「嫌だッ!!絶対嫌だーーー!!」

「我儘を言うんじゃない、赤也!!」

 

部室の中を切原の絶叫と真田の叱咤が響き渡っている。
それを特に気にした風も無く(いつもの事だと思っているからだ)、
ただただ千石と向日は手元の紙切れと睨み合っていた。
そこに、遅れて到着した忍足と柳が面白そうに表情を歪ませて。
「どうやったん?お前ら」
「待て忍足、あの表情を見れば大体想像がつくというものだ」
秀才2人はそう言い合ってクスクスと笑みを浮かべているのが心底恨めしい。

 

 

 

 

中間考査が終わったのが先週の金曜日。
そして土日で教師陣が必死に採点をした答案用紙は、欲しいとも思っていないのに
月曜日である今日、律儀に戻ってきた。
乾と柳が協力してくれていたおかげもあって、ある程度は平均点を死守できたものの、
やはり苦手となる教科はどうにもならなかったようだ。
「う〜…くそくそ!苦手だと思ってた問題が出やがったんだよ!」
「全くだよ。どうして教師ってのはこう、生徒に対してイヤガラセするのが好きなのかなぁ」
「や、イヤガラセしとうて問題作っとるわけやないと思うねんけどな」
「己の学力不足を他人の責任にするのは感心しないな」
得意科目は死守したが、千石は地理で、向日は数学で見事に地を這った。
「補習なんか?」
「ああそうさその通りさ悪かったなー!!」
「岳人、逆ギレしなや」
「あーもう、ただでさえ嫌いな教科なのに、更に勉強しなきゃならないってところが
 鬱だよねぇ…ホントに」
千石と向日は顔を見合わせ、ふうと重苦しいため息を落とす。
放課後に補習を受けなければならないという事は、それだけテニスに費やす時間も
減ってしまうという事だ。
鬱が入るのも仕方がない事だろう。
「まぁ、気を落とさずに勉強してくるのだな」
「へーい……」
机に突っ伏すようにしていた千石が、柳の言葉にやる気の全く見えない返事をする。
こちらの会話が一段落したところで、漸く柳が切原の存在に目を留めた。
「それで、赤也は一体どうしたというのだ?」
「ちょ…柳センパイ!聞いてくださいよー!!」
「ああそうだ、蓮二、聞いてくれ!!」
それまで切原の相手をしていた真田も、一緒になって柳に詰め寄ってくる。
微妙に表情を歪ませて、柳が2人を宥めるように手を上げた。
「落ち着け。それで一体さっきから何を騒いでいる?」
「さっきから赤也が歯が痛いと言うのでな、見てみれば…ほら、口を開けろ赤也」
「あが…ッ」
むりやりこじ開けるように顎を掴まれて、切原が呻きを上げる。
柳がチラリと覗き込むようにして、それから重い吐息を零した。
「赤也、お前は明日、歯医者に行ってくるんだ」
「や、柳センパイまで!!だだ、大丈夫ッスよ、これくらい!!」
「駄目だ」
「ホントに大丈夫ッスから!!」
「赤也、首に縄をつけて引っ張って行ってほしいのか?」
「酷ぇ!!真田センパイ!!鬼ッ!!悪魔!!」
柳を味方につけた事で俄然強気の姿勢を見せてきた真田に、あくまで対抗すべく
切原が声を上げる。
そこへ、元帝王のお出ましだ。
「アーン?何やってやがんだ、てめぇら。外まで声が筒抜けだぜ?」
「跡部サン!!助けてーー!!」
「……あ?」
溺れる者的発想で、この際誰でも良いとばかりに切原が泣き付く。
それに迷惑そうな表情を隠しもせずに、跡部が眉を顰めた。
「何だっつーんだ、一体……?」
「実はな、」
困惑を隠せずにいた跡部に柳が手短に事情を説明する。
跡部の顔は見る間に呆れた表情へと姿を変えた。
切原にとって唯一の誤算は、跡部が真田や柳と負けず劣らずの常識人であった事だろう。
「馬鹿じゃねぇの?行ってこいよ、歯医者」
「嫌だから嫌だって言ってんスよー!!」
「…んだよ、怖ぇのか?」
「そ、そういうワケじゃあ……ないこともないっていう、か…」
「どっちだよ」
そして更に、切原はまだ跡部の人となりを完全に把握してはいなかった。
こんな時の跡部が、どういう行動をするのか。
少なくとも、跡部は真田や柳ほど考える時間を与えてやる人間では無いのだ。
「とりあえず、今から行ってこい」
「………はぁ!?今から!?」
「跡部、それはいくら何でも……」
「アーン?こういうのは早く治した方が良いんだろうがよ」
「それはそうだが……」
思わず止めようとしてしまった真田と柳を軽く一瞥して、跡部は携帯を取り出すと
何処かへと電話を始めた。
「……ああ、そうだ。今から1人、いけるか?
 そうか。………ああ、それで問題ない。じゃあ、すぐに車を手配する。頼んだぜ」
言って電話を切ると、今度は別のところへと電話を掛けて、すぐに車を1台寄越すようにと
指示を出した。驚くべき早業だ。
「さて。俺の知ってる病院で予約を取り付けたからよ、遠慮なく削ってもらってこい」
「うわー……余計なお世話〜……」
「あん?何か言ったかよ、切原……?」
ギロリと睨まれて凄まれると、切原はもう慌てて首を横に振るしかない。
だが、行きたくない。行くにしたってもう少し、心の準備ってものをさせてくれても良いだろう。
「あ、えーと、俺、今日は用事が………」
じり…と後ずさりしながら切原がどうにか逃げ出す方法を考えようと思考を巡らせる。
だが、先手を打ったのは跡部の方だった。

