「うあーーー!!悔しいッスよーーーもうーーー!!」
真っ赤な顔のままでジタバタと布団の中でもがく切原を困ったように見遣って、
柳が吐息を零す。その隣に立つ真田も難しい表情をしていて。
昨日から調子が悪そうだなとは思っていたのだ。
「………37度8分……止めた方が良い」
「でも!!立海大と氷帝の決勝っしょ!?
俺だって見に行きたいっすよー!!」
「そんな鼻声で何を言っている。駄目なものは駄目だ。
風邪薬を飲んで大人しく寝ていろ」
「酷いーーー!!鬼ーーー!!!」
「自分が体調管理を怠ったからだろう。自業自得だ」
額に乗せたタオルを取り上げて柳が水に濡らしに行った合間に、真田が手を伸ばして
切原の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「土産は買ってきてやるから、諦めて今日は大人しく寝ていろ。
日帰りは難しいかもしれんが……明日、なるべく早く帰ってきてやるから」
「う〜……」
布団を顔まで引き上げて、切原が拗ねるように視線を逸らす。
土産なんかで誤魔化されたりなんかしない。
濡れたタオルを持って戻ってきた柳が切原の額にそれを乗せると、ポンポンと子供にするように
軽く布団を叩いた。
「大人しく寝てるんだぞ。ゲームは禁止だからな。良いな?」
「………へ〜〜い……」
有無を言わさぬ口調に、切原はそう返事をするのがやっとだった。
もう卒業してしまったとはいえ、中学テニスの関東大会、しかも立海大と氷帝の対戦なら
是非見に行きたい好カード。
おまけに自分達の後輩の最後の舞台となれば、真田も柳も見に行く他は無いだろう。
同じ日に行われる3位決定戦では青学の越前も出るため、手塚も乾も行ってしまう。
不二なら学校が違うので居残るかと思ったのに、
「たまには帰って来いって、兄貴に半分脅されてるから…」と、どうやら便乗して
行ってしまうらしいのだ。
本気で自分一人居残りなのかと思うと、寂しいと思う歳では無いが何となく取り残された
気分になってしまうのは仕方が無いだろう。
「……?」
2人が居なくなり、目を閉じた視界に影が差す。
何かと思って瞼を持ち上げれば、ベッドの脇で心配そうに佇むのは
普段余り物を言わない静かな同室者。
「……樺地?」
やっぱり何も言わない相手だが、その目がとても心配そうに見ているので、
思わず口元が笑みの形に変わる。
いつまでもそんなトコロでじっとしていたって、怒られるだけだろうに。
「早く行かないと、跡部サンにドヤされるぜ?」
「………。」
「あの人、怒ったら怖ぇからなー……」
「……ウス」
おいおい何肯定してんだよ。
そんな素直なツッコミは、入れたところで困らせるだけだから黙っておく。
「大丈ー夫。イイから行けよ、樺地」
ヘラリと軽い笑みを見せて追っ払うように手を振ると、こくりと静かに頷いた樺地は
音を立てないようにそっと部屋を出て行った。
しんと静まり返った部屋で、一人ぼんやりと天井を眺める。
熱のせいか視界が霞みがかっているが、不思議と思考ははっきりとしていた。
こんな時に風邪さえ引かなければ、自分だって一緒に行けたのに。
残念だ。それと、やっぱりちょっとぐらい、寂しい気がする。
「………ちぇっ」
額のタオルをずらして目元まで隠すと、大人しく布団に潜り込んだ。
駅までぞろぞろと皆で歩いて、切符を買う顔ぶれを眺めていた柳がフム、と顎に手を当てて
頷いてみせる。
自分の中では試合を見たいという気持ちと一人残した切原が心配だという気持ちが
真っ向からぶつかり合っていた。
それに、向こうの会場で幸村や丸井達とも会おうという約束もしている為、それを反故にするのも
気が引ける。
だけど、やっぱり。
「……弦一郎、悪い。やはり俺は戻る事にする」
「蓮二?」
背中にそう声をかけられて真田が振り向けば、既に自分に背を向けて歩き去ろうとする
柳の姿があった。
「あれ?柳先輩、寮に戻っちゃうんですか?」
隣の券売機で切符を買っていた不二が、それを見て首を傾げている。
「ああ……赤也が心配らしくてな」
「アハハ、確かに切原は目を離すと何するか解らないですからねー」
「やれやれ…また幸村に怒られるのは俺の役目か……」
「元気出して下さい、真田先輩」
慰めるようにポンと肩を叩きはしたが、不二の目は愉快そうに細められている。
