<ONE WEEK 〜 1 week to have risked fate 〜 >
Killed
Tuesday V
最寄りの駅から3つほど先は、大きめの繁華街になっている。
夕方も5時を少し回ると自分達のように制服を着た学生や、買い物に出る主婦、終業時間の早い
会社員などで雑多な雰囲気を醸し出すのは仕方が無い。
目的の専門店街は駅を出たすぐの通りを右に抜け、正面の横断歩道を渡ったすぐのところをもう1度
左に横断歩道を渡らなければならなかった。
それが面倒だ、と呟いたのは跡部だったか忍足だったか。
「ちょお、無理なんちゃうん?」
「何が無理だっつーんだよ」
「やっぱ普通に信号渡った方がええんとちゃうんか?」
「バーカ、邪魔くせぇつったのはお前だろ?」
「いや跡部やんソレ」
「アーン?覚えがねェな」
言葉を交わしつつ、信号の無い道路で車が途切れる瞬間を狙う。
国道に繋がるその道はドライバー達に裏道として使われているようで、大型トラックの類が多い。
だが、ここで向こう側に渡ってしまえれば、渡る横断歩道はひとつで済む。
同じようにして向こう側の歩道に渡る人間は数多くあった。
先にタイミングを計って向こう側に辿り着いたのは跡部。
てっきり同時に渡っているものだと思っていたのに振り返ってみればまだ忍足は反対側に居て
思わず呆れた吐息が零れる。
「お前、何やってんだよ…」
「うわ跡部早ッ!!」
「つーかてめぇが遅ぇんだよ」
「ちょお待っててやー」
のんびりした忍足の言葉に、跡部が苛ついた表情を隠す事無く先の国道に視線を向けた。
忍足が渡る前にそちらの信号が変わりそうだ。
元々待つのがあまり好きではない跡部が、それに小さな舌打ちを漏らす。
時間に押されて慌てているわけでは無いのだが、気分的な問題だ。
タッ、と足音が聞こえて、跡部が忍足の方へと視線を戻す。
ちょうど車が途切れた合間を縫うように、忍足が道路を横切っていた。
その中間ぐらいでだろうか、忍足がふいに歩みを止める。
訝しげに跡部が忍足の顔を見れば、忍足が自分以上に怪訝そうな表情で見返してくる。
「何やってんだ、さっさと来ねぇと車が来ちまうだろ」
「ちょ……待っ、て。何や……コレ」
「………忍足?」
まるで、足がアスファルトに縫い付けられたように。
「……動かれへん」
忍足の放った言葉の意味が、跡部には理解できなかった。
動けない、とは?
「どういう事だ…?」
「解らへん……けど、足が、………何で!?」
早く向こう側に渡らなければ車が来てしまう。
焦った表情で忍足が自分の足元に視線を向けて、その顔が凍りついた。
夕日が当たってできた自分の影が。
自分の影が、足首を掴んでいるのだ。
こんなものを見た事も経験した事も、未だかつて一度だって無い。
「………ッ!?」
思わず声を上げそうになって、それを慌てて飲み込む。
顔を上げれば不可解に眉を顰めている跡部と視線が合った。
まだ車が来ない今の内に連れに行った方が良いだろうと、跡部が車道に戻ろうとする。
「…仕方ねぇ奴だな、何やってんだよバカ」
「あかん!!来たらヤバイ!!」
「………は?」
思わず叫んでいた。
これの正体が何かは解らないが、傍に寄らせてはいけない。
多分、これは、きっと危険なものだ。
下手をすれば巻き込みかねないし、それは忍足の望む事では決して無い。
一方、跡部の方は全く状況が掴めないでいた。
渡ろうとしていた忍足が急に動けなくなったと言い、連れに行こうとする自分に来るなと叫び。
だが、傍に行かなければ何が起こっているのかも判断できない。
なのに必死な形相で叫ぶ忍足に、傍へ寄ることを躊躇わされた。
憑かれているものが悪さをしているのだろうか。
しかし今のこの意思は忍足の、どう考えても忍足本人のものだ。
そもそも憑かれている事自体を感じていない忍足が、シンクロをしてしまうという可能性は低い。
逆にシンクロしているのであれば、憑かれている事を知っていてもおかしくは無いだろう。
では、何故。
何故、忍足は。
