<ONE WEEK 〜 1 week to have risked fate 〜 >

 

 

 

 

         Wednesday to want to break into tears T


 

 

真田が月曜日に跡部から「忍足から目を離すな」と言われ、その通りにしていて中1日。
昨日も…そして今日も、忍足は何かに魘されていた。
昨日もそうだが、実際に目を覚ますのは真田の方が先である。
そして一頻り魘された後に、忍足は飛び起きる。
それも昨日と全く同じ。
どうしたと訊ねる自分に忍足が「嫌な夢を見た」と答える。それも同じ。
そしてその内容を訊ねると「忘れた」と答えて笑う。これも同じ。
だが、よくよく気をつけて見てみると、憔悴しきった表情が垣間見えて。
「……大丈夫なのか?」
思わず零した問い掛けに、忍足が驚いたような視線を向けた。
「何や真田、珍しいな気遣ってくれるんか」
それはそうだろう。昨日の今日では心配にもなってしまう。
だが、忍足は「大丈夫やし」と言うとまた昨日と同じように着替えて寝床に戻る。
全く同じ問答なのに、何故だか今日はそれが本当だとは思えなかった。

 

 

朝練の前、一応報告した方が良いだろうと思って跡部にこの一件については話をした。
もしかしたら彼なら何か知っているのではないかと思ったからだ。
既に皆部室を出てしまっているので、機会的にも都合が良かった。
だが、肝心の男からは。
「……そうかよ」
苦々しい呟きが漏れただけで、跡部はそれ以外に何も言わない。
思うところがあるのか、否か。
「結局あれから全てが有耶無耶ではないか。
 実際のところ、忍足はどうなんだ?」
「それを教えてやる義理はねぇ」
「……何?」
強く突き放すような物言いに、真田の眉間に皺が寄る。
自分にはあれだけ言っておいて、肝心な事は何も聞かせないつもりなのだろうか。
「どういう意味だ」
「どうもこうも、そのままの意味だ。
 お前が何かを知る必要はねぇ」
「跡部!」
「ただし………今のところは、だ」
「今のところ、とは?」
「……正直、よく解らねぇ事が多いんだ」
ロッカーに凭れ掛かり腕を組むと、跡部が何かを思案するように目を閉じる。
今回はシンクロの状態ではない。
忍足は第三者的に憑かれている事を理解していた。
だが確実に、きっと。
忍足は蝕まれている。見えない何かに。
その「何か」が「何者なのか」という事には薄々見当はついてきているが、確証たるものは何もない。
本来、証人となるべき忍足が何も解らないと言うからだ。
自分は見えない。向日にも見えない。
これではあくまで推測の範囲であり、そこから脱することができないのだ。
もう暫く様子を見るしかないだろう。
できれば自分達の特殊な第六感については、話したくない。
忍足も向日も嫌がるだろうし、自分も進んで話したいと思うような内容ではないからだ。
言って信用するような連中でもなさそうだ。
短く嘆息を零すと、跡部が傍に立てかけていたラケットを手にドアを顎で指す。
「いつまでもモタついているワケにゃいかねぇだろ。
 とりあえず、するべき事を済ませてしまおうぜ」
部室の向こうにあるテニスコートからは、既にボールの軽快な音が聞こえ始めている。
これ以上問い詰めても無駄だろうと諦めて、真田も素直にそれに従った。

 

 

 

 

 

 

 

次に異変に気がついたのは柳だ。
忍足とクラスが同じなのは柳で、教室で一番長く共に居る時間は必然的に彼となる。
それで無くてもよく寮の部屋を行き来する仲でもあり、それなりに忍足の事については
理解しているつもりだった。
だから、今日の忍足はどこかおかしいと気付けたのだと、柳は自身でそう思う。
元がポーカーフェイスだからか、それともかけている伊達眼鏡が全てを隠しているからか、
テニスをしている時でない忍足は、想像以上に表情が欠けていた。
表情が欠ける、という表現は正しくないかもしれない。
皆で居る時は笑い合うし、ふざけあったり怒ったり悔しがったり照れてみたり、そんな顔も垣間見る。
だが、それらが全て空っぽのように見え出したのはいつの頃だろうか。
その表情はあくまで作られたものであり、感情は決して見せる事はない。
欠けているのは 【表情】 でなく 【感情】 の方だ。
それでも普段の交友関係を続ける上では何の問題もないし、あえて隠しているのならば
それを無理矢理覗き込もうという趣味もない。
ただ単に、忍足侑士という人間は自分というものを隠したがる 【性格】 なのだと、そう結論付けて
今日まで仲良くやってきたつもりだ。
その忍足に、今日は感情が見えた。
それは怒りでも悲しみでも、ましてや喜びでもない。

 

言い表すとするならば、恐怖。

 

もちろん忍足は顔に出したりしない。
表情は普段と全くもって変わりがないのだが、視線は忙しなくあちこちに回され、
時折後ろを振り返っては何もない場所を見遣って胸を撫で下ろす。
それが余りにも不自然かつ不可解だったから。
「忍足、どうかしたのか?」
「…え?あ、いや、何も無いで?」
「しかし、」
更に乗せて問い掛けようとすれば、困ったような表情で忍足が苦笑を見せている。
これ以上の詮索は困る、といったところだろうか。
やはり今日の忍足はどこかおかしい。
感情を上手く隠せていない。
思ったことがそのまま顔に出ているのだ。
普段の忍足ならきっと、きょとんとした顔で不思議そうに首を捻るだろう。
例えそれが、虚偽の表情だったとしても。
例え、胸の内で何を思っていたとしても。
「忍足、」
2限目の科目だった数学の教科書を机にしまい、次の授業で使う英語の教科書を出しながら、
努めて普段と同じように柳が声をかけた。
「何か困った事があるのなら、いつでも話すと良い」
「あー………うん、」
暫し視線を泳がせていた忍足が、柳の言葉に彼へと視線を向ける。
その顔がゆっくりと笑みに彩られて。
「…………おおきに、柳」

 

ああ、やはり今日の忍足はどこかおかしい、と改めて感じるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

2年に上がって、千石は跡部とクラスメイトになった。
元々仲は悪くなかった方だし、去年1年間で更に上積みされた友情という名の感情が、
2人の間を円滑に保っていた。
そしてもう一人、休み時間になると隣のクラスの向日岳人がやってくる。
彼とまともに話したのはこの高校に入る事になってからなのだが、意外と気さくで付き合いもよく、
気がつけば結果的に跡部よりも長く居ることになっていた。
半分は、跡部が忍足の傍へ行ったから、という理由があるのだけれど。
その2人の様子が、一昨日からどこかおかしいと感じるのはきっと気のせいなどではないだろう。
昨日も一日、2人の事を観察するように見ていたけれど、今日に入ってそろそろそれは
確信へと変わってきていた。
ここらでそろそろカマをかけてみる事にする。

 

「ねー、良いじゃん跡部ー」
「駄目だ」
「そんな事言わないでさぁ」
「駄目だつってんだろ」
「何でさ、1日ぐらい忍足借りたって良いだろ?」
「駄目なモンは駄目だ」
「だから何でさ?」
「…………。」
「またそこで黙るだろー?」
「なになに、何やってんだよお前ら」
休み時間になって、千石と跡部がそんな問答を繰り返している時に、いつものように向日がやってきた。
それに、待ってましたとばかりに千石がそっちへと視線を向ける。
「聞いてよがっくん!!」
「がっくんとか言うな」
「跡部がさ、忍足貸してくれないんだよー。1回ぐらい良いじゃんねぇ?」
「は?借りるって何さ?」
「買い物行くのに付き合ってもらおうと思ってね。
 人に贈るもの選ぶからさぁ。忍足ってそういうトコのセンス良いから頼もうかなぁと」
「駄目だっての。しつこいぞ千石」
「今はお前に言ってないだろー!!」
横から跡部の横槍が入ったが、とにかくそういう事なのだと向日に説明をする。
向日ならきっと「別に構わないじゃんか1日ぐらい。跡部って意外と心狭いのなー」と言うだろう。
いつもならきっとそう言う筈だ。そう予測ができる程度には、共に居ると思っている。
だが、それを聞いた向日はどこか表情を強張らせていて。

 

「………今日は、やめとけ」

 