「……こういうトコロは兄弟そっくりだな……」
「え?」
ぽつりと小さく呟いた言葉は、幸いにも不二には聞こえていなかったようだ。
うとうとしていたのだろうか、だがふいに意識が浮上してきたのを感じて、閉じていた目を開く。
燃えるように熱いのに、体感的には氷の中に居るかのような冷たさと寒さ。
それだけで、さっきより熱が上がっている事が知れる。
計って数字でそれを知ると怖いことになりそうだったから、それはやめておく事にした。
「くそー……熱い〜…しんどい〜…ノド乾いた〜〜……」
何か飲みたいと思っても、ドリンクの類は全て冷蔵庫の中だ。
だが、それを飲みにキッチンまで行こうという体力は残念ながら失ってしまっている。
こんな時、誰かが居てくれれば良いのに。
「うー………柳センパイでも、この際真田センパイでも文句言わないからさー………、
誰か帰ってきてくれよー……。そして冷蔵庫からポカリ取って来てくれよー……」
静かな室内に自分の声だけが響いて、どこか虚しさを感じる。
ぐったりとベッドに沈んだまま、切原が熱を持った吐息を零した。
「このまま死んだら絶対化けて出てやる〜……」
温くなるどころか自分の体温で熱くなってきたタオルを投げ捨てると、寒気を紛らわすために
布団を頭まで持ち上げた。
最初に、その事に気が付いたのは忍足だった。
気になったから暫く眺めていたのだが、それが余りにも切羽詰っている風に見えたから。
「……跡部、」
ちょい、と背中を突付いて、忍足は聞こえないように小声で話し掛けた。
「ちょお、跡部。お前アレ放っとくんか?」
「アーン?……何がだよ」
「……自分の後ろ、よぉ見てみぃ」
忍足に釣られるように小声で答える跡部に、忍足はそう言うとちらりと背後に視線を向けた。
いつも自分の後ろに立って真っ直ぐ前を見つめる目が、今日はちらちらと来た道を振り返っている。
時折、くるりと後ろを振り返って、また前を向いて。
「ほんま、あんなん見せられたら敵わんわ」
「………。」
「どうすんねんな、あんな樺地、連れて行くんか?」
心配なら心配で素直にそう言えばいいのに、彼は決してそれを言うことはしない。
きっと何も知らないフリを続けて黙っていれば、最後まで彼は自分達について来るだろう。
自分の気持ちはどうあれ、だ。
どれだけルームメイトを心配していようが、跡部景吾は樺地にとって『絶対』だから。
だから、きっと跡部が何か言わない限り、彼は決して動かない。
「………チッ、」
少し何か考えるように目を細めると、小さく舌打ちを零して跡部は樺地に近付いた。
彼が持っていた自分のバッグを奪うように手にして。
「行ってこい、樺地」
無垢な両の目が僅かに驚きの色を持って自分を捉えたのを、居心地悪そうに
背を向けることで逸らす。
「………ウス」
ペコリと跡部の背中に向かって深く礼をすると、踵を返して急ぎ足で樺地は歩き去った。
きっと柳を追いかけたのだろう。
それを見送っていた忍足が、跡部に視線をむけてニコリと笑みを見せる。
「意外やわ、お前が樺地を手離すなんてな」
「どういう意味だよ」
「例え本人が行きたいって言うても、絶対お前はアイツを意地でも連れて行くって……
すまん、ちょっとだけ思ってたわ」
「んなワケあるかよ、バーカ」
「悩んどったクセに、よう言うわ」
「……アイツが本当にそうしたいって思うなら、止めたりなんかしねぇよ」
少なくとも、それを許すぐらいには樺地の事を気に入っている。
それに、見かけで判断されてずっと一人で居た昔とは違って、今はそうしたいと思えるだけの
仲間が・…友人ができたという事なのだから、むしろ喜ぶべき事だ。
樺地のイイトコロを知っているのは氷帝テニス部の元レギュラー達だけだと思っていたから、
それを知ってしまった切原に対して、ほんの少しぐらいは悔しいという気はするけれど。
「行くぜ、忍足」
「はいはい」
見かけに寄らず寂しん坊な跡部の為に、忍足は彼の呼びかけに肩を竦めて答えると
いつも樺地が立っている距離を保って、彼の後ろをついて歩いた。
半分眠りに落ちていたのだと思う。
それでも部屋の中にある自分以外の気配を敏感に感じ取って、切原はうっすらと瞼を持ち上げた。
額にひやりとしたタオルの感触と、瞼の上を温かい掌が覆う。
でもその前に見えてしまった。
「……柳センパイっスか……?」
「なんだ、バレたのか」
その手を除けようