぜ」
囁くように、最後の問いを。

 

 

「跡部、お前………祓えるな?」

 

 

強張った跡部の表情に、ビンゴだと向日は思った。
「……何の話してんだ、テメェ」
「ばっくれんじゃねーよ。
 YESかNOかで答えてくれたら良いんだって。
 正直に答えるって言ったじゃねーか」
「…………、」
その言葉に僅かに視線を逸らして、跡部が小さくYESと答えた。
ぱっと、向日の表情に明るさが戻る。
くるくる表情の変わる奴だと眺めていたら、向日に強い力で腕を引かれた。
「ちょ、な、何してんだテメェ!!」
「いいからちょっと来てくれよ!!
 お前にしかできない事なんだ!!」
「だから説明しろつってんだろ!!あァ!?」
「そんなのは後だっ!!」
ぎゃあぎゃあ言い争いながらも決して腕を掴む手を緩めない向日に、
諦めたように跡部が小さく舌打ちを漏らした。
ここはもう、向日の言う通りついて行くしか無さそうだ。
ばたばたと走る足音に重なるように、予鈴が鳴り響く。
どうやら5限目はサボらされる事になりそうだ、と跡部は改めて嘆息を零した。

 

 

 

<続>