「……チッ」
思考は途中で打ち切られた。
向こうの方から一台のトラックが向かってくる。
10トン車のトラックなので、道のど真ん中で立ち往生している忍足を避ける事は不可能だ。
上がり者が多いトラックの運転手に睨まれるのも好ましい事では無いので、来るなとは言われたが
文句を言われる前に何とかした方が良いだろう。
鞄をその場に放置して、跡部が再び車道に向かったその時だった。
ボッ、というタイヤがパンクした独特の空気の抜ける音と、酷く耳障りなエンジン音。
「な…ッ、マジかよ…!?」
制御を失ったトラックは、まるで計られでもしたように真っ直ぐ忍足に向かって突っ込んでいく。
誰かの叫ぶ声も、悲鳴も、全てが遠くに聞こえていた。
ただ今すぐそこから忍足を退かせなければ、辿り着く結末は1つだ。
血みどろの、結末だけ。
酷く嫌な予感がして、跡部が地を蹴った。
ここへ来て唐突に理解したのだ。
忍足に憑いているものの、目的を。
「忍足!!来い…ッ!!」
驚いたように大きく見開かれた忍足の目が。
憑いたモノの 『目的』 は 『忍足』 なのだと、自分に理解させた。
忍足の身体に飛びつくようにして、アスファルトの上を転がる。
すぐ真横をトラックが通り過ぎて、傍のブロック塀に激突した。
「………っつ…」
ゆっくり身体を起こして見れば、結果的に自分の下敷きになった忍足が目を白黒させている。
「無事…か……?」
「いたた……あ、あぁ、おかげさんで、」
よろりと半身を起こして忍足が苦笑を浮かべた。
だがその笑みも、トラックの残骸と、その中で血を流して気を失っている運転手を
視界に入れた途端に消え失せる。
アスファルトに目を向ければブレーキ跡が強く残っていて、それはついさっきまで自分が
立ち尽くしていた場所の真上を通り過ぎていた。
あのまま動けずに居たら、自分は間違いなく轢かれていただろう。
これは……偶然か?
「なぁ…跡部」
「ンだよ」
「俺……ほんまに憑かれとんのやな?」
「そうだ」
忍足の改まった静かな問いに、跡部が短い肯定で返す。
そして恐らくその憑いているモノは、忍足を狙っている。
忍足を、連れていこうとしている。
確証になるものは今この場所で得た。きっと間違っては居ないだろう。
「やっぱり俺……何も感じひん。
コイツが誰なんか……どんな奴なんかも解らへん」
足を掴んでいた影の手は、今はもう何処にも見当たらない。影は影のままで。
シンクロすれば何をするか解らないという不安があるが、何も感じられない今は、自分が
どうなってしまうのか解らないという、また違った恐怖があった。
「なぁ……跡部、」
「……。」
「俺……どうなんのやろ」
ぼんやりと視線を彷徨わせたままで、忍足がぽつりと呟く。
どこか頼りない、迷子になった子供のような表情で。
だが、それはほんの一瞬。
次にはパン!!と盛大な音をさせて、忍足は自分の両頬を叩いていた。
「あー!あかんあかん!!暗うなったらあかんな。
…まぁ、何とかなるやろって」
言って、へらりと笑みを見せる。
考えようによっては、シンクロしていないのだからまだ安心だ。
自分の身に何が起こるかは解らないが、他人に危害を加えてしまうよりずっとマシだ。
その忍足の姿を暫く見つめていた跡部は、ふいに立ち上がると歩道まで走り、自分の鞄を持って
また戻ってきた。
未だ座り込んだままの忍足の腕を引いて立たせると、来た道を戻ろうと歩き出す。
驚いたのは忍足だ。
「ちょ、ちょお跡部!何処行くねん!!」
「帰る。」
「は?帰るてお前、買い物はどうすんねん?」
「行ってられるか。こんな状態で」
「うわ、お前、ちょお待てっちゅうねん」
ぐっと足に力を入れて踏ん張ると、酷く苛ついた表情の跡部が忍足を振り返る。
もう付き合いも長い。こんな表情の時の跡部の心情なんて簡単に伝わってくる。
きっと彼は焦っている。
裏を返せば、それだけ自分を心配してくれているという事なのだろう。
それはそれで嬉しい。けれど。
「折角来たのにそれは無いやろ?
この通り俺は無事やし目的はちゃんと済ましてしまおうや。な?」
「……けどお前、またさっきみてぇな事になったら…」
「なんや跡部、ビビったんか?」
揶揄いの篭った忍足の言葉に、跡部がう、と言葉を詰まらせる。
しかめっ面をしてみせる跡部の腕を、今度は忍足が引っ張って歩き出した。
そろそろ動かないと辺りは既に騒然とした状況だ。
救急車や警察まで来てしまってからでは、原因の半分であろう(恐らくは100%自分に
非があるのだが)自分たちも捕まってしまう事は間違いない。
目撃者の多数居るだろう駅に向かうより、急いで繁華街の中に入ってほとぼりが冷めるまで
誤魔化してしまった方が絶対良いに決まっている。
微かに聞こえ出したサイレンの音に、忍足が慌てて走り出した。
「ほら急ぐで跡部!!」
「……全く、良い根性してるぜお前…」
合わせて交差点に向かって駆けながら、跡部は大きな吐息を零した。
「跡部がそんな辛気臭い顔すんなや。似合わへんしな」
横断歩道の信号が点滅している。急いで渡りきらなければ。
我先にと速度は上がっていって、既に競走の状態だ。
先に渡りきったのはやっぱり跡部の方だった。
「……フン、俺様はな、どんな顔しても似合うんだよ」
色々悩んでいても仕方が無いのかもしれない。
自分では、忍足の中に潜むモノを追い出すことはできないのだから。
できる事を確実にしてやる事しかできないのだから。
そうだ。誰にも奪わせたりなんかしねぇ。この俺様から忍足を奪おうなんて、
「俺様に勝とうなんて10年早ぇんだよ!」
「くっそ…俺のんが先走っとったんに……なんでやねん」
ぜえぜえと息を切らせながら忍足が言うと、満足そうに笑んだ跡部が自分を振り返った。
「心配すんな。ちゃんと守ってやるからよ」
「………っ、」
その言葉が、声が、染み入るようで。
忍足は鞄の持ち手を強く握り締める。
こんなに自分は弱かったのか。自分が傷つけられる事にすら怯えているのか。
自分の手が緩く震えている事にはとっくに気がついていた。
だけどきっと、そんな事すらもこの目の前の男には見抜かれていたのだろう。
こんな弱い心すらも。
「だから、てめぇがビビんじゃねえ。いいな?」
「………一言余計やねん、お前」
ぽつりと吐き捨てるように呟くと、忍足が顔を上げる。
すうっと息を吸うと、手の震えが止まった。
蒼い瞳に視線を合わせると、早かった動悸が収まった。
大丈夫な気がする。負けないような、勝てるような、そんな気すらする。
きっとそれは跡部が言ってくれたからだ。
心配するなと、この力強い瞳で。
傍に寄って、差し出された手を軽く叩いて。
「宜しく頼むわ」
彼の近くがこんなにも落ち着くなんて、初めて知った。
ほとぼりが冷めるのを待ってからこっそり駅を通って、寮に辿り着いたのは随分と遅くなってからだ。
ギリギリで夕食の時間には間に合った。
随分と元気は取り戻していたようだがやはり夕方の一件からか、食欲の戻らない忍足は食事を
控えると言って部屋に戻り、跡部が部屋に戻れば向日がとっくに夕食を終えて戻ってきていて、
今日はアレが美味かったコレがイマイチだったという話を着替えながら聞いて、それで買い物は
どうだったんだよという向日の問いに、馬鹿正直に何もかも話してやった。
無論、駅前での事故の件から、何もかもである。
「………マジで?」
「嘘なんか吐く必要ねぇだろ。余り悠長な事はやってられねぇな。
かなりタチが悪ィぜ、アレ」
「悪霊、ってコト?」
「そこまでハッキリとは言えねーが……だが、どうして『忍足』なのかが解らねーな。
暫くは厳戒体制だ、岳人」
「そ、それは解ったけど……あ、ちょっと跡部ドコ行くんだよッ!!」
話は済んだと部屋を出ようとする跡部を向日が腕を引っ張って止める。
それに時計を見上げながら跡部が向日の手を振り払った。
「バーカ、飯食いに行くに決まってんだろ。俺は腹減ってんだ。
時間がやべぇから、話はまた戻ってからだ」
言うと跡部がさっさと部屋を出て行く。
ぽつんと残された向日が、ぼんやりと時計を見上げた。
さっきから胸騒ぎばかりがしている。
何か悪いことでも起こりそうな、そんな。
「侑士……」
跡部と力を合わせれば何とかなると、信じたいけれど。
Did
you survive safely?
<続>
忍足くん、漸く色んなコトを自覚。(笑)