つまらない授業、つまらない部活、つまらない生活。
そんな日々は言わばモノクロの世界だ。
色の無い、華の無い、何も無い世界。
乾く。
成績では俺より秀でる者などなく、部活では俺より強い者など現れず。
この世界が色付く時を、一体いつまで待てば、良い?
ひどく、胸が乾く。
< The moment that there is a color in the world. >
「ねぇ、跡部!今日転校生来るんだっての、マジ?」
「ん?あぁ……監督がそんな事言ってたな、確か」
「テニス部?」
「あぁ、監督のお墨付き、らしいが……」
「楽しみだよね!でも、跡部には勝てないんだろうなぁ、やっぱり」
「…………多分な」
決して己の強さをひけらかしたいわけじゃない。
ただ、誰よりも強くありたいという欲求が、恐らく他の人より強かっただけだ。
だけど、この世界では、この氷帝という狭い枠の中では、既に俺が頂点だった。
ならば俺自身は一体何を目指せば良いと言う?
「あ、」
「お前…、」
監督に呼ばれて職員室へと足を向け、ドアを開けた瞬間に知らない人間と目が合った。
刹那に悟る。これが転校生だと。
肩口まで無造作に伸ばした髪と、前髪に半分隠れるように覗かせる黒い瞳。
そして何よりその顔に掛けられている丸眼鏡が胡散臭さを倍増させていた。
「跡部、彼が話しておいた忍足だ。
忍足、あとは彼について行くように」
「はい。おおきに、先生」
「それでは、失礼します」
監督に一度頭を下げ、さっさとその場を後にする。
後ろからついて来る気配を確認しながら、何を話すでもなくコートへと真っ直ぐ歩いた。
特に話し掛けられたりもしなかったし、きっとコイツは無口な奴なのだろうという事で
俺の中では片付く。
ロッカーの場所を教え着替えてからコートに来るよう指示をして、俺は先にコートの中へと向かった。
思ったよりつまらない奴のようだ。
「忍足侑士言います。宜しくお願いします」
部員に紹介すると、ソイツは当り障りの無い無難な挨拶をしてみせた。
まずはこの男のレベルを計らなければならない。
準備運動をしながら誰と練習試合をさせるか考えていたら、近くで同じようにしていたソイツが
ぽつりと呟くかのように……多分、俺に向かって言ったのだと思う。
「な、ここで一番強いのんて、誰なん?」
「アーン?俺だろ」
「そォか………ほな、」
身体を大きく伸ばすようにしていた忍足が、俺を見て。
「アンタと試合、してみたい」
笑った。
「そりゃ、できねぇな」
「……なんで、」
「勝負にならねぇから」
「……それってどういう…」
それは誇張でもなんでも無くて、真実だった。
誰も、俺から1ゲームすら奪う事ができない。
もちろんその中でも素質のありそうな奴は居るが、現実に数字で表すと6−0ばかり。
勝負にならない。
相手は俺の力にただ驚くか、怒りを顕にするか、悔やむか。
俺は、ただ、つまらないだけだ。
「そうだな……じゃあ、ジロー!」
「ん?何なにー!?」
「お前、これから忍足と試合しろ」
「え?俺やっていいの!?ウレC−!!」
「喜ぶのは後だ。とりあえずさっさとアップしてこい」
「はいは〜い!!」
ジローのボレーは要注意だ。
それを知らない忍足に、恐らく勝算は無い。
「とりあえずアイツに勝ってみろ。
それができりゃあ、俺が戦ってやってもいいぜ?」
「………ホンマやな?」
何かもの言いたげな目で見ていた忍足が、俺の言葉に頷いた。
正直、俺は新顔に対して何ひとつ期待しちゃいなかったんだと思う。
だからこの結果に、驚いたのだ。
「6−1、ウォンバイ忍足!」
ワッと上がる周囲の歓声を余所に、涼しげな笑みを見せたまま忍足はジローと握手を交わす。
ジローの器用さを知らなかった忍足は最初の1ゲームこそ落としてしまったものの、
あとは6ゲーム一気に勝負を決めた。
単純な話、ジローを前に出しさえしなければ良い。
それに気付ける奴はそう多くない事を、俺は知っていた。
「すっげー忍足つえー!!楽しかった!!またやろーな!!」
「ああ、俺も楽しかったで。またやろな」
忍足の手をぶんぶん振り回すようにして、ジローはコートから出て行った。
残ったのは、俺に視線を向けている忍足のみ。
「……ほな、お手合わせ願えるやろか、部長さん?」
「上等だ」
恐らくこの場所では、今まで戦った誰よりも強いのだろう。
今まで一度だって鳴りはしなかった胸が、一度だけドクンと脈打った。
俺は期待しているのだろうか………この男に。
この狭い世界を塗り替えてしまう程の、衝撃を。
「デュース!」
審判の上げる声に、荒れる呼吸を整えながら俺は自分に向かってくるサーブを待った。
追い詰められる感覚。こんな事は初めてだ。
もちろん忍足にだって弱点となる部分はある。
だが、アイツは巧妙にそれを隠している。
1つ2つ見つけたその部分を攻めたところで、どうやらそれを補うぐらいの技術は
持っているようだった。
「ほな、次いくで?」
言うなり間を置かず飛んできたサーブを打ち返す。
そのまま前に詰めると、忍足が目だけで笑ってみせた。
「こっちや、」
俺の頭上を越えて後方へと舞うロブに、知らず舌打ちが零れ出た。
読まれていたか。
「性格悪ィぞ、てめぇ!」
間に合わない事はない。
走り込んで何とか返す。
だがそれすらも読んでいたのか、忍足は既に回り込んでいた。
「ほな、これ貰うで?」
今俺がいる位置とは反対側のコーナーにショットを放つ。
だが俺なら間違いなく、このボールも拾える。
それに何より。
「……調子乗ってんじゃねぇぞ、忍足!!」
いい加減黙らせてやる!
