〜 Life 〜
【 The kiss is the taste of the blood. 】

 

 

 

 

そう頻繁にある事ではないが、時折、主人は自分を抱く。
無論その行為自体は最初にセッティングされた『使用目的』というものに
適っているし、自分自身がそういう風に作られているのだから、別段大きな
問題というものはない。
自分以外にも、こういった所謂『性的愛玩目的』で存在しているアンドロイドは
世界中に多数存在していた。
だがひとつだけ、忍足には解らない事がある。

 

「切ってあるか?」

「……OK、遮断したわ」

 

彼は、その時だけは自分にマザーへの接続を切断させるのだ。
世に存在しているアンドロイドは、そのほぼ全てがマザーに登録する事によって
活動を許されている。
もちろん、メンテナンスをする時だとか、スリープ状態に入る時だとか、
本体そのものの電源を落とす時などは接続を切られるので、マザーへの接続を
切断する事自体は容易い事だ。
だが何故、こうも彼は自分に頻繁に接続を切らせるのかが、理解できない。
訊ねてみた事はあったが、その時彼は「監視されてるみたいで、気分悪ぃだろ?」と
漏らしたのだが、何もそこまでプライバシーに突っ込んだことが漏洩するわけではない。
でも気分の問題なのなら、その時ぐらいはそうしてやっても良いか、と思って
忍足は彼の言う通りにしていた。
そして今、全てを終えて通常通りに回線を復帰させようとしていた矢先、
唐突に主人が思いも寄らない事を言ってきた。
「…お前、今日はこのまま繋ぐんじゃねぇぞ」
「へ?何……マザーに?」
「そうだ」
「なんで…?」
どうして頑なにマザーへの接続を止めるのか。
それだけが、どうしても解らなくて忍足はまた怪訝そうな表情を浮かべる。
マザーに接続できないという事は、自分にとって全ての情報源をシャットアウト
するという事だ。
不安という気持ちとは少し違うが、心許ないのは確か。
その気持ちがそのまま顔に出てしまっていたのだろう、彼は忍足を暫し見つめると、
小さく苦笑を浮かべて触れるだけの優しいキスをした。
「心配するな、お前は大丈夫だ」
「………それって、どういう……」

「俺が、守ってやるから」

優しい、だがどこか勝気な笑みを見せて、彼は忍足の髪をくしゃりと撫でる。
しかし彼の発言は絶対的な響きを持っていて、まるで何かが起こるのだと
想定させられるような、そんな気さえ、して。
「なぁ……何を隠してるん?」
「隠してたつもりはねぇが……酷く、嫌な予感がしてな」
「…?」
「人間様の勘……中でも嫌な予感ってヤツは、大概が当たりやがる」
「……どうしたん?」
ほんの一瞬、彼の瞳が弱く揺らいだ気がする。
そんな微かな変化すらも見逃す事無く、忍足が気遣わしげに言葉をかける。
だが次の主人の言葉は、また、自分の想像を遥かに超えるものだった。

 

「………マザーは、きっと……もう、駄目だ」

 

 

 

 

 

 

 

廊下で幼い子供の悲鳴が上がった。
「………しまった!」
「ん…ジロー…?」
それに反射的にベッドから飛び降りたのは主人で、彼は苦々しく舌打ちを漏らすと
「あれほど廊下に出るなと言っただろうが」と漏らして廊下へと飛び出していく。
エネルギー充填も兼ねた眠りから、忍足はゆるりと覚醒を続ける。
確かに主人はいつもジローや自分に言い聞かせていた。
なるべく一人で廊下には出るな、と。
ジローが何処かへ行く時は、主人か自分が必ず一緒に居ること、と。
何故なのだろうかというところまで思考が辿り着く事も無く、
忍足の意識は一気に浮上を果たした。

3発の、銃声によって。

 

 