ぽつりとそう、呟くように答えたのだ。
思わずきょとんとしてしまったのは千石だ。
「今日は?明日なら良い?」
「………ダメ」
「そう、じゃあ良いや」
言うとへらりと笑って千石が掌を返したように意見を曲げた。
ここまで乗ってくれたのだから、これ以上カマかけの必要は無い。
すぐに気がついたのは、やはり跡部だった。
ガタンと音をさせて立ち上がると、千石に向かって挑むような視線を向ける。
「跡部、顔怖いよ?」
「てめぇ…!!」
「アハハ、面白いぐらいの反応どうもありがとう。
 あ、ちなみに人への贈り物ってのは本当だよ?
 ……ま、昨日買いに行ったけどね、俺」

 

これで解ったことが2つ。
1つは跡部が忍足を手離さないのは単純な独占欲からでは無いということ。
そして、もう1つは。
忍足が、何かヤバい状況である、ということ。
跡部が手離せないと思う程度には。
向日が連れ出すことを制止してくる程度には。

 

「ま、困ったらいつでも手を貸すよ?
 俺ってばラッキーだからね、味方につけといて損は無いから」

歩きながら2人に手を振ると、次の授業の準備をすべく自分の机へと戻って行く。
背中を向けていて2人には見えないだろうその表情からは、笑みはひとつも見られなかった。
あの跡部がカマかけに気付く事無く最初から最後まで乗ってしまった。
そこに精神的な余裕は何処にも見られない。

 

……随分、思わしくない状況のようだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

昼休み、屋上組の4人は食堂に現れなかった。
もしかしたら来ていたのかもしれないが、満員御礼状態のこの食堂では、傍の席に居るので
なければその存在に気付くことすら難しいだろう。
今日は普段通り、真田、柳、手塚、乾の4人だけの相席となっていた。
「……それは本当か?」
食事を採りながら、真田の話に耳を傾けていた手塚が珍しく口を開いた。
行儀が悪い事と躾られてきたらしく、食事中に手塚が話す事は少ない。
たまに必要最低限の事を、口に乗せるのみだ。
口に物を目一杯頬張って喋る向日や千石とは対極に位置しているだろう。
話は昨日忍足が話のネタにと真田に話して聞かせた事だ。
無論、忍足自身が知られたくない事は、都合良く省略されてはいたのだが。
「ああ。突然車がパンクして突っ込んできたらしい」
「……危ないな」
味噌汁を啜りながら乾もその話に眉根を寄せた。
怪我が無く済んだから笑い話で済むものの、下手をすると大惨事だ。
「そういえば、」
食事を終えた手塚が箸を置いて、何かを思い返すようにしながら話し出した。
「昨日の朝も、確か……」
そうだ、彼は階段の最上段から転落してきた。
幸い助けられたから良かったものの、これも一歩間違えれば大変な事になっていただろう。
あの時の心臓が凍るような感覚は生々しく覚えている。
「そんな話初めて聞いたな」
「……俺も今、真田の話で思い出したんだ」
「偶然…なんだろうけどさ。きっと」
確率は極めて低いけれど、アンラッキーが重なったと思えば納得できない事はない。
乾がそう言えば、改めて思い出したように柳が言う。
「だが、それなら一昨日の件は……どうなんだ?」
血塗れのハンカチは、結局洗ったところでどうにもなりはしないだろうと処分した。
少なくとも、それだけ出血は酷かったと思う。
元はあれが最初だったから単なる不注意で怪我をしたのだとその時は片付けられたが、
ひとつずつ過去に戻ってみると、余りにも重なりすぎていて。
「ひょっとして……今日も何か起こったりしてな」
冗談のつもりで言った言葉は、残念ながらちっとも笑えなかった。
「そういえば、跡部が忍足から目を離すなと言っていた。
 もしかしたら…いや、これはほぼ確信している事だが、きっと跡部は何かを知っている」
「ほぼとかきっととか、曖昧なのだな」
「訊いても言わんのだ」
「弦一郎だからじゃないか?」
「蓮二、お前はたまに物凄く失礼じゃないか?」
「ははは、これは失礼、弦一郎。
 まぁ何が原因にせよ……な」
「そうだな。このままで終わりそうな気はせんな」
「……何事も無ければ良い」
「そうだな……俺も、そう思うよ。手塚」
食べ終わって空になったトレーを返却口に戻し、4人は食堂を後にする。

 

だけど、この、拭いきれない不安は。

 

 

 

 

<続>

 

 

 

 

周りの皆も少しずつ気がついてきてます。