何かの冗談だと言ってくれ。
そう心の底から、何処に居るかも本当に居るのかも分からない、
むしろ信じてすらいない神に、初めて祈った。
〜 Life 〜
【
Why do you destroy? 】
軍隊に雇われていた日吉若が諸事情により『氷帝』に戻ってから、僅か3日。
この世のものとも思えぬ壮絶な光景に、ただただ目を瞠るしかなかった。
突如響き渡った女の悲鳴を皮切りに、到る所で絶叫や何かを怒鳴る声、
そして銃声、戦場で聞き慣れてしまった血飛沫の飛ぶ音。
何が起こったのかと、日吉はメンテナンス中であった己の身体を束縛する
配線コードを全て引き抜いて、飛び出すように廊下へと出た。
真っ直ぐに続く通路は既に、辺り一面が血の海。
そして倒れている人間達。
否、それだけではなかった。
同じく身体中を血塗れにして佇んでいるのは、自分と同じアンドロイド。
「………何が、起こったんだ……?」
手近に居たアンドロイドの肩を掴み、激しく揺すぶって問い掛けた。
「おい!何が起こったんだ!!」
「………危険レベル8……敵ヲ排除シマス……」
咄嗟に肩から手を離し、大きく間合いを取るように離れる。
つい一瞬前まで自分の居た所で、大振りのナイフが空を切った。
「な、何を…ッ!?」
『氷帝』で誰かに買われる事を待つ、あるいはこの『氷帝』で働くロボット達には
攻撃性は最初からインプットされては居ない。
自分のように、兵役を目的とした者ぐらいである。
各自基準を持って判断する【危険レベル】に従い、必要に駆られたならまた別の話だが。
そういえば。
「危険レベル……8?」
ぽつりと反芻して、日吉が眉を顰めた。
レベル8は、【この世界を存続させる上で著しく害を与える者に対する制裁】だ。
少なくとも普通に生活をしていて出てくるレベルではない。
「おかしい……何があったんだ…?」
訝しげに視線を先程のアンドロイドに向けるが、彼はそれ以上自分に何もしてこない。
ただ薄く唇を開き、言葉を繰り返すのみ。
「敵ヲ排除シマス敵ヲ排除シマス敵ヲ排除シマス敵ヲ排除シマス……」
視線を再び倒れている人間へと向ける。
見た事のある姿だった事に驚いて目を見開く。
彼は自分が軍隊へと出向く時に、笑顔で送り出してくれた人だ。
『ロボットでも命は命だ。本当は戦地に送るなど気が進まないんだがね…』
また、帰ってきた時も、
『よく帰ってきたね、ご苦労さん。ゆっくり休みなさい』
そう言って労ってくれた人だった。
笑顔の優しい、うちの子供達が反抗期で困ると照れながら話す、良い人だった。
こんな所で、こんな風に、血塗れで倒れていて良い人なんかでは、無かった。
ギリ、と強く歯を食い縛る。
戦地以外でのアンドロイド同士の殺し合いなど御法度なのだが、怒りが止まらない。
「この野郎…ッ!!」
地を蹴り敵と見なした相手の懐へと飛び込む。
勝負は戦闘慣れした日吉の方が圧倒的に有利で、勝負は一瞬でついた。
相手が向けた銃口を蹴り上げて上へ向かせる。
パァン!と銃声が上がり、大きく見開かれた相手の瞳が、唐突に光を失った。
日吉の手が相手の右胸を貫いている。
そこから太いコードを1本引っこ抜くと、ブツリと引き千切った。
全てのアンドロイドが持つ、中枢となる配線で、それを断ち切るということは
いわば人間の心臓を潰したのと同じ意味である。
「胸クソ悪ィな…」
小さく唸るように呟いて、日吉はコードを無造作に投げ捨てた。
部屋の中で聞こえた悲鳴は1つでは無かった。
という事は、まだ別に他の場所でも何かがあったという事だ。
きっと面倒な事が起こっているに違いない。
気は進まないが、事の真相を掴むために日吉は駆け出した。
至る所で殺戮が起こっている。
もはやどこからどうやって止めれば良いのかすら解らない。
どのアンドロイドも正気を失ったように同じ言葉を口にしながら、
人間だけを識別し命を奪っていった。
敵を、排除します。
「どうして敵なんだよ…!」
酷く頭が痛む。また発砲音がどこかから聞こえてきた。誰か死んだか。
止めなければと思いはすれど、錯乱しているロボットは数多く
またそれら全てに対して機能を失わせるほどの攻撃をしても
構わないのかどうかが判断できない。
本来自分に命令を下すべき人間は、もう居ない。
ガタリ、と戸口から音がして日吉は顔を上げた。
今身を潜ませている部屋には自分しかなく、此処へ向かってくるということは
