雨が降っていた。

もう、冷たさなんて感じなくなってしまっていたけれど。

 

 

〜 Life 〜
【 Getting to feel nothing, too. 】

 

 

 

 

 

 

門の前に立って、高く聳える建物を見上げた。
この門構えを見るのは久々だ。
此処を出る前はなんて華やかな建物なのかと思ったものだが、
今、この時になって見るとそれは高く高く聳え立つ塔のように見えて。
足が、竦んだ。

 

 

以前は開け放たれていて自由に行き来できていた扉も今は固く閉ざされて、
御用の方は呼び鈴を押すようにと門にプレートがついている。
これは夜間用の防犯システムで、呼び鈴を押した後に製番・声紋で識別し、
社内の人間と判断されたら門が開くという作りだ。
もちろん自分も社内の人間であるので、照合が認知されれば門は開かれる。
「……ねぇ、ゆーちゃん」
くい、と手が引っ張られて、忍足は視線を下へと向けた。
自分の腰までもない背丈の小さな少年が、強く手を握って大きな目を
自分へと向けている。
「…どないしたん?」
「なか、はいんないの?」
「ん、入るで」
きょとんと見上げる幼子の頭をそっと撫でて、忍足は門の傍の呼び鈴を押した。
すぐに応答がある。

 

 

【製造番号をどうぞ】

「……12530」

 

【製造番号検索中……認知。お名前をどうぞ】

「オシタリ・ユウシ」

 

【氏名照合中…認知。声紋照合中……認知。開門します】

 

 

ギギ…と錆びた音を上げながら門が左右に開かれていく。
「すげー!!すげー自動!!すげー!!」
「ははっ……凄いか?」
「うん、こんなのけーちゃんトコにも無かったじゃん!すげー!!
 もっとよく見とこっと!!」
「こらこら、そんなヒマあらへんよ。早よ入らな閉まってまうがな。
 ほら、行くで」
「わぁ!待って待ってゆーちゃん!!」
ゆっくりと歩めば後ろからパタパタと小さな足音が聞こえてくる。
一人じゃないという実感が耳からも繋いだ手の温もりからも感じられて、
酷く安心した。

 

 

 

 

「……久し振りやねぇ」
「何だお前、いつのまに関西弁なんぞ喋るようになったんだよ」
「うっさいわ宍戸!!」
馴染みの仲間を前に感慨深げな声を上げると、宍戸は訝しげに眉を顰めて
忍足をまじまじと眺めた。
此処を出る前の忍足は、もっとクールにものを言う奴だった。
だが目の前の彼は、とても穏やかに見える。
何が、という事ではなく、全体的な雰囲気がだ。
「変わったなぁ、お前」
「そう?あんまりそんな感じはせぇへんねんけど」
「いや……変わった」
「アカンか?」
「そんな事ねーよ。むしろ良くなったと俺は思うぜ?
 主人が良かったんだろうな」
「………せやねぇ、」
思い出すように瞳を閉じて小さく微笑む忍足の表情がとても繊細で、
初の『心』を持ったアンドロイドが此処まで成長したのかと、正直
宍戸も驚きを隠せなかった。
と、小さな影が目の前に立ちはだかったかと思うと、思い切り脛を
蹴り飛ばされて、思わず宍戸がその場に蹲った。
「…………ッ!!な、何しやがんだクソガキ……ッ!!」
「うるさいやい!ゆーちゃんの前でけーちゃんの話なんかするなッ!」
「………あァ?
 何だよ忍足、このガキは!!」
「あはは、俺の子供や」
「………………はい?」
「せやから、俺の子供やて」
目を点にして聞き返してくる宍戸に、苦笑を浮かべたままで忍足が
もう一度念を押すように言った。
「ちょっと待て忍足。よく考えろよ?
 俺たちゃ何だ?」
「アンドロイドやな」
「解ってんなら話は早ぇ。俺らが子供なんか作れると思うか?」
「あー、そらちょっと無理な話やなぁ」
「じゃあもう一回聞き直すぞ?
 このガキは何だ?」
「せやし何べんも言うてるやんか。
 このコは、俺の子や。例え血は繋がってなくても……」
仁王立ちして自分を守るように宍戸の前に立ちはだかる少年は。

 

「俺とアイツの、自慢の子なんや」

 

にこりと笑んで少年の頭を撫でる忍足を見ていると、それ以上何かを
言う気も無くした様子で宍戸が嘆息を零した。

 

 

 

 

 

 

「え…っ?」
言われた事の意味の処理が、一瞬、遅れた。
「ちょ、待って、どういう事なん?」
「だから、ソイツはオーナーんトコに連れて来いって命令受けたんだよ」
深夜近く、ベッドであどけない寝顔を見せている少年を見ていたら、
唐突に宍戸が入ってきた。
「俺、そんなん聞いてへんで?」
「そりゃそうだろ、俺も今指令がきたばっかだからな」
「嫌や…言うたら?」
「通らねぇ事ぐらい、お前だってわかってんだろーが」
「そうやけど……」
氷帝へ戻ってきて、まさかこの少年と引き離される事になるとは思わなかった。
抗いたいという気持ちが無いわけではなかったが、此処ではオーナー命令は
絶対なのだ。
「………解んだろ、忍足。此処に『人間』が居ちゃヤベぇんだよ。
 今、ウイルスに侵されたヤツらは無条件で人間を狙ってやがる。
 此処に居たら危険なだけなんだ」
「わかっとる……けど、」

