〜 Life 〜
【 We asked sincerely when not wishing to leave. 】

 

 

 

 

 

結果的に言えば、滝の再起動は問題無く済んだ。
エラーも起こす事無く、動きも以前と何ら変わりが無い。
2つの記憶が混在しないかと心配したそれは結局杞憂に終わったようだ。
簡単に言えば、過去と現在で時系列が違うからという事になる。
過去に再起動をさせようとした時にウイルスが撒かれ断念した事が、
意外な部分で功を奏したようだった。

 

 

そして起動が済んだ滝が真っ先に行ったのは、負傷したジローの治療だった。
貫通しているとはいえ、人の身で血を流しすぎている。
傷口を縫合しながら、滝が密かに眉を顰めた。
「無茶しすぎ、ジロー」
「うん、ごめんね滝ちゃん」
局部麻酔なので話す事は問題無い。
大人しく滝の治療を受けながら、それでもジローの表情はいつになく緩んでいた。
何も、変わらないからだ。
滝の言葉も表情も、何もかも。
手当てをしている時の真剣な眼差しも。
「………ありがとうね、ジロー」
「ん?」
「俺を直してくれたの、ジローなんでしょ?
 怪我して辛かったのに……」
「大丈夫だよ、これっくらい!」
「わ、ば、バカ、動いちゃ駄目ッ!!」
縫合中の手を止めきつい目で叱っても、どうやら今のジローは上機嫌で
あまりというか全く堪えてないようだ。
「まったくもう……ほら、消毒して包帯するから、腕上げて」
「はぁい」
重苦しい吐息を零しながら言えば、えへへと苦笑を見せながらジローが
素直に従った。
「で、どうするんだい?」
「何が?」
「ジローはこれからどうするの?それで、俺はどうしたらいい?」
「ええっと……」
麻酔のおかげで痛みの無くなったジローが、身を起こしてこくりと首を傾げた。
「俺は、今からみんなを直すよ。
 滝ちゃんと樺ちゃんには、それを手伝ってもらうね」
「みんな……やられたのかい?」
「ううん、亮ちゃんは元気。
 けーちゃんとゆーちゃんは、マザーに行ったよ」
「で、その元気な宍戸は?」
「2人を迎えに行ってくれるって」
「そう……」
少し考えるように視線を落とし、だがすぐに顔を上げるとにこりと笑みを浮かばせる。
「じゃ、3人が戻ってくるまでに、みんな直しちゃおうか。
 俺も手伝うからさ」
「うん!ありがとう滝ちゃん!!やっぱやさC〜!!」
「あははは」
ぱっと顔を輝かせて抱きついてくるジローに、滝が笑い声を上げてその蒲公英色の
髪の毛にそっと頬を寄せた。
「優しいのはジローの方だよ、ありがとう。
 前に見たときはあんなに小さい子だったのにね………ビックリした。
 きっと、いっぱい頑張ったんだね」
「そんなコトないよ。みんなが助けてくれたしさ。
 さ、ちゃっちゃっとやっちゃおうか!」
「そうだね」
元気一杯に言うとジローは、樺地が待機している隣の部屋へと走っていった。
負傷した仲間達をみんなパソコンに繋げて準備をしてくれているのだ。
走ると傷に響くんだけど言っても無駄なんだろうね、と呟きながら滝も
口元を綻ばせてジローの後を追っていったのだった。

 

それなりに逞しく育ったあの子に、一瞬ドキッとしてしまったのは、
ここだけの話にしておこう。

 

 

 

 

 

 

