走りながら切原と裕太が顔を見合わせる。
まさか、彼が日吉と樺地の先輩だったとは。そして先に見たのは跡部だという事は、
最初にぶつかった男は、恐らく。
「さっき逃げて行った人って、向日さんですか?」
「そうや。逃げ足はめっちゃ速いで?けどマジギレした跡部はそれより速いかもしれんな。
 あかん、本気で追いかけな跡部の奴、岳人をボコボコにしかねんわ」
想像したのか忍足がぞくりと肩を竦ませる。
殺しはシャレにならんでと呟く忍足の足も充分に速い。離されるスピードではないが、
ついて走る2人は既に息が上がっていた。
それに気付いてうっすらと忍足の唇に笑みが宿った。
「なんや、こんなんでヘバっとったら、跡部の相手なんか一生でけへんで?」
「なッ…」
「お前らテニス部に入るんやろが。もっとしっかりせぇ。
 ウチはアイツらが居るからな、厳しいでぇ?」
「俺らのコト…」
「知っとるっちゅうか、聞かされたっちゅうか。
 真田とか柳とか。手塚も乾も。揃って口に出しとったからなぁ。
 名前も覚えるっちゅうねん、なぁ。切原に不二?」
「う……」

 

なんだ全部バレバレなんですか。

 

困ったように顔を見合わせて、2人、苦笑する。
と、前を走っていた忍足から、苦い呟きが漏れた。
「あかん、寮内に入りよった!」
あんなん廊下で喚いてたら近所迷惑もええとこやん。
言うなり急にスピードを上げて、忍足が寮の建屋内に駆け込んで行く。
本格的に止めに入るつもりなのだろう。
会話することを放棄して追いかける事に専念するしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

階段を2段飛ばしに駆け上がり、エレベーターホールへと飛び出す。
そのままダッシュで廊下を駆けて、端にある階段から更に上へと。
とにかく振り切るまでひたすら逃げ回るしか無いだろうと思っていた向日は、
廊下の向こうから、恐らく3階に向かおうとしているのだろう真田がやって来る事に気付いた。
だが彼が自分を見て、一体何をどうするかということをうっかり失念していたのだ。
そして追いかけている跡部はといえば。
「チッ……逃げ足だけは速ぇんだからよ……」
心底忌々しげにそう舌打つと、どうやって向日を追い込むかに頭を巡らせていた。
正直、本気で逃げに入っている向日を捕まえることは自分の力を持ってしても至難の業だ。
どうにかして罠を張るか、逃げ場所を想定して先回りをするか。
階段を駆け上がり、2階へと出る。
そこに天の助けが現われたかと思った。
真田は、廊下の向こうから走ってきた向日に、一度だけ表情を顰める。
その横をとにかく走り抜けようとしていた小さな身体を、片腕ひとつで。

 

「向日!廊下は走るなといつも言っているだろう!!」

 

塞き止められでもするかのように行く手を阻まれた事は、向日にとってはたまったものではない。
「ぎゃああ!!やめろ!離せ真田!!」
「そうはいかん。お前はいつも人の言う事を聞くようで聞いていないではないか!!」
「ちょ、マジでそれどころじゃねぇんだよ!!」
「そう言って逃げるつもりなのだろう」
「いや、だから本当に今ヤバいんだって!!急いでるんだって!!
 だから離してくれってマジで!!頼むから!!」
今にも説教を始めようというような不機嫌な表情をしていた真田が、怪訝そうに目を細めた。
一体どうしたと言うのだろう。
向日のこの慌てようは。
「……一体、何が…」

 

 

「…よォし、絶対にその手を離すんじゃねーぞ、真田ァ…」

 

 

低くドスの利いた声音が廊下中に響き渡り、向日だけでなく真田までもがビクリと身体を震わせる。
今、それだけの力を感じたのだ。
向日の腕を掴んだまま真田が視線をその方へと向けて、更に絶句した。
跡部の周囲には不機嫌より尚悪い怒りのオーラがありありと発せられている。
ずっと追いまわしていたのだろう、吐く息は荒いが表情には凍りついた笑みを張り付かせていて。
これには、さすがの真田もほんの少し恐怖を感じた。
何をしたのかは知らないが、きっと今の跡部は本気でご立腹だ。
「漸く追い付いたぜぇ、岳人よォ……」
「ヒッ…」
言いながら一歩一歩ゆっくりと近付く跡部に、思わず向日が小さく悲鳴を上げて
真田の後ろに隠れた。
「ごごごごめん!!ごめんって言ってるじゃんかよー!!」
「………そんなモンで、この俺様の怒りが収まるとでも思ってんのかよ、アーン?」
「じゃ、じゃあ俺にどうしろってんだ!!」