まさかボールがまた戻ってくるとは思ってなかったのだろう、忍足が慌てて拾いに走る。
だが浅い。俺にとっては絶好のチャンスボールだ。
目標は、忍足の握るグリップ。
「喰らっとけ!」
グリップに当てて上がってくる筈のボールをもう一度打つために構える。
だが、そのボールは。
「残念やったな」
ラケットの握り方を即座に変えて面を上へ向けると、ふわり、とその腕を上へ。
勢いを全て吸収されてしまったボールは俺の頭上を越え、後方のライン上へポトンと落ちた。
「ア…アドバンテージ!」
審判の僅かに上ずった声が響く。
だが俺の耳には既にその声も周囲の歓声も何も耳に入らなかった。
乱れる呼吸と激しく鳴る心音が耳について鬱陶しい。
だがそれとはまた違う何かが。
じわり、と。
まるで俺の内側を侵食するかのように。
「なぁ、跡部」
あと一球。
まさかここまで追い込まれるなんて思わなかった。
あのジローとの対戦は、あれで手加減してやがったのか。
アイツだってもう息は上がって苦しそうで、でも、それでも。
どうして、そんな風に、笑う?
「テニス、オモロイやろ?」
じわり、と絵の具が染み込むように。
世界に、色がついた。
「7−6、ウォンバイ跡部!」
どうにかタイブレークに持ち込んで、結局勝ったのは俺の方だった。
気が付けば周囲には人垣が出来上がっていて、煩いぐらいの歓声が耳に飛び込んでくる。
「あかん、勝てると思てんけどなぁ……」
「お前スタミナねぇだろ」
「……へ?」
「だから、途中でガタがきてたぜ。
最初のペースで最後まで突っ切られたら俺も危なかった」
「はぁ〜、スタミナねぇ……」
「だから、お前は明日から走り込み重視の練習な」
「うわ、嫌やそんなん!!」
心底嫌そうに顔を顰めて忍足が大仰に嘆く。
握手をしようと近付いたくせに、気が付いたらそんなどうでも良い話を始めてしまっていて
何だか調子が狂ってしまう。
こんなによく喋る奴だったか?
こんなに表情が変わる奴だったか?
いや、多分、俺が上辺しか見てなかっただけだ。
「まぁ、そういう俺もまだまだ課題は多いみてぇだ」
「はぁ?お前そんだけ強いクセしてまだ何か……」
「とりあえず、目標がまたできた」
「何やのん」
「テメェを、6−0で倒す事だ」
そう答えてやれば、馬鹿みたいにぽかんと口を開けて俺を見た後、
忍足は眉を顰めてぽつりと言葉を漏らした。
「………性格悪ッ」
「ありがとよ」
「誰が褒めとんねん」
いい加減、忘れていた右手を差し出す。
それにああ、と零して忍足が俺の右手を握った。
それから少しだけ月日は流れて、俺と忍足の関係は微妙な変化は見せたが大して変わりは無い。
あるとすれば、お互いがお互いを認め大切だと思っている…その程度のものだ。
だからいつもと変わらない日常がそこにあって、
だが俺はそれをもう、つまらないとは思わない。
「6−0、ウォンバイ跡部!」
最初の試合をした時から俺は更に自身を鍛え、途中で忍足がダブルスに鞍替えをしたが
その後も俺の目標は変わらなかった。
そして漸く、俺はその目標を達成したのだ。
「ケッ、大した事ねぇな、忍足も」
「………ッ、お前の強さは底なしか!!」
「フッ、そうかもしれねぇと最近になって思えてきたな」
「それって自意識過剰って言うねんで!?」
別に練習試合の相手ぐらい自分じゃなくて、宍戸でもジローでも誘ったらいいだろう、と
忍足はまだ納得いかないような表情でブツブツ言っている。
だから、仕方なく俺は答えてやった。
「バーカ、お前じゃなきゃ意味がねーんだよ」
「なんでやな」
「お前が、俺を追い詰めたからだ」
崖っぷちの、ギリギリまで。
だから。
「………だから、今度は俺がテメェを追い詰める番だ」
鼻先が触れそうなぐらいに顔を近づけてそう言ってやれば、目を丸くして忍足は言葉を失う。
コイツが俺のモノクロの世界に色をつけたのだから、その責任は最後まで取って貰わねぇと、な。
「覚悟しとけよ、忍足」
挑戦状でも突きつけるような気分で、忍足の唇に触れるだけのキスをした。
<END>
最初の対戦の後きっと跡部はめきめき力をつけていっちゃうんでしょうねー。
そんできっと忍足は彼の足元にも及ばなくなってしまった自分に軽くジレンマ感じるんです。
結局逃げるようにダブルスに走っちゃうんですが、帝王は逃がしてなんかくれませんから。(笑)
多分、跡部は最初の試合の時におっしに惚れちゃったんだと思うよ!うん!!
ま、この後の2人の関係なんかは、皆様のご想像にお任せするとして(^^)