まず滝と樺地のメンテナンスを簡単に済ませ、次に鳳の補修を済ませた。
彼は撃たれた場所が重要箇所からは離れていたので案外簡単に終わった。
次に日吉。
多少難儀したものの、左胸だったということもあり何とかなりそうだ。
人間の心臓が左にあるように、アンドロイドの中枢は右にある。
そこでなければ、何とでも修繕のしようがあるのだ。
問題は岳人だった。
「がっくんは……そっか、頭、だっけ……」
滝の時と同じで、額を一発。
立て続けの修理で少し疲れた身体をソファで休めながら、ジローが
ソファの端に頭を預けるようにして天井を見上げた。
滝の時はメモリーのデータが残っていたから何とかなった。
だが岳人にはそれが無い。
もちろん初期設定時のメモリーは榊に頼んでメールで送ってもらいはしたが、
それから先に培われたものが、何ひとつ無くなってしまう。
起動はできるが、そこからはまた1から始めるのと同じなのだ。
岳人の体内にメモリーが残っている可能性は……少し、考え難い。
「どうしたもんかなぁ……」
ぽつりと呟いた言葉は、同時に部屋に入ってきた滝に聞かれてしまった
ようだった。
「どうしたの、ジロー?」
「あ、滝ちゃん。どったの?」
「消毒の時間だよ」
「う……染みるからヤなんだよなぁ…」
「しょうがないよ、そこは堪えてもらわなきゃ」
救急箱片手にやってきた滝に、ジローが苦い笑みを零しながら身体を起こした。
例えば、滝がそうだったら?
滝が何もかもを忘れてしまったら?
「ちょっと………痛いなぁ……」
「ん?染みた?」
消毒薬を染み込ませた脱脂綿で傷口をやんわりと拭いながら、滝が困ったような
視線を向けてくる。
「そうじゃなくて……がっくんがね」
「あー……直りそう?日吉がだいぶ心配してるよ」
「うーん……直せるのは直せるんだけど……」
何となく頭の中で燻っていることをぽつりぽつりと話して聞かせると、
包帯を巻き直した滝が救急箱の蓋を閉めながら吐息を零した。
「そっか……岳人は、駄目なんだ……」
「ん……だからね、ちょっと迷っちゃって……ヒヨがさ」
「日吉?」
「うん……大丈夫かなぁって…」
「どうして?」
こくりと首を傾げて問うてくる滝に、やはりここらへんの些細な感情の機微は
解らないのかもしれないなぁと思いながらも、ジローがぼんやりと口を開いた。
「例えばね、俺が此処に来た時は……ゆーちゃんもけーちゃんも、そんで
 滝ちゃんも俺のこと忘れちゃってた状態だったんだ」
「……うん、」
「それでも俺は、その時はまだ一緒に居れば何とかなるって、俺のこと
 忘れちゃってても、もう一度1から作っていけばいいって、そう思えたんだ。
 でも……今はどうかな、ちょっと自信が無い」
「…………。」
「ゆーちゃんやけーちゃんなら、同じように思えるかもしれない。
 でも……今は俺、滝ちゃんに忘れられちゃうと、たぶん泣いちゃうかも」
「ジロー…」
両手で顔を覆うようにしながら、ジローがたははと情けない笑みを零す。
だが何故か、滝には今ジローが泣いているように見えた。
もしかしたら本当に、泣いていたのかもしれない。
「ヒヨも、多分同じだと思う」
「………そう、」
もし岳人を起動させて、日吉の事がわからなかったら、彼はどんな表情をするだろう。
そうですか、といつもと同じ表情で流せるだろうか?
そんな筈はない。
そんな筈が、ないんだ。
「だけど……直すんでしょ?」
「……うん」
それでも。
全部、忘れてしまっても。

 

「日吉ならきっと、直してやってくれって、言うよ」

 

彼の心に迷いがないのなら、そこに出る答えは決まっている。
「だから、とにかく俺は俺にできる事をやるだけだよ」
「うん……そうだね」
弱い笑みを見せながらもそう言う少年を、抱き締めてあげたいと
思ってしまったのは、間違いなのだろうか?

 

 

 

 

 

 

話は聞いた。
ジローのことも、跡部の目的も、そして岳人のことも。
「日吉……大丈夫?」
表情を窺いながら心配したように問い掛けてくる鳳に、日吉は片手を
上げる事で制した。
ジローの正体についても、跡部のことにしても、然程自身を動揺させる
話ではなかった。
隣に座っている鳳などは、驚きに目を瞠って「え?え?」と動揺しまくっていた
風ではあったのだが、それも今ではどうやら落ち着いているようだ。
樺地なんかは最初から知っていたという、論外だ。

 

「……終わったよ、いつでも起動できる」

 

