〜 Life 〜
【 If all ones not to want to lose can be kept, nothing is necessary already. 】

 

 

 

 

 

蓮二の言葉どおり、学会について来たは良いが特に何か問題があるわけではなく、
終わったら連絡をするからと携帯電話をひとつ持たされて、真田はうろうろと
会場の敷地内を歩き回っていた。
見るもの全てが初めてだが、しかしどこにでもあるようなありふれた空間を
所在無くうろついているとふいに携帯が音を上げた。
連絡は蓮二からで、学会は滞りなく終了したという事だ。
そうなるともう後は帰るだけなので、迎えに行くから待っていろと告げると
真田は踵を返して元来た道を急ぎ足で辿っていった。

 

 

 

 

「……よぉ、久し振りだな、柳」
「跡部じゃないか」
真田がこちらに向かうというので、来るまでロビーででも待っているかと
情報交換のためにまだ言葉を交わし続ける人々が多く残る会議室を、自分より
背丈のある人間の間を擦り抜けながら歩いていると、ふいに戸口から声がかかって
蓮二は足を止めた。
跡部景吾はマザー社に所属する開発研究員だが、どうやら幼くしてこの世界に
足を踏み入れた自分を気にかけているらしく、時折こうやって声をかけてくる。
とはいえ蓮二自身も、他のどの研究者よりも博識…というよりは斬新な考えを
持っている跡部と言葉を交わすのはやぶさかでない。
「珍しいじゃねぇの、柳。一人なのか?」
「…いや、そういうわけでは無いが?」
「いつものあの喧嘩っ早い奴の姿が見えねぇが…」
「喧嘩っ早……って、ああ、もしかして精市の事か?」
「ああそう、そういやそんな名前だったか?」
並んで歩きながら蓮二が「今日は留守番だ」と答えると、跡部が珍しそうに
片眉を跳ねさせて視線を寄越して来た。
「……そんなに珍しいか?」
「いや、あの過保護なアンドロイドがよく留守番をする気になったなと」
「ははは、今日は違う奴がついて来てくれているからな。
 一人でないという意味では、精市も安心しているのだろう」
「違う奴、ねぇ」
「気になるか?」
「…そりゃ、『立海』新作のアンドロイドなら」
「ああ、残念ながら彼は……ああ、来たか」
ロビーと外とを繋ぐ正面玄関から入ってきた真田に分かるように、蓮二が手を振る。
すぐに気がついたようで、半分走るようなかたちで真田が2人の元へとやってきた。
「蓮二!すぐに行くから待っていろと言っただろう!!」
「此処の方が人も多いしむしろ安全なんだよ、弦一郎。
 ああ…跡部、紹介しよう。うちのニューフェイス、真田弦一郎だ」
「…………コイツが…?」
形ばかりの挨拶のように真田が軽く頭を下げる。
逆に跡部は、訝しげに眉を寄せてその姿を観察するように眺めている。
「残念だが弦一郎は立海製では無いんだ。
 新顔には間違いないが、跡部の求めるような情報はやれないな」
「………まさか、」
どこか信じられないものでも見るかのように、そしてゆるりと首を左右に振ると
跡部が静かに吐息を零した。
まさかこんな所で会う事になるとは、思わなくて。
「……真田って言ったか。
 立海のじゃねぇなら、何処の誰のモンだ?」
「その問いには答えられん」
「あ?」
「情報が無いのだ、製作者も製作先もな」
「イレギュラー扱いってコトか……」
合点がいったと頷いて、跡部が腕組みをして頷く。
方々を渡り歩いて、立海に辿り着いたというわけだろう。
「おい柳、お前コイツどうするつもりなんだよ」
「別に…どうもしない。
 行くあても帰る場所も無いのならと、うちに置くことにしたんだ。
 弦一郎は刀を扱うのが凄く上手くてな、今は俺のSPという事になっている」
「へぇ……」
あても無く彷徨われるよりはその方が身元もしっかりするし、却って好都合だ。
口元に淡い笑みを覗かせると、跡部がポンと真田の肩に手を置いた。
「まぁ、しっかりやれよ」
「……? ああ、善処はしよう」
「もう帰るのか、跡部?」
「あー……俺もうちでうるせぇのと騒がしいのが待ってるからな」
「そうか、それではまたな、跡部」
「ああ……そうだ、柳」
「うん?」
立ち去り際に何か思い立った様子で立ち止まった跡部が、己の鞄を軽く漁ると
一枚のディスクを取り出して柳に向かって放り投げた。
上手く受け止めて、柳がまじまじとそのディスクを眺める。
それはどこにでもありふれたもので、中に入っているものは見てみないと
何とも言えないが、ラベルも何も無いそれは蛍光灯の光を反射して柔かな
光を放っていた。
「……これは?」
「持ってろ。
 もしかしたら……それが命綱になるかもしれねぇ」
「どういう意味だ?」
「………その時が来たら、嫌でも分かるさ。
 それじゃあ、またな」
背を向けたままで軽く手を振ると、跡部は正面玄関から足早に出て行く。
それをぼんやりと見送っていると静かに声がかかった。
「……どうするのだ、蓮二?」
「うーん…まぁ、持っていろと言うのなら、貰っておくさ。
 中身も気になるし、帰ったらとりあえず見てみることにしよう。
 それでは、俺達も行くとするか、弦一郎」
「ああ……」
車が停めてあるのに近い、東側の通用口へ向かうために歩き出した蓮二に
続こうとして、ふと真田が足を止める。
それに気付いた蓮二が振り返って、不思議そうに首を傾げた。
「どうした、弦一郎?」
「………いや、何でもない」
一度だけ振り返って、だが諦めたように真田が吐息を零すと、蓮二を追って
再び歩き出した。