 

離れたくなかった。
この子供は、死の間際に主人から託された、最後の宝。

 

考えれば考えるほど、抗いたい気持ちは強くなる。
渡したくない。
「んじゃ、泣かれるのも面倒だからな、寝てる内に連れて…」
思わず伸ばしてくる宍戸の手を、強く払ってしまった。
驚いたような表情を見せてくる宍戸に、呆然と忍足は視線を向ける。
「……忍足、お前、」
「やっぱ……嫌や」
「何言ってんだ……?」
「嫌なんや、この子を渡すんは、でけへん」
「……忍足」
フゥ、と重く吐息を零して、宍戸が痛む頭を押さえる。
忍足はこんな我儘を言う男じゃ無かった。
一体、どんなマスターに毒されてきたのだろうか。
けれど、命令は絶対。
例え忍足自身に危害を加えることになろうとも、オーナー命令は絶対だ。
「悪いが、テメーの我儘に付き合ってらんねーんだよ」
「………ッ、」
「忍足、」
ずい、と顔を近づけて冷ややかな目で宍戸が忍足を見下ろす。

 

「命令だ。聞け」

 

ぐ、と唇を噛んで忍足が僅かに俯く。
大人しくなった忍足を視界の端で捉えながら、宍戸は子供を起こさないように
そっと抱き上げた。
「悪いようには……せんといてな?」
「………オーナー次第だろ、そりゃ」
縋るように言ってくる忍足にそう答えて、宍戸は静かに部屋を出て行った。

 

 

 

 

しんと静まり返った部屋で、一人ぼっちでずっと。
「ああ……そういえば、此処を出る前もこんなんやったなぁ……」
だけどあの時はそれが『当たり前』の事で、特に苦とも思わなかった。
一人が苦しい事だと、淋しい事だと気付いたのは。
「…………アイツのせいや」
いつも自分の顔を見ては、穏やかに笑んでいた。
人との温もりを知って、一人は淋しい事なのだということを覚えた。
全部、彼が教えてくれたのだ。
ある日一人の赤子を連れて帰って来た時は本当に驚いたが、3人の生活は
すぐに日常に変わった。
自分は育児用にプログラムされているわけではなかったので、赤子の世話の
方法は主人が買ってきてくれた本を読んで覚えた。
小さな子供が成長していく姿を2人で見ることは、とても楽しかった。

それが、ウイルスが蔓延して暴走したアンドロイドによって主人は殺され、
そして氷帝に戻ってみれば、今度は子供まで奪われた。
手元にはもう、何も残っていない。

 

残ったものは、寂しさ、だけ。

 

「………全部、アイツのせいや……」
余計な感情まで与えられたせいで、余計な思い出が残っているせいで、
胸が潰れそうなぐらいの苦しみが襲ってくるのだ。
客観的に見れば、対処の仕方は容易い。
「こんな記憶……もぉ、いらんやろ………」

 

リセット。

 

 

 

 

 

 

オーナーに子供を預けて、すぐに宍戸は戻ってきた。
自分には『哀』という感情が無いせいでそれを実感する事はできないが、
ずっと共に居た者と離れるという事が辛いことだというのは、理屈で知っている。
だから、忍足が放っておけなかった。
足早に元来た道を歩いて、さっきまで彼らの居た部屋へと戻る。
だがその場所に忍足はいなかった。
「……何処行きやがったんだ?」
訝しげに眉を顰めて宍戸が部屋を出ようとした時、開いたままのドアの向こうから
声がした。
「あれ?宍戸やん」
「何だよ忍足、ビビらせんな」
「や、さっきな、日吉がお前を捜しとったで?」
「日吉が?」
「せや。まぁ、今後の事もあるしな、打ち合わせしとこうや」
「ああ……そうだ、忍足」
先に立って歩き出す忍足に、宍戸が声をかける。
それにくるりと振り返って、忍足が穏やかな笑みを見せた。
何か、おかしい。
「どないしたん?」
「あ…のよ、さっきのガキの事だけど……」
「は…?」
「さっきはああ言ったけどよ、オーナーの事だから悪いようには…」
どう慰めて良いのか解らなかったから、口をついて出たのは無難にも程がある
気の利かない言葉だった。
だが、忍足はきょとんとした目を向けただけで。

 

 

「此処に、子供タイプのなんて居ったっけ?」

 

 

そう言いながら忍足はまた自分に背を向けて歩き出す。
信じられないものを見るような目で、宍戸は足を止めたままその背中を見つめていた。
「もしかして……消しやがったのか…?」
階段を下りた先で忍足が日吉を見つけたらしく、手を振りながら軽やかに下って行く。
もう、コイツの口から彼らの事を聞くことは無いのだろう。
眺めながら宍戸は知らず吐息を零していた。
忍足が関西弁を話すようになった経緯も、主人となった男の事も、あの子供の
名前さえも聞きそびれてしまっていた事を思い出す。

 

メモリーをリセットしてしまったのならば、二度と聞く事は無いだろう。
データを消失させて、『忘却』してしまったのだから。

 

 

 

「………激ダサ、」

顔を顰めて小さく呟くと、階下から呼ぶ忍足の声に答えながら宍戸は階段を下りて行った。

 

 

 

 

< END >

原題:何も感じなくなっても

 

 

 

自己防衛の方法を、本能で知ってるわけですロボットも。