 

「捕まえろ、樺地」

「ウス」

 

パチンと指を鳴らして跡部が言えば、短く返事をして隣に立つ巨体がのそりと動く。
それはあっという間に切原の傍へと歩み寄って、その首根っこを取り押さえた。
「うわ!やめろ!!離せ樺地ー!!」
「……ムリ。」
「いやいやいやムリじゃねーだろ!俺ら友達じゃねーかよ、なぁ!?」
「跡部サンの命令は……絶対です」
「当然だろ、なァ樺地?」
ぎゃあぎゃあと言い合っている最中、跡部の携帯が音を鳴らす。
通話ボタンを押してそれに応対すると、跡部が切原へと視線を向けた。
「残念だなぁ切原、タイムリミットだ。
 車が来たようだぜ?」
「………マジで…?」
「樺地、お前はあそこ行った事あったよな?
 このまま切原を連れて行ってこい」
「ウス」
こくりと頷いて、樺地は切原の襟首を掴んだままズルズルと引き摺るようにして
部室を出て行く。
人攫いー!!とか何とかいう切原の叫びが聞こえてくる中、跡部がふと目元に笑みを乗せた。
「特別に樺地を貸し出してやるよ。
 泣くほど痛かったら、後で慰めてもらっとけ」
嬉しくねー!!とか何とかいう切原の叫びは、途中で扉が閉まる音に遮られた。
「お、おい跡部…」
「いくら何でもアレは…」
「アーン?」
つくづく過保護な2人に、思わず苦笑が漏れてしまう。
「何言ってんだよ。悩む時間をやるから余計尻込みすんじゃねぇか」
「それはそうかもしれないが……」
「さっさと治した方がイイんだろ?
 ……まぁ、俺は虫歯になんてなった事がねぇから、よく解んねぇけどな」

 

虫歯になった時の痛みも、削られる時の何とも言えない神経にダイレクトに響く痛みと音も。
総じて歯医者を『怖い場所』と思う事すら、この跡部景吾にとっては理解できない心情なのだろう。

 

「……切原、ちょっとカワイソウやなー……」

それまでずっと成り行きを眺めていた忍足が、ぽつりと零すと苦笑を見せた。

 

 

 

 

 

 

「で、コイツらは何してんだよ?」
樺地のテニスバッグを彼のロッカーの前に放るように置いて、自分もロッカーの前で
着替えながら、跡部が部室の中央に置いてある机へと視線を向けた。
さっきから静かだと思っていたら、千石と向日は何やら黙々と作業をしている。
手元の紙を折り紙のようにせっせと折っている、その紙は紛れも無く先刻の答案用紙。
「よっし!できたよ自信作!!この『サンダーバード』は飛ぶよー?」
「何言ってんだよ千石!俺の『スカイハイヤー』のが絶対ぇ飛ぶに決まってんだろ?」
出来上がったのは2体の紙飛行機。
それぞれがそれぞれ独自のアレンジを加えているので、基本は同じ折り方なのだろうが
見た目は随分違って見えていた。
「……お前ら、それって今日返ってきたテストじゃねぇのか?」
「そうだよー」
「馬鹿じゃねぇの」
「うっさいなー!出来の良い跡部サマには俺らの気持ちなんて永遠にわかんねーの!!」
「そうだそうだー!!」
「けッ、言ってろよ」
呆れた視線を向けて跡部が吐き捨てると、それ以上は何も言わない。
千石と向日は顔を見合わせて頷くと、部室の窓をガラリと開けた。
「よぉし、勝負だ向日!!」
「いつでも受けて立ってやるぜ!!」
同じラインに立って、校庭のずっと向こうを見据えて。

 

がちゃり、と扉が開いて日吉と不二が到着した。
「ちィーっす!」
「あれ、切原来てないんスか?
 借りてた本を返そうと思ったのに…」
「ああ、切原ならさっき…」
背後で数人の声が聞こえる。
開け放した扉から、窓に向かって通り抜けるように風が吹いて。

 

「飛んでけー!!」

2人の手から紙飛行機が離れ、風に乗って飛び出した。

 

 

 

<終>

 

 

 

千石と向日のテストの話と、赤也の虫歯の話をWで仕立ててみました。
この後飛んでいった答案用紙は、きっと手塚と乾に拾われるのでしょう。

 

「千石、向日、外にこんな物が落ちていたんだが…」
「うわ!!拾ってくるなよ乾ー!!」
「何を言う。知らない人間に拾われてしまうよりマシと思ってくれよ」
「ぶーぶー!余計なことすんなー!!」
「………恥ずかしい点数な上に、名前までしっかり書いてあるんだけど?」

「「うッ。」」

 

ま、そんなこんなで。
やっぱり皆でドタバタしてるのがサイコーに楽しいです!