<桜舞う季節に、君と逢おう。−後編−>

 

 

 

 

 

 

あの日以降、乾が己の進路を口にする事はなくなった。
もちろん話に寄りはするが、自分の事になるとお茶を濁して終わってしまう。
手塚もそれは気になっていたが、本人が話したくないのなら、と
それ以上追求しようとはしなかった。
他のメンバーも、乾に対してこの話はしてはいけないのだと、
そういう暗黙の了解が成り立っていた。

 

 

 

 

「決まったのか?」
「ああ、決まった」
丁度、下校のタイミングが重なった為、久々に手塚と乾が共に帰る事になった。
その道々で、ぽつりぽつりと言葉少なく手塚が語ったのは、己の進路が確定した事。
推薦の受験は一般の者より少し早く行われる為、手塚だけでなく他の仲間も皆
進路が決まってしまっていた。
一人、一般で受験しようと考えている乾だけが、取り残された状態で。
「良かったじゃないか。
 これで晴れて自由の身、ってね」
「それはそうなんだが………乾」
「何だよ」
「お前の方は、結局どうなんだ」
あちゃ、やっぱりその話になるんだなぁ、と乾が苦笑を見せる。
しかも今は手塚とタイマン勝負、逃げられる様子でも無さそうだ。
「俺…ねぇ」
「お前なら、青学の高等部に一般でも充分通るとは思っているが……」
「ああ、手塚。
 俺あそこには行かない事に決めたよ」
「………何?」
手塚にしては珍しい、酷く酷く驚いたような、そんな顔で。
「俺はもう、テニスをやらないから」
「どういう意味だ」
「…膝、痛めてしまっててさ。
 医者から止められたんだよ。
 やってできない事は無いだろうけど……いつ壊れるか解らないし。
 それなら、キリの良い今の内に、やめてしまおうと思って」

 

きっと途中で奪われてしまったら、未練も悔いも残ってしまう。

 

「河村も高校入ったらテニスやめるって言ってたし、
 まぁ、そういう道もあるって事だよ、な?」
手塚に向かって放った言葉は、恐らく自分自身に言い聞かせる為に言ったもの。
「だから、俺は青学から出て行く事にしたんだ」
「………そうか」
乾の言葉に、手塚はただ静かにそう答えた。
自分も肩を痛めていた時があったから、余計にその心情を察してしまうのだろう。
「それで、受ける先は決まったのか?」
「……ああ、大体は。
 結果が出てから報告するよ」
「そうか」
道を決めた乾の心情は、酷く穏やかだ。
それだけを確認して、手塚はひとつ頷いた。

 

 

 

 

テニスをプレイする以外にやりたい事?
そんなもの、ひとつしか無いんだよな。
色々、沢山考えたけど。
結局最後には、いつも同じところへ辿り着くんだ。

 

 

 

 

 

 

 

雪の降る、朝だった。
実際は、目が覚めた時にはもう止んでいたのだが、しんと静まり返っている
外の空気が、雪の積もった事を示していた。
「うー……寒いな」
サクサクと音を立てながら、コートとマフラーで防寒対策万全な乾が誰も居ない道を歩く。
思ったより積もったせいか、外を歩く人の姿は大通りでもまばらだった。
そこから脇道に入れば、もう人の姿は見えない。
そして目の前には足跡ひとつない新雪が続いている。
「なんだか得した気分だな」
くすりとマフラーの下で笑みを浮かべて、乾は目的地へと歩みを進める。
サクサクと自分の歩く音だけが辺りに響いて、なんとなく一人を満喫できた。
目的地まで、あと少し。

 

 