 

「イイから黙って俺様に一発殴られとけ。
 この俺様が、一発だけで勘弁してやるってんだ、こんなお買い得な事はねぇぜ?
 ……一発だけでイイんだ、簡単だろ?」

 

にこやかな笑みを浮かべさせたまま、跡部が口に出したのは限りなく物騒な言葉。
真田を盾にしたまま向日が激しく首を横に振ったのは言うまでも無い。
「嫌だ!!絶対一発で済まないに決まってんだろー!!」
「そうか、死ぬまでボコられてぇのか」
「そんな事言ってねぇー!!」
「ちょ、ちょっと待て跡部!」
ボキボキと指の関節を鳴らしながら近付いてくる跡部に、見かねた真田がストップをかける。
「…邪魔すんじゃねぇ、真田」
「そうではなくて、一体何があったのか説明をしろ」
「だからそれは、」
真田の今更な問いに答えようとしたその時、今度は岳人にとっての天の助けが現われた。

 

「漸く追いついたわ……ほんま、何ちゅう速さや」

 

「うわーん!!侑士助けてくれぇー!!!」
思わず情けない声を上げて岳人が忍足に向かって手を伸ばす。
それに困ったように苦笑を見せて、とりあえずはと跡部に向き直った。
「ちょお跡部、その辺で勘弁したらん?」
「…まだ何もしてねぇだろうがよ。つーかまぁ、これからするんだがな」
「あんだけ追い回したら、もう充分やろ?」
「こんなので俺の怒りは収まんねぇよ」
「ほんまにもう…」
全く許す素振りを見せない跡部に、忍足が呆れたような吐息を零した。
こう見えて、跡部は小さい事で強烈な怒りを示す事がある。
本人にとっては重大な事らしいのだが、第三者から見ると本当にどうでも良いような
事だったりするのだ。
本心では放っておきたいところだが、このままでは本当に向日が半殺しにされかねないので、
とにかくまずは跡部の怒りを静めることを考えねばならない。
「岳人だって、謝っとるやんか、なぁ?」
「謝ったら元に戻んのかよ、アレ」
「う…ッ、」
ボソリと呟かれた拗ねるような声に、忍足が言葉に詰まる。
そうだ、アレだけはもう、本当にどうしようもない。
「あの〜、すんませーん。俺ら、話見えねぇんスけどー」
忍足の背後から唐突に挙手と明るい声音が上がって、跡部が視線をその方へ向けた。
「…なんだ、コイツら」
「ああ、切原と不二。そこで会うたんよ。
 お前らこの2人にとばっちり食わせたん知らんのんか?」
「覚えがねぇな」
「何ちゅう奴っちゃ…」
アカンわ、と額に手を当て忍足が嘆く。
跡部のこの性格だけは、本当にどうにかならないものなのだろうか。
挙手したままの切原に目をやって、それから真田が跡部へと視点を変えた。
「だから跡部、一体何があってこうまで向日を追いまわしているのだ?」
「…そりゃ、岳人に訊くのが良いんじゃねぇか?」
「どういう意味だ」
「折角だから言えよ岳人。テメェ、部屋で何をしやがった?」
「う……」
「言え、岳人」
目を細めて跡部が強く言えば、渋々といった風に向日が口を開く。
「………部屋で、ゲームしようと思って、」
「それで?」
「プレステ2の電源入れようと思ったら…跡部のメモカが入ってたんだ」
「それから?」

 

 

 

 

事の顛末はこうだ。

 

暇潰しに向日がゲームをしようとしたところ、スロット1に跡部のメモリーカードが入っていた。
それを自分のものと差し替えるべく、跡部のメモリーカードを抜き取り、自分のカードを差し込む。
その時、跡部のメモリーカードは無造作に床に放置された状態だった。
2時間ほどゲームを堪能した後、向日はゲームの電源を切ってその部屋を後にした。
当然、跡部のメモリーカードの存在などすっかり忘れたままで。
その後部屋に戻ってきた跡部は、ゲームのコントローラー等が放り出された状態に半ば呆れを
覚えつつ、片付けてやるためにテレビの元へと近付いた。
その最中に感じた何かを踏んだ感触と、パキッ、という可愛らしくも残酷な音。
恐る恐る己の足を退けてみるならば、そこにあったものは惨たらしい姿の自分のメモリーカード。

この時、珍しく跡部景吾の絶叫する声が、隣近所に響いたらしい。

 

 

 

 

「俺は常日頃から、床に何でも放っておくなと言ってるよなぁ…?」
「………ハイ」
「特にメモカなんざ壊れやすいモンだからよ、使わねぇならスロット2に挿しとけって
 うるせぇぐらい言ってたと思うんだがなぁ……?」
「………聞いてました」
うっすら笑みを浮かべながら言う跡部がとことんまで怖い。
何をされるかわからないといった恐怖が、更に向日を縮こまらせた。
「よし、だったら歯ァ食い縛れ」
「ぎゃーー!だから暴力反対って言ってるじゃんかよー!!」
「うわ、コラ向日、俺を盾にするな!!」
慌てて真田の後ろに隠れる向日に、真田が冗談じゃないと慌てた声を上げる。
見かねた忍足が跡部の肩を掴んで止めた。
「ちょ、ちょっと跡部、暴力はアカンって!!」
「離せ忍足!!」
「お前にしてはらしくないで?
 いつもはメモカ1枚でそんなに怒ったりせぇへんやん」
「あれ?もしかしてこれが初めてじゃないんスか?」
忍足の言葉に不二が訊ねてみれば、返事をしたのは跡部の方だった。
「アーン?3回目だ」
「………あー…」
そりゃ怒るだろう、と不二が諦めた吐息を零す。
「それだけじゃねぇ。アレにはなぁ……」
忍足の掴んでいる肩が、ふるりと小さく震えた気がした。

 

「ラスボス直前のセーブデータが入ってやがったんだよ!!
 しかも俺はまだクリアしてねぇんだ!!」

 

……そらアカンわ。
忍足だけでなく、そこに居た向日以外の全員がそう思ったとか。
「がっくん………ちょお、諦めよか」
「ゆ、侑士ッ!?」
「コイツの怒りは俺では収まらへんわー」
「あーあー、向日サン、そりゃダメっすよー。
 RPGのラスボス前っていったら、一番緊張するトコロなのにー」
「うーん……さすがにフォローはできないでしょうね……」
新顔にも見捨てられて、いよいよ向日に逃げ場所は無くなった。
真田は………最初から期待なんてしていない。
そうなるとできる事はひとつだけ。

 

「俺は負けねー!!」

 

真田に隠れるように外側に居たせいか、逃げ出すのは容易い状況だった。
とにかく殴られるのだけは御免である。
もう暫く逃げ回って、怒りがもう少し冷めた頃に改めて謝るのが妥当。
そう考えた向日は踵を返して猛烈な勢いで駆け出した。
「あッ、岳人!!」
「ちくしょう、逃がすか!!」
忍足の手を振り払って、跡部が再び向日を追って走って行く。
どうやら当分、この追いかけっこは終わらないらしい。
「………もうええ、俺は知らんで」
その光景を眺めて呆れたように肩を竦めると、忍足はそう言葉にして匙を投げた。
「赤也、俺はよく解らんのだが、それはそんなに重大な事なのか?」
「…ええと、まぁ……それなりに?」
実際のところ切原はRPGより格闘ゲーム専門なので、そこまで重要視はしていないが。
「忍足、良いのか本当に?」
「ああもう、かまへんかまへん。岳人はいっぺんぐらい跡部にドツかれとったらええ。
 跡部には後で俺のデータやることにするわー…」
投げやりに答えた後で、がくりと脱力するように忍足はその場にしゃがみこんだ。
もぉイヤや。そんな言葉に残された3人はただ忍足を労るように肩を叩いてやるしかなく。

 

 

跡部と向日の追いかけっこは、日が暮れても切原と不二が帰路についてもまだ続いていて、
結局それを止めたのは、忍足の拳だったとか。

 

 

 

 

<終>

 

 

 

きっと最後は忍足の「お前らええ加減にせぇよ!!」という言葉と拳骨2発で終了でしょう。
跡部とがっくんは、所詮忍足には敵わないのです。(笑)

ここでのべっさんは、普通にゲームとかする人です。
頻度的にはたまに、でもやりだしたらノンストップ。
とことんまでやり込む派じゃないかなぁ〜……レベル99まで上げたデータとか持ってそう。(笑)

 

裕太くんは、その昔ロムカセット時代に兄貴のデータを消してしまった事があって、
半殺しにされた記憶があります。カワイソウ!!(笑)