第6幕:シンクロ
夢を見た。
「………っ!!」
布団を跳ね上げるようにして飛び起きて。
それが夢だった事に、安堵の息を漏らす。
だがそれは、夢と呼ぶには余りにも生々しい、現実。
夢だけど、夢じゃない。
「……何やねんな、ホンマ……」
顔を両手で覆って苦々しく呟く。
吐き気が、した。
時計を見ると、針はもう6時を回っていて、慌てて忍足はベッドから飛び降りた。
急がなければ朝練に遅刻してしまう。
顔を洗って制服を着て、急ぎ足で朝食を詰め込んで。
両親に「行ってくるわ」と声をかけると、大慌てで忍足は家を出る。
背中越しに「気ぃつけるんやで」という母親の声が聞こえた。
玄関の門を出るとすぐ桜並木が待っていて、忍足はそれを見ながら登校するのが
好きだった。
「今日も綺麗に咲いとるなぁ」
口元に笑みが浮かんで、だがすぐに朝練の事を思い出し、慌てたように忍足は
駆けていった。
だがその日、忍足がテニス部の朝練に顔を出す事は、無かった。
「う〜〜……」
「…どうしたの、岳人?」
「どうしたもこうしたも……」
机に突っ伏して唸っている向日に、様子を見に来た滝が怪訝そうな声を上げた。
心配だけなら、今朝からずっとしていた。
だが、それが9時を回り、10時を過ぎてしまうと、心配から不安へと変わってしまって。
昼休みに入ってしまった今でも、まだ彼は姿を見せない。
「よーっす!忍足はいるかー?」
元気良く教室に飛び込んできた宍戸が、テンションの下がりきった向日を見かけて
足早に近づいてきた。
「おい岳人、忍足は?」
「来てねーよ」
「……は?」
「だから、朝練にも顔を出してなきゃ、授業にすらも出てきてねーっつってんだよっ!!」
「休みなのか?」
「いや…HRの時点では、何の連絡も入ってなかったみたいだ」
向日の代わりに滝が答えて、困ったように肩を竦めた。
彼も向日も心配して幾度と無く忍足の携帯にメールや電話をしてみたのだが、メールに返事が
来る事も無ければ、電話に応じる気配もない。
電源はどうやら落とされていないらしいのだが。
「………なんだ、そりゃ」
「誘拐とかだったら嫌だよね」
「縁起でもねェこと言うなよなっ!!」
どん!と机を叩いて向日が怒鳴る。
恐らくこのまま一日忍足が連絡無く休んでしまえば、間違いなく親元に連絡はいくのだろうが、
そういった不安の種が、胸の内のどこからでも芽吹いてきてしまう。
「捜そうか、皆で」
まだ時間、結構あるしさ。
そう言って微笑む滝が、向日の目には神のように映り。
「おいおい、ちょっと大袈裟なんじゃねーの?
きっと風邪でも引いて寝込んでたりするんだって」
激ダサだよなー。
やる気無く言う宍戸が、向日の目には悪魔のようにも映り。
捜しに行きたいのは山々だが、とはいえ忍足の家以外に心当たりなんてある筈も無いから、
当ても無く捜し回るのは無謀以外の何者でもない。
「あーあ。侑士の奴、何やってんだろー……」
机に頬杖ついて、窓から外を見つめる。
その耳の奥で、微かに音が聞こえた。
しゃん。
鈴?違う、鈴よりももっと、繊細な音。
耳の内側から響いてくる、硝子で出来た、アレの音。
……たましいの、音。
何処から、聞こえてくるんだろう?
逃げなければ。
逃げなければ、逃げなければ。
捕まれば、殺される。
逃げ切らなければ、あの人の元へ。
「……っ、わ、解っとる、っちゅーねん……っ、」
ぜえぜえと、息が切れるほど、走って。
それでも、身体の底から込み上げてくるような恐怖感は消えなくて、
思い出したのは、今朝見た夢。
自分に向かって伸びてくる……否、正確には自分の中に潜んでいるモノに向かって
伸びてくる、腕に。
この腕は、デジャヴ。
そこに在って、そこに無いもの。
自分自身には、何の害も無いもの。
だけどきっと、捕まれば殺される。
自分はきっと、見えないものに殺されてしまう。
だから逃げるのだ。
死にたくなんかないから。殺されるなんてまっぴらだから。
死ぬような思いなんて………1度だけで、充分すぎる。
「………っクソったれが!!」
もう、何処をどう走っているのかすら感覚が無い。
今走っているこの場所が、道であるのかすら理解できない。
ただ逃げるために、前へ向かって足を動かすだけだ。
息が上がる。
スピードが落ちる。
その度に、捕まってしまうのではないかという恐怖がまた、せり上がる。
「ホンマに………もう…っ」
ただ走って、走って。
誰か助けてくれと、当ても無い懇願を胸の内で叫ぶ。
誰か、誰か………誰か。
こんな時に助けてくれる友の名前など、1人として思い浮かばなかった。
<続>
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