もしかしたら、あの跡部景吾という男は、自分の事について何か知っている
ような気がしたのだが、そしてもし今あの背を追って問い詰めれば教えて貰える
かもしれないが、蓮二が気にならないのなら別にどうという事もない。

 

自分が何者でも構わないと、この少年はそう言ってくれたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車の後部座席に深く腰を下ろし、跡部が珍しく困惑した表情のままで
流れゆく窓の外の景色を見遣る。

 

 

【守るものを失った俺に、もはや生きる意味などない】

 

 

確か、あの男はそう言っていた。
失う前の姿も後の姿も知っている自分には、その違いがあからさまに
伝わってくるぐらい、そう言った時のあの男は何も無い目をしていた。
当時の跡部自身にそこまで大切にしているものなど何も無かったから、
あの頃の自分には、彼がそうなる理由が全く理解できなかった。
だが、今なら分かる。
何を置いても守りたいものができた、今なら。
その目が、どれほどの悲しみを湛えていたか。
失ったものというのが、どれほど大切なものだったか。

 

「………ああ、侑士か。今終わった。
 ジローはどうしてる?」

 

ひとつ残念な事があるとすれば、それが理解できるようになったというのに、
自分にはもう何もしてやれないところまで、彼が足を踏み込んでしまったと
いう事だろう。
もはや自分が何を言ったところで、決して彼に届く事は無い。

 

「分かってるって、真っ直ぐ帰る。
 プレゼントもちゃんと用意してあんだからよ、お前も見てビビんなよ?
 ………ははは、誕生日ぐらい派手にしてやんねえと、だろ?
 あと30分ほどで帰るから、もうちょっと待ってろ」

携帯を切って、跡部は思案するように瞼を下ろす。

 

マザー社のシステムを軸に大小数あるロボットメーカーの中、現段階で
一番大きく力があるのは立海だ。
そして柳蓮二とは、彼がこの世界に初めて姿を見せた時からの知り合いでもある。
真田が行方知れずになった時にはどうなる事かと思ったが、立海、それも柳蓮二という
少年に拾われたのなら、それもまた運命という事だろうか。

 

 

【守るものを失った俺に、もはや生きる意味などない】

 

 

生きる意味を無くしたあの男が、今一人の少年を守るために生きているなんて、
あまりにも滑稽すぎて笑い話にもできやしない。
「まぁ……プロトタイプにしては上出来だな」
くつくつと忍び笑いを漏らして、跡部が愉快そうに目を細めた。

 

 

 

 

残念だ、記憶が残っていたのなら、散々馬鹿にして指差して笑ってやったのに。

 

 

 

 

 

< END >

原題:失いたくないもの全て、守ることが出来たなら。もう何もいらない。

 

 

 

 

キーマンは跡部。
もうお分かりでしょうけれど、真田は元人間です。
そして跡部とも知り合いでした。
でしたっていうのは、真田自身に記憶がないからというわけで。
色々あって、作り物のボディに人間の脳を移植するという、その実験台に
弦一郎さんが志願してたわけでした。
恐らく人間からアンドロイドになった第1号さんです。

 

複雑な人間関係っていうのは、設定立てるだけですんごい楽しいです。
一応、第1〜3節までは繋がってるっていうか、3部作みたいなカンジで。
全5話なんかで終わるわけねぇ!!ごめん!!