だが、岳人の修繕を終えて出てきたジローの言葉には、正直な話心の揺らぎを
止めることはできなかった。
自分は、どのような態度でどのように迎えてやれば良いのだろう。
あの、小さなおかっぱの少年を。
岳人の記憶が無くなってしまうのだと、そう言われた時の感情は、上手く
表現することができないだろう。
言うなれば、複雑。
また元気に動き回る岳人の姿を見たいと思う反面、きっと彼は自分の姿を
見ても名前すら出て来やしないのだろうと思うと、それを少し躊躇って
しまう自分が居るのも確かだ。
「……おい、長太郎」
「ん?」
何気なく、隣に腰掛けている鳳に声をかけてしまった。
それにきょとんとした視線を向けた鳳へと、質問を投げる。
「お前だったら、どうする?」
「え?」
「もし宍戸さんが、今の向日さんの状況だったら……お前は、どうする?」
「……俺かぁ……」
うーんと眉を寄せて一頻り唸ってから、答えが出たようで鳳はうんとひとつ
大きく頷いた。
「俺なら、例え宍戸さんが俺の事を忘れてしまっても、起こして欲しいと
 思うよ」
「…………。」
「だって俺は、宍戸さんの笑ってる顔が好きだから。
 それがまた傍で見られるなら、それでいい」
なんてちょっと偽善すぎ?と首を傾げて苦笑いする鳳に、自然と日吉の口元にも
笑みが乗った。
「偽善だな」
「酷いなぁ……そりゃ、忘れられちゃうのは、だいぶっていうかすごく悲しいけど、
 でも…相手が居て初めて状況っていうのは進展があるんじゃないかな。
 少なくとも日吉は、向日さんが居なきゃ前にも後ろにも進めない。違う?」
「………ああ、」
鳳の言う事は間違いなく正論だ。
この場所でああだこうだ言っても、岳人が居ないのではこの状況に変化は無い。

 

「ああ、俺もそう思う」

 

ソファから立ち上がって言う日吉に、鳳がにこりと優しい笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

「あ、日吉、」
部屋に入ってきた日吉に気付いた滝が声をかける。
それに頷いて応えて、日吉はジローへと近付いた。
「どうですか?」
「今から起こすトコロだよ、ちょっと待ってね」
カタカタと軽やかにキーボードを打ちセットを済ますと、ジローは軽やかな手つきで
エンターキーを押した。
目を覚ますのを待ちながら、日吉がじっと岳人の姿を見つめる。
確かに外傷は全て直され見た目は今までと何も変わりは無い。
本当は、本当は忘れて欲しくなんかないんだ。
我儘だと解ってはいても、そう願わずにはいられない。
「……ヒヨ、」
そんな思いに気付かれてしまったのか、ジローが声をかけてくるのに
はっと我に返った日吉がその方を向く。
モニターを見つめるジローの目は、いつになく真剣だった。
「ジローさん…」
「がっくんは、がっくんなんだから。
 それを忘れないでね」
「………解ってます」
データ転送終了の合図がパソコンから発され、思わず日吉が身を固くした。
「う…ん、」
もぞりと後ろの台で身動ぎをしている音を聞いて、恐る恐るといった緩慢さで
日吉がゆっくりと振り返る。
眠そうな瞼を瞬かせながら、赤いおかっぱの少年は目元を手で擦っていた。
何も言えずにそのまま日吉が立ち尽くしていると、目の前に立っているその存在に
気がついたのか、岳人がひょいと面を上げる。
日吉の姿を認めて、その目はほんの少し笑みを乗せて僅かに細められた。

 

「俺、向日岳人。ヨロシクなっ!」

「………日吉若です」

 

それは、いつか繰り返した言葉。

 

「日吉かー…じゃ、ヒヨだな」

「何がですか」

 

それは、いつか交わした出逢いの言葉。

 

「呼び名だよ。邪魔くせぇだろ?
 それともワカの方が良いか?なぁ、なぁ?」

 

ちゃんと覚えている。
この身は、一言一句違わず覚えている。
だから、自分が返す言葉ももう、決まっているんだ。

 

「……どっちでも良いです」

「じゃあヒヨだ」

 

あっはっはと声を上げて笑う岳人に、知らず己の手が伸びる。
強く抱き寄せれば、酷く動揺した岳人の慌てた声が上がった。
「え、うわッ、どうしたヒヨ、ヒヨって気に入らねーか?」
「……違います」
あまりにも変わらなさ過ぎて、変わらない笑みを見せる彼が、
どうしようもなく愛しくて。
「お帰りなさい、向日さん」
言いながら、自分の頬が涙で濡れている事に気がついた。
嬉しさなのか、切なさなのか、判断はつかないけれど。

 

 

「え?ああ、うん………ただいま、ヒヨ」

 

 

自分を気遣って合わせてくれた返答なのだと理解していても、
岳人のその言葉がどうしようもなく嬉しかった。

 

 

 

 

 

< END >

原題:忘れて欲しくないと切に願った

 

 

 

大丈夫、彼となら何度だって最初から始められる。