俺には不思議な友人がいる。
ソイツは決まって家の中に俺一人しかいない時にだけ現れた。
肩の少し上で切りそろえた黒髪に、どこか感情の足りていない澄ました顔。
若草色の着物を纏い、物静かに微笑んでいる事が多い。
彼は、蓮二と名乗っていた。
< Two intersecting ways, a straight road to walk together. −1− >
出会ったのは俺が小学校に上がってすぐの頃だった。
父と祖父は仕事で遅くまで家を空け、母は多趣味で外出する事が多く、まだ幼かった
俺の面倒は歳の離れた兄が見る事になっていたけれど、高校生だった兄は友達と
遊びたかったのだろう、俺の事などほったらかしで外に行く事が多かった。
俺はといえば、どちらかといえば物分かりの良い方だったので、遊びに行っても
日の暮れる頃には帰って来ていたし、一人で留守番をする事にはもう慣れていた。
あれは、しとしとと雨の降る春先の頃。
外には遊びに行く事ができず、かといって周りの友達のように家の中でゲーム、などと
いった趣味を持っているわけでもない。
学校から真っ直ぐ家へと帰った後、何をするでもなくぼんやりと雨が降る様を
縁側で眺めていた時のことだ。
ふいに誰かの気配を感じて家の中を振り返った、その先にアイツはいた。
キョロキョロと辺りを物珍しそうに眺めた後、視線をこちらに向けてこくりと首を
傾げる。
「…………誰だ?」
「それは俺のセリフだ」
若草色の着物を着た、おかっぱ頭の子供。
歳の頃は俺と同じぐらいだろうか。
家に帰った時に鍵はかけた筈なのに、何故家の中に居るのか。
「何処から入ったんだ?」
「?」
俺の問いかけに、よく分からないといった顔をして彼は首を傾げるだけだ。
それから、ゆっくりと首を横に振った。
「お前、名前は?」
「蓮二」
「れんじ?」
「お前の名前はなんだ?」
「…………弦一郎だ」
げんいちろう、小さく呟いて蓮二と名乗った子供は少し笑う。
どうやって入ったのか、どこの子なのか、そういった問いには分からないと
静かに答えた。
知らない人を家に入れてはいけない、そう言われたのは俺がもっともっと子供だった
時の話で、それはもう身について理解している事なのだけれど、何故だか蓮二を
外に追い出そうという気にはならなかった。
「弦一郎は、何をしているんだ?」
「……なにも」
「ヒマなのか?」
「そうとも言う」
別に恨みがあるというわけでもないが、今だ降り続ける雨を睨むようにしながら言えば、
蓮二はじゃあ、と嬉しそうに声を上げる。
「じゃあ、一緒に遊ぼう」
「……お前とか?」
「嫌なのか」
「そうじゃないが……」
果たして、名前しか知らない相手を家に入れた上に、一緒に遊ぶという事をしても
構わないのだろうか、そう考えてすぐに俺はその迷いを振り払った。
入れたわけじゃない、知らないうちに入ってきたんだ。
強盗のような悪さをするような奴じゃなさそうだし、そもそも大人ではなく俺と
変わらないぐらいの年齢の子だ。
もし家族が帰ってきたら、友達だと言えばいい。
「わかった、何して遊ぶんだ?」
俺が頷くと、蓮二は嬉しそうに笑った。
有り難い事に俺の家は古風な日本家屋で、そこそこの広さがある。
家の中を駆け回ることだってできた。
かくれんぼだってできるし、鬼ごっこだってできる。
一人でなら絶対にできないが、蓮二と一緒ならできるんだ。
それが、俺にとってはとても楽しかったし、嬉しかった。
そうして3時間ほどが経った頃、家のドアが開く音がして、母の「ただいま」という
声が聞こえてきた。
さて困った、蓮二をどう説明したものか。
そう考えながらさっきまで蓮二の居た方を見れば、そこに居た筈の蓮二の姿は忽然と
消えていた。
あれは、夢だったのだろうか。
そう考えて数日経った頃、蓮二は再び俺の前に姿を現した。
前と同じ若草色の着物を着て、俺の姿を見つけるや否や、嬉しそうに駆け寄って来て。
「弦一郎、遊ぼう!」
そう言って、また笑った。