廊下から聞こえた銃声は、一体、誰が誰へと向けたもの?
布団を跳ね除けるようにしてベッドから抜け出すと、部屋から廊下へと飛び出す。
そこで目にしたのは、銃を手にした数体の作業用ロボットと、泣きじゃくるジローと、
血に塗れて廊下に倒れる、主人の姿。
「な……何があったんや……」
「けーちゃん!けーちゃん!!」
幼子は泣き叫びながら主人に縋る。
作業用ロボットが、彼を攻撃したというのだろうか。
絶対服従が大前提と思っている自分にとって、それは信じられない光景だった。
そしてその銃口は今、ジローへと向けられている。
かっと頭に血が上ったのを感じた。
一番近くにいたロボットの腕を蹴り上げて銃を奪う。
そしてそれを、躊躇う事無く仲間である筈のロボット達に向けた。
1発目はすぐ傍のロボットの頭を、2発目はその向こうに居たものの喉元を、
3発目は、一番遠くに居たものの胸を。
打ち抜いて静かになったその場所で、だが銃を構える腕は下げる事ができなくて、
忍足がグリップを強く握り締める。
それをやんわりと下ろさせたのは、彼だった。
血で赤く染まった手で忍足の腕を掴むと、ゆっくりとしたな動作で下げさせる。
忍足の手から銃が離れて、ガチャン、と硬質な音が響いた。
「………悪ィ……まさか、こんなに早くだなんて、思わなかった……」
「…ッ!喋ったらあかん!傷が…!!」
「いや、聞け」
廊下の手摺に凭れるようにして、主人が重い口を開いた。
ぽたり、とその口元からも血液が溢れ出る。
それを他人事のように眺めて、彼はぐいと口元を拭った。
恐らく………自分はもう、駄目だろう。
「侑士、お前はジローを連れて『氷帝』へ帰れ」
「な……ッ!?」
余りにも唐突な話に、忍足が驚きを顕にする。
何をもって、彼はそのような事を言う?
「何で氷帝に……」
呆然としながらの忍足の問いに、薄く主人が口元に笑みを乗せた。

 

「契約破棄だ」

 

何を言われたのかわからなくて、忍足は暫し口を噤む。
どうして、こんな時に、
どうして、こんな事を言う?
考えて考えた末に、出た言葉は酷く幼くて情けない気持ちになる。
「………でけへん。例え契約自体がここで無くなってしもうたとしても、
 こんな血塗れになっとるヤツ放ってなんて、俺は行かれへん!」
「俺よりも、ジローの命の方が優先だ」
「…でもッ」
「俺は多分………もう、駄目だから、」
「けどッ…生きとるやんか!!
 まだ俺の目の前で、こうやって生きとるやんか!!」
主人かジローのどちらかを優先せよという事になれば、恐らくロボットである忍足は
悩みはしないだろう。
忍足侑士は、主人のものであるのだから。
最優先事項は誰よりも、まず彼が出て来るようになっている。
「理解しろ、侑士。
 俺が死んだら……多分、次はジローだ」
「なんで……なんで、そんな事に、」
マザーとの接続を切っていたからだろう、まだ忍足は知らなかった。
マザーが狂い出していること。
仲間達が人間を敵視していること。
情報は何も、得ることができていない。
「どうしても心配なら救急車でも呼んでいけ。
 俺は……悪ィがもう、動けねぇ」
どくり、と心臓が脈打つ度に流れる血液は、止まる事無く衣服に赤黒い染みを
広げている。
思考が定まらなくなる前に、手は打っておかねばならない。
時間はもう、余り無い。
「俺だけじゃなくジローまで失っちまってもイイのかよ?」
「……ッ!」
「………テメェは、やっぱりただのロボットのままか」
「俺は……」
「侑士、お前は……どうしたい?」
暗に『自分で考えろ』と言われて、忍足は視線を床に落とした。
足元では幼い子供がまだ蹲ってしゃくりあげている。
主人と同じぐらい、同じだけの想いを注いで育ててきた、子供。

 

もし、この子供までもが居なくなってしまったら?

 

「………わかった、行くわ」
「理解が良いな、助かる」
「ジロー、おいで。氷帝へ行こ?」
「……ゆーちゃん、けーちゃんは?」
「一緒に行く事はでけへんから、バイバイや」
「………おれの、せい?
 おれが…言うこと聞かずに部屋から出ちゃったから?
 ごめん、なさい。……ごめんなさい…ッ」
ぽろぽろと大粒の涙を零して謝る子供が愛しくて、手を伸ばして強く抱き締めた。
銃弾に貫かれた身体に走る痛みも構うことなく、力の入らない両腕にありったけの
想いを篭めて。
「ジロー、お前のせいじゃない。
 大丈夫だ。大丈夫だから…」
「けーちゃん、」
「侑士と一緒に、行けるな?」
「……………うん。」
ゴシゴシと涙を拭うと、ジローがこくりと大きく頷く。
それに「良い子だ」と頭を撫でてやって、彼はその腕を離す。
この場所に敵は居なくなった。とりあえずこの空間は自由になるが、
外から別のロボットが攻めてこないとは限らないし、ずっとこの場所に
閉じ込めてしまうわけにもいかないだろう。
寝巻き姿のままのジローに着替えて準備をするように言うと、
従順に従い自分の部屋へと走っていった。
きっと、子供は子供なりの覚悟を決めたのだろう。
「……強い子や」
「当然だろ?俺達が……育てたんだぜ?」
「せやね、」
救急車を呼ぶために外と連絡を取っていた忍足が、電話を切ると
主人の元へと歩み寄った。
「ほんまに、傍に居らんでええ?」
「一刻を争うのはお前達の方だ」
「……何が、起こってんのや?」
「それも全部、『氷帝』で知るだろ」
「そうか……わかったわ」
せめてもの応急処置に、と己の上着を裂いて主人の身体にきつく縛り付ける。
これで少しは止血になれば良いのだけれど。
しっかりと絞められた結び目を確認して忍足が目線を上げると、じっと自分を
見つめてくる蒼い目とぶつかった。
何か言おうと口を開いたけれど上手く言葉にならなくて、結局言葉を紡いだのは
向こうが先だった。

 

「楽しかったぜ、今まで」

「……俺もや。ええ主人に出逢えて、ほんまに良かったわ」

「ジローのこと、頼んだぜ」

「任しとき」

「さぁ……もう、行け」

「うん、」

 

促されて立ち上がろうとする、その前に。

 

「なぁ……いつかまた、逢える?」

「さァな、それは、ちょっとわからねぇな」

「そぉか……」

 

ほんの少し落胆の色を見せて、口元に苦い笑みを乗せたが、
それでも前に進むべく忍足は重い腰を上げる。
ぽつりと両の目から雫が零れた。

 

「愛しとるで?」

「…俺も愛してるぜ、侑士」

「ほな……」

 

もしも、いつかまた、逢えたら。
その時自分が何処に居ても、誰のものになっていても。
きっと、もう一度愛してみせるから。

 

 

「…………さよならや、景吾」

 

 

交わした最後の口付けは、錆びた鉄の味がした。

 

 

 

 

 

 

遠く、サイレンの音が聞こえる。
眠りに落ちるときのように重くなった瞼を、そっと下ろす。
身体は鉛のように重く、指先すら動かす事がままならなくなっていた。
気管を通る呼吸の音が耳について煩わしい。
けれど、今、想うのは。
誰よりも愛した、彼らのこと。
離れたくないのは自分だって同じだった。

 

元々マザー社の開発チームに居る自分にとって、このマザーの暴走は
予期できた範囲内の事象であったし、予測もできたなら予防だってできた筈なのだ。
それが間に合わなかったのは、全くの己の読み間違いだ。
自分で撒いた種は自分で刈らねばならないと思うし、その程度の責任感は持ち合わせている。
放置なんて『跡部』の名が許さないだろう。
だから今まで、方々を駆けずり回って手はずを整えておいたのだ。
協力者には『氷帝』のオーナーである榊が名乗り出てくれた。

 

【なぁ……いつかまた、逢える?】

 

眼鏡の奥で頼りなげに揺れていた瞳を思い出す。
叶えたかった。彼も、そして自らもが願っている、その望みを。
そして自分は今、最後の賭けに出る。
一か八かの、大きな賭けだ。
ふぅ、と細い吐息を零して、サイレンの音を発しているそれが早く自分の元まで
辿り着くように、祈る。

 

 

 

 

「ああ、いつか必ず………逢いに、行く」

 

それは、深紅に染まる世界の中で誓った、確かな思い。

 

 

 

 

 

< END >

原題:口づけは血の味

 

 

 

全ての話はここに集約し、ここから始まっていく。