自分に用がある相手。
少なくとも人間では無いだろう。
ならば正気を失った、仲間なのだろうか。
戸口に張り付くようにして、相手の動きを探る。
真っ直ぐこっちに向かってくる足音は、この扉の前で止まり、
そして迷う事無くドアノブに手をかけてきた。
カチャリと開かれたタイミングを見計らって、相手にドアを押し付けるような
形で日吉が廊下に飛び出す。
怯んだ相手は反応が遅れ、日吉がその胸倉を掴んで床に叩きつけてくるのを
無抵抗のままで受けるしかなかった。
「だァっ!!」
「テメェ………敵か?」
「いったたたた……つーか、テメーこそいきなり何しやがんだ!!」
「お前も人間を狙ってるのか?」
「はァ?お前、何言っ………あれ、日吉?」
「宍戸さん…?」
見慣れた長髪、だが気が焦って言葉を交わすまで気がつかなかった。
宍戸亮。彼の事は知っている。
2週間程前、買われていった先での仕事を終えて戻ってきたのだと聞いていた。
「アンタ、正気だよな?」
「お前こそ」
「人間は?」
「殺してねーよ。……守れもしなかったけどな」
日吉の問いに自嘲気味に宍戸が答えると、未だ胸倉を掴んだままだった日吉の手を
除けて、ゆっくりと身を起こした。
「宍戸さん、今、何が起こってるのか解りますか?」
「正直よく解らねぇコトばっかりなんだけどよ。
社内をウロついてて正気のヤツと出会ったのは、お前が初めてだ」
「……俺も、宍戸さんが初めてです」
「皆イカれてたか」
「はい」
静かに頷いて肯定すると、宍戸が困ったように吐息を零す。
「オーナーが…、」
「オーナー?」
「ああ。オーナーは無事みてーでさ、さっき専用回線じゃなくて一般回線の方から
連絡があったんだ」
「そうですか……彼は無事ですか。良かった」
「ああ、それで俺にこんなの寄越してきやがってよ」
言いながら宍戸がジーンズのポケットから1枚の紙切れを取り出した。
小さく畳まれたそれを開くと、その紙はFAXで送信されてきたもののようで、
ある新聞の一面記事であった。
そこに書かれている記事に、日吉がこれ以上ないぐらいに表情を歪めてみせる。
『マザーコンピューターよりウイルスが流出』
「……ンだよ、コレ……」
「つまり、簡単に言えばコレが全部の原因らしい」
「それって…」
「俺らって、皆マザーに繋がってるじゃねーか。
だから、ウイルスが流出した時点でネットワークに上がっていたヤツらが
全員このエジキになってやがるんだ」
「つまり、皆イカれちまったってコトか……」
「そういうこった。
それで俺はオーナーに言われて、社内でネットワークに上がってなかった
ヤツを捜してたんだよ」
ウイルスの流出時間までその記事にはちゃんと載っていて、その時自分は何をしていたかと
日吉が首を傾げて考える。
そういえば、あの時自分はメンテナンスの最中で。
「俺も接続切ってたっけ……そういえば」
「だから助かったんだ。ラッキーだったな」
立ち上がって服についた埃を落としながら、宍戸が複雑そうな笑みを浮かべる。
「多分今は、俺とお前しか社内で無事なヤツはいねぇ。
……皆イカれちまってるよ」
「そうですか…」
「とりあえず俺もお前も、コレが落ち着くまでは今後一切ネットワークに乗るのは
禁止だ。これオーナー命令だからな」
「解りました」
言い聞かせるように宍戸が言うと、日吉は素直に頷いた。
一体これからどうするべきなのだろうか。
こんな事態に陥った経験など無かったので、判断に困る。
「宍戸さん、これからどうするんですか?」
「オーナー命令が、もうひとつ出てる」
「…はぁ、」
「イカれちまった馬鹿共の、殲滅だ」
思わず黙ってしまった日吉に、宍戸が労るように肩を叩いた。
「正直、無事だったのがお前で良かったと思ってるぜ。
頼りにしてっからな、軍人」
「……殴りますよ」
はぁ、と重い吐息を零しながら、日吉が重い腰を持ち上げた。
一度メンテナンス室に戻って、やはりある程度の武器は必要だろう。
装備を整えたら、たった2人でどうやって多量のロボットを破壊していくか
少しぐらいは作戦を練らなくてはならない。
勘弁してくれ、と呟いて、日吉は足早に歩いて行く。
もはや此処は戦場なのだと思い込むしか無さそうだ。
< END >
原題:貴方はどうして破壊する?
日吉くんの災難。
だけどこれからがもっと災難っぽそうですよね。(笑)