「何処行くの、国光?」
「そこの本屋です」
訊ねてくる母親にそう返して、コートを羽織りながら靴を履いて玄関の扉を開ける。
が、そこで動きが止まった。
「やあ、手塚」
「乾…!?」
門の外に走るガードレールに腰掛けるようにして、乾がひらひらと手を振っていた。
慌てて扉を閉めて駆け寄ると、最後に会った時と同じ笑顔で、乾がのんびりと言った。
「何だか凄く久し振りな気がするな。
 今はもう自由登校だから、仕方無いと言えばそうだし、当然と言えば当然だけど」
「いつから其処に居たんだ?」
「………さて、」
いつからだったかな?と首を傾げる乾に、呆れた表情で手塚がため息を吐きながら嗜める。
「呼べば良かっただろう。
 その為にインターホンがあるんだから」
「ん、まぁ、それはそうなんだけど、」
語尾を濁して苦笑する乾に、今度こそ何も言えなくなって手塚が重苦しく息を吐く。
風邪でも引いたらどうするつもりだ。
冷やしたら膝に悪いだろう。
そもそも一体何の用だ。
言いたい事は山ほどあったのだが。
「………入るか?」
「いや、ここで良い。
 手塚に……渡したいものが、あって」
「俺に?」
「そう………コレ」
コートのポケットから封筒を一通取り出すと、乾はそれを押し付けるように手塚に渡した。
「俺さ、色々考えたけど……」
「………。」
「結局、やりたい事ってひとつしか無かったんだ。
 で、今日結果が出たから、報告に来た。それだけ」
「これは……何なんだ?」
「見れば解るよ。後で構わないから。
 何処かに行こうとしてたんだろ?
 とりあえず行って来いって。
 それじゃ、俺はこれで」
捲くし立てるように言って、乾は踵を返すと足早に立ち去った。
その背に声を掛けようとしたが上手く言葉が見つからず、手塚はそれを黙って見送る。
角を曲がってその背が見えなくなった頃、漸く手塚も本屋へ向かうべく足を動かした。

 

 

 

 

 

いつもいつも、アイツは唐突だ。

 

本屋に向かう道の途中。
コートのポケットに突っ込んでいた封筒が手に当たり、思わず足が止まる。
引っ張り出して、眺めてみた。
乾は後で良いと言ったけれど、気になってしまうものはしょうがない。
傍の塀に凭れるようにして、手塚はその封を手で破った。
中には一枚のコピー用紙と、走り書きのメモ。
「乾………」
コピー用紙は、ある高校の合格通知の複写。
そしてメモには一言。

 

『俺はもう強くなれないけど、他の誰かを強くする事ができるなら、
 お前のデータ、もう少し取らせてもらう事にするよ。』

合格通知は、手塚が推薦で受けた高校のものだった。

 

その2つを食い入るように見つめながら、空いた片方の手でポケットを探り
携帯を引っ張り出す。
逸る気持ちをどうにか堪えながら、手早くボタンを数回押す。
『………手塚?』
3コールで取った乾に、手塚が言った。

 

「お前、今何処に居る!?」

 

居ても立ってもいられなくて。

 

 

 

 

 

 

そして、桜舞う季節に、また君と出逢う。

 

「おはよう、手塚」
「ああ、おはよう」
「聞いた話によると、この高校に入ったのは青学では
 俺達だけらしいよ」
「そうなのか」
「まぁ、レベルそのものが高いトコロだしね。
 県外だし寮生活必至だし、お前みたいに理由が無きゃ普通は考えられないけど。
 ……それ以前に、殆どの奴はあのまま高等部に進んだっていうのが大きいけどね」
「だが、一人じゃないのは心強い」
「あ、それ俺も思うよ。
 まあ寮まで一緒になるとは考え難いけどな」
「乾」
「何?」
「有り難う」
「………やめてくれよ、照れるから」

 

新しい学び舎の門前に聳える、大きな桜の木。
満開の時を迎えて、薄桃色の花弁が悠然と舞う。
その下で、乾は手塚に左手を差し出した。

 

「ま、とにかくこれからまた3年間、宜しく頼むよ」

「こちらこそ、宜しく」

 

稀に見る微笑を口元に乗せて、手塚はその手を強く握った。

 

 

 

 

<終>

 

 

彼らの道は、まだ続く。