第4幕:拒絶の証明

 

 

 

しまった。
ロッカーの前で着替えながら、忍足が僅かに眉を顰める。
うっかりして忘れていたのだ。
「?どうしたんだよ侑士、早く着替えないと!」
「あー……うん、」
HRが長引いたせいで、自分達が一番最後になってしまった。
他の部員達は既にコートに出てしまっている。
今この場所で着替えているのは忍足と向日の2人だけ。
早く着替えて、準備を手伝いに行かなければならないのだが。
「おーい、侑士くーん?」
バサバサと乱暴に制服を脱ぎ捨て手早くジャージを着込むと、まだ戸惑ったように
躊躇っている忍足を見て、向日が眉を顰めた。
「……ジャージ忘れてもうたから、見学、っつーのはアカンのかいな?」
「はァ?お前、そのロッカーの中に見えてるモンは何なんだよ」
眉を顰めて言う向日に、「そうやんなぁ」と答えて乾いた笑いを漏らすと、
覚悟を決めたようにネクタイに手をかけた。
仕方ない。共に居るのが向日だから、大丈夫だろう。
言い聞かせるように胸の内で呟いてネクタイを解く。
シャツのボタンに手をかけたところで、突然部室の扉が開いた。
自然と視線がドアの方へと向いてしまう。
立っていたのは、テニス部なら…いや、この学校に通う者なら皆が知っている男。
「…あれ、跡部じゃんか。どうしたんだ?」
「アーン?忘れ物しただけだ」
言うとずかずかと入り込み、自分のロッカーを漁り出す。
何となくその一挙手一投足をぼんやり眺めていると、向日が声を上げた。
「侑士!手が止まってる!!」
「あ、ああ、ハイハイ。ちょお待ってな」
急かすように言われてシャツのボタンを外して手早く脱ぎ捨てると、
普段は見えない筈の白い肌が目に入った。
「……あれ、侑士。インナーは?」
「着てくんの忘れてん」
特に着ていなくても構わないものだし(実際向日は着ていない)、着ていない者だって
当然居るわけなのだから、別段不思議は無い。
向日が声を上げてしまったのは、それが忍足だったからだろう。
忍足はいつもインナーを着ていたから、逆にそれが無いのに違和感を感じるのだ。
「あんま見んとってぇや」
照れるやん、と軽口を叩くと、向日が何言ってんだバーカ、と返す。
でもやっぱり視線は、余り見ることの無い、その肌に向いてしまって。
だから、気付いてしまったのは不可抗力だ。

 

「ゆ……侑士、何だよその傷…っ!?」

 

引き連れたような、縫い傷。
もう随分前のものなのだろう、完治しているその傷は、だが傍から見ても異様に目立つ。
それだけ、白い肌には目立ちすぎる大きさで。
向日の言葉に「ああ、やっぱり目立つか?」と振り返った忍足を見て、絶句した。
右胸から脇腹まで、一直線に走ったこれもまた縫い傷で。
一体何針縫ったのだろうか、傷と呼ぶには余りにも…痛々しい。
「随分バカでかい勲章だな」
思ってもみない所から声が聞こえて、忍足が視線を僅かにずらす。
まだ居たのかと眉を顰めると、立っていた跡部がフンと息を鳴らす。
「ちょ、なぁ、何コレ、事故!?」
「うーん、事故っつーか……ちゃうっつーか……」
「何だよそれ!」
「色々あってんて。そない詮索しなや」
苦笑交じりに頭からジャージを被ってその傷を隠してしまうと、ロッカーを閉めて
向日の頭をポンポンと叩いた。
「うー、でも、気になるじゃんか」
「だからインナー着とってんて。どうしても目立ってまうからな」
「めちゃ痛そうだな」
「うん、痛かった。死にかけたわ」
「なあなあ、何があったんだよ?」
「しつこいで、岳人!」
ついキツイ口調で言葉が出た。
思い出したくない、忌まわしい過去を払うように。
「いずれ……機会があったら話したるかもしれんけど、今はアカン。
 あと、この傷の事も、誰にも言わんとってや。
 ええな跡部!!」
「そこで何で最後に俺様を名指ししやがんだ、テメェは」
「お前も見とったんやろ」
「だから何でそんな事をいちいち言いふらして回らなきゃならねーんだ?
 言うわけねェだろ。だったら其処のお喋りを口封じしとけよ」
その事柄に興味を失ったようで、そう吐き捨てるように言うと跡部は
さっさと部室を後にする。
特にコレといって話をしてやる気はなかったから、忍足も向日の背中を押すと
部室から追い立てるように出す。
瞬間。

 

ひゅう。

 

向日の耳の中で、風が鳴った。
ちらりと後ろを振り返っても、そこに何があるわけでもなくて、
例え何かあったのだとしても、『視える』わけもなくて。
小さく肩を竦めるようにすると、忍足の腕をぐんと引っ張って、駆け出した。
いつもは気にもならない『音』が耳について、妙に煩わしかった。

 

 

 

<続>