蓮二は家の中に俺一人しかいない時に限って現れた。
それも、必ずというわけではない。
頻繁に現れる時もあれば、一か月近く姿を見ない時もある。
けれどその事に気付く頃には、俺自身がもう蓮二という存在に慣れてしまっていて、
むしろ家族が出払っているのが分かっている時には、真っ直ぐ家に帰るようになっていた。
蓮二に、会いたかったからだ。
「弦一郎、何やってるんだ?」
蓮二と初めて出会ってから3年。
ある日、黙々と庭先で竹刀を振っていた俺に、また唐突に現れた蓮二は不思議そうな
顔をして問いかけてきた。
「ああ、祖父さまにな、やれと言われているんだ」
「弦一郎は剣の道に進むのか?」
「そんな気は毛頭無いのだが……やりたい事があって、それをやる為の条件として
剣道もやれと言われてしまってな」
「やりたい事って、何なんだ?」
「テニスだ」
そう言えば蓮二は少しだけ驚いた顔をして、けれどすぐに笑顔に変わった。
「しかし剣道とテニスはまた随分違うと思うのだが……」
「祖父さまは本当は俺に剣道をやってほしかったらしいんだ。
まあ、テニスをやりたいというのは俺の我儘だからな、祖父さまの我儘も少しは
聞いてやろうと思って」
「そうか」
「もう少しで終わるから、待っててくれるか?」
「ああ」
庭に面した縁側の傍らで正座をした蓮二は、ならば暇でも潰すかと呟いて、懐から
お手玉を取り出した。
ひょいひょいと軽く手の上を回していく鮮やかな朱のお手玉を、竹刀を振る視界の端で
眺める。
小さな声で唄を口ずさむ蓮二に、きっちり300回竹刀を振り下ろした俺は声をかけた。
「簡単そうだな」
「弦一郎もやってみるか?」
「いや、俺はいい。
……2つだけか?」
首を横に振りながら言えば、俺の問いかけを間違わずに受け取ったのだろう蓮二は
3つなら、と答える。
「だが残念な事に、此処には2つしかないんだ」
「ふむ………少し待っててくれ」
靴を脱いで縁側を通り抜け部屋の中へと入った俺の背中を見て、蓮二はさっきから
待たされてばっかりだ、と笑い声を上げる。
早くしないと待ちくたびれるぞ、そう言った蓮二に少し慌てながら、俺は母の部屋で
探し物をしていた。
確か、箪笥の引き出しの中に入っていた筈。
「………あった!」
両手に掴めるだけ掴んで、俺は踵を返すと縁側へと戻る。
そして蓮二の目の前に持ってきたものを全部広げた。
「ひいふうみい………6つも」
「やってみせてくれ」
「だから3つならと言ったろう」
「今までできなくても、もしかしたらもっとできるようになるかもしれないだろう?」
「………まったく、」
しょうがないなと呟いて、一度手を止めた蓮二は広がったお手玉を一か所に纏めた。
両手にひとつずつお手玉を持ち、少し緊張しているのか大きく深呼吸をして、蓮二は
持っていたお手玉を宙に放った。
蓮二の言った通り、3つまではひょいひょいと簡単に回す。
「…………それっ」
「いった!」
タイミングを窺うようにして足した4つめも、問題無く回転に加わった。
蓮二は5つめに挑戦しようとしているのだろう、だがなかなか手が出ない。
それを見ている俺の方がどこか緊張してきて、膝の上でぎゅうと握った拳には少し
汗をかいていた。
「あッ!」
一か八かで蓮二は5つめに手を伸ばしたが、その事でバランスを崩したのかバラバラと
崩れ落ちていくお手玉を見て、どちらかといえば落胆したのは俺の方だった。
「さすがに5つは無茶だったかな」
「しかし惜しいところまでいったじゃないか。
4つもできたろう?」
「正直、4つも初めてだったんだ」
照れ臭そうに笑う蓮二を見つめながら、なんとなく、だが。
俺も少しだけやってみたいかも、なんて思ってしまって。
床の上に転がっているお手玉に手を伸ばせば、蓮二がちょっとだけ驚いた顔をした。
<続>
リハビリ1本目はいきなりパラレル臭い空気で。(笑)
一応目指している着地点はあるのですが……上手くそのポイントを
狙えるかどうか………それが問題だ。