<桜舞う季節に、君と逢おう。−前編−>
「…………は?」
話を聞いて漏れた声は、自分でも間抜けすぎて思わず苦笑が零れた。
部活を引退してからの3年には、もう受験しか残っていない。
むしろその為だけに学校へ行くようなものだ。
だから自然と、普段の会話もそっちの方面へと流れていく。
ある意味でこれが、自然な法則だ。
「へぇ……あの高校に行くのか。」
紙パックのコーヒーに刺したストローを咥えたままで、乾が珍しそうに
手塚が持ってきた学校案内を見遣る。
丁度昼休みの最中で、教室の中に人はまばらだ。
「この高校、レベル凄く高いことで有名だよ。よく決心したな。
テニスはできるが勉強はからっきし、だと洒落にならないぞ」
「先生からは問題ないと言われたが」
「だろうな。
手塚の成績なら問題ないんじゃないか?
……だけど、お前も当然一緒だと思ってたんだけどな」
「…今まで悩んでいた。
だが…自分の力を見つめ返すのにも、丁度良い機会だと思ったんだ」
「ふむ……成程ね」」
昼食用のパンに齧り付いていたら、何故か弁当持参で手塚がやってきた。
わざわざ端から端までやってきたぐらいだから、何か話があるのだろうと
思っていたのだが、これはまた予想外の話で乾自身も驚きを隠せない。
つまり、手塚は青春学園の高等部には進まない、と。
これが結論だった。
手塚の元に、高校テニスの中でも強豪と有名なある高校からの、推薦入学の
話が入ってきた。
勿論手塚自身にとっても、驚きは大きかった。
今のメンバーと共に、この青学の高等部でまたテニスをしていくものだとばかり、
そう…頭の中で決まっていた事だったからだ。
当然、迷いも生まれる。
結局、彼はより強いテニスを選んだ。
そこへ行けば、より強い人間に出会えるだろう。
そして、この青学のメンバーとは敵として相対する、それもまた新しい何かを
見つけ出す事ができるかもしれない。
今までの仲間を、敵として見る事によって。
だから、手塚は。
「そういえば、皆、このまま高等部に進むって言ってたな」
手塚だけ、群れを離れる。
その事実を事実として受け止めた上で、敢えてのほほんと乾は言う。
「…お前もか?」
「え?俺??」
ストローを咥えたままで小首を傾げると、「今は真面目な話をしてるんだ」と
手塚にコーヒーを奪われてしまった。
返せよ、とため息混じりに苦情を言いつつ、乾は。
「実はさ、まだ決めてないんだよな」
はははと軽く笑いながら、頭を掻いて彼はそう答えた。
とはいえ季節的にも、もう受験は目の前で。
「……そんな悠長な事を言っている暇はもう無いぞ?」
「解ってるよ、そんな事は。
俺も………色々と考えてるんだよ、これでもさ」
机の上に顎を乗せて、ぶつぶつとそう呟く。
「このまま高等部に進むつもりじゃないのか?」
「うーん…それでも構わないんだけどな……」
「煮え切らないな」
「そうなんだよ。
ちょっと、迷ってる」
「何に?」
「……………こっちの都合だよ」
つっけんどんに答えて視線を上に向けると、眉を顰めて何処か物言いたげに見てくる
手塚と目が合った。
「何だよ」
「…別に」
短くそう答えられ訝しげに目を向けていると、乾から奪ったコーヒーを飲みながら
手塚が些か気を害したような口調で言う。
「後悔の無いようにしろ」
「ハイハイ、解ってるよ。
って、ソレ俺のなの解ってるか?」
「解ってるから飲んでいる」
「うわ最低だなー」
そう言いながらも軽く笑う乾に、手塚も少しだけ口元を緩めた。
例えば、これから先お互いの道が分かれてしまうとしても。
願わくば、この空気だけはいつまでも変わらぬようにと。
そう、願いながら。
秋も深まりを見せると、急に寒気が強くなる。
こんな寒い日は、どうしても、どうしても。
「………痛、」
家路につく途中の道で立ち止まり、乾は片手で膝を擦る。
前から気になっていたが、本格的に痛み出したのは部を引退してからだ。
医者へ行くと大したことは無いと言われ、ホッとした。
しかしその医者に真剣な表情で、「だがテニスはもうしない方が良い」、と
言われた時は、頭から冷水を掛けられたような衝撃を受けた。
今のところ大きな問題にはなっていないし、普通に走り回る分にも
体育の授業程度なら問題ない。
だが本格的に何か運動をするとなると、話は変わってくるのだと。
そう、診てくれた医者は穏やかに言った。
これが乾の、進路を悩ませる原因だった。
「……参ったなぁ」
困り果てたように、乾の口から呟きが漏れる。
こんな事、アイツらには言えないよ。
共に高等部へ上がっても、いつ自分が脱落するか解らない。
もちろん友人として付き合っていても気の良い奴らだから、自分がテニスを
やめたとしても、これまでと変わらず付き合っていけるだろう。
だが、テニスを失ったその場所に、魅力を感じないのも覆せない事実だった。
だから悩むのだ。
これからの3年間を、あの場所で過ごして良いのかと。
テニス以外の何かを探すには、あの場所は余りにも、辛い。
<続>
手塚と乾のスタートはここから。
この話は最終的に高校生パラレルへと移行します。