〜 Life 〜
【 Even if it forgets this heart. 】

 

 

 

 

これは何の冗談だろうか。
どうして、今目の前で横たわっている男が、自分の製作者なのだろうか。

 

「あ…の……」

困惑した表情で、滝が視線を向けたのは『氷帝』のオーナーでもある榊太郎だ。
彼の指示により……実際は、今目の前で死人のように寝かされている製作者の
指示であるのだが、それにより今彼は『氷帝』が管理している医療施設に居た。
「今のお前の技術なら、できるだろう?」
「それは……そう、ですが、」
狼狽を隠すこともできずに、滝が手術の為に着込んでいた衣服をぎゅっと握り締めた。
「お前の手で、救ってやってくれ」
できるだろうか。
死の危機に直面している、自分の父とも呼べる製作者の脳を、別に用意した
身体へと移植する。
自分に、本当にできるのだろうか?
失敗すれば当然、彼の命は無くなってしまう。
不安に思わない筈が無い。
「………?」
くん、と小さく裾が引っ張られて、滝は視線を下へと向けた。
小さな小さな手が、自分の服を掴んでいる。
蒲公英色のふわりとした髪が、目に鮮やかに映った。

 

「けーちゃんを、助けて」

 

瞳を潤ませて、だが泣くのを必死に我慢しながら少年が言う。
自分の製作者の子供なのだろうか?
そんな話は聞いた事が無いけれど。
困惑した表情は隠せなかったけれど、でも、その思いに勇気付けられたのは確か。
この切実な瞳は、今まで所属していた病院でも沢山見てきた。
それがどれほど大切な思いなのかも、知っている。

 

「……大丈夫、必ず助けるよ」

 

ぎゅっと、その小さな身体を抱き締めて告げると、うんと大きく頷かれて
思わず口元が綻んだ。

 

 

 

 

 

 

結論だけ言えば、成功する確率は5分5分だ。
上手く行けば移植された脳は覚醒を果たし、与えた作り物の身体を動かす事が
できるだろう。
上手く行かなければ、植物状態のままが続くか、そのまま息絶えるか。
だが、どちらにしたって。
「恐らく……キミの事は忘れてしまうだろう。
 それだけじゃなくて、彼は彼に関わる全てのものを……」
「わかってる。それでも、けーちゃんには生きて欲しい」
年齢を聞けば、この少年はまだ8歳だと答えた。
なのに、全てを理解したような表情が、榊を困惑させる。
「キミは、どうする?」
「どうって……意味がわかんない」
「キミは人間だ。まだこの世界は予断を許さない状況で、キミにとっては
 とても危険な世界とも言えるだろう。
 もちろん、キミを庇護するだけの用意がこちらにはあるが…」
「オレは……」
唇を尖らせて言い澱む。
本当は、別れたくなんかなかった。
あのまま3人で、楽しく暮らしていければそれで良かったのに。
「オレは、ずっとけーちゃんとゆーちゃんと、3人で居たかったんだ」
「それは、今でも変わりないな?」
「……うん」
自分を見る彼の瞳は優しい。
それにはどういった意味が込められているのかまでは、まだ幼い少年には
知る由も無かったけれど。

 

「キミには素質があると彼から聞いている。
 私の意志を継ぐ気は無いだろうか」

 

少年は、言われた言葉の意味が理解できずに目を瞬かせている。
まだ、理解する歳じゃないのだろう。
子を持たない榊にはそう感じるしか無かったが、それはそれで良い。
「まだ時間はたくさんあるから、私の言った言葉の意味をじっくりと
 考えなさい」
「………うん」
優しく諭すように言った榊の言葉に、少年は僅かに頷くことで答えた。

 

 

 

 

 

 

手術中のランプが消え、扉が開く。
忙しなく動く補助ロボットの中、悠然とした姿で出てきたのは滝だった。
その姿は、例えその両手が服が血液で赤黒く染まっていたとしても、
少年の視線を奪うには充分なほどの、毅然な振る舞いだった。

 

「滝ちゃん!」

 

ソファから飛び跳ねるように立ち上がって駆け寄ると、滝は視線を緩ませて
手袋を取った左手で彼の頭をそっと撫でる。
「もう、大丈夫。心配はいらないよ」
そう一言言ってやれば、少年の表情がぱっと輝いた。
「ありがとう!ありがと滝ちゃん!」
「上手く起動すると思います。
 あとは……オーナーの管轄ですから」
「ああ。解っている。ご苦労だった」
疲れただろうから少し休憩を取ると良い、そう言われて滝は頷いた。
少年に手を引っ張られるままに歩く。
だが、それは唐突に起こった。

 

 

『内部エラー発生・強制終了します』

 

 

ぽつりと呟いたかと思うと、滝はそのまま崩れるように廊下に倒れ込んだのだ。
「滝…?」
驚いて榊が駆け寄る。
内部エラーとは、どういう事なのだろうか。
つい今しがたまで、普通に動いていた筈なのに。
「どういう事だ…?」
このような事態は初めてなのだろう、榊の口から動揺の声が漏れた。
滝が目覚めやしないかと揺り起こしていた少年が、もしかして、と口を開く。
「けーちゃんが、けーちゃんじゃ無くなっちゃったから……?」
自分を作った父とも呼べる相手を切り開いた時の恐怖は、如何ほどのものだろうか。
そして彼を、彼の面影を残さない別の器に移した、その時の思いは。
彼は父だ。だが、何もかも失ってしまった彼はもう父とは呼べない。
胸の内で葛藤が起こる。
これは間違ってはいないか?倫理から反してはいないか?
だが、彼には生きて、ほしい。
葛藤の末が、この強制終了だった。

 

「滝ちゃん……」
目を閉じたままの動かない恩人に、声をかける。
赤い髪に、触れる。
ボタボタと落ちる涙が、視界を鈍らせた。
「ごめんね……ごめんねぇ、滝ちゃん……」

 

もう謝ったって、遅いけれど。

 

 

 

 

< END >

原題:この心を忘れても

 

 

 

けれども、少年を動かしたのは滝の存在だったのだと言えるんじゃないかな〜。
少年にとって滝は、命の恩人とも言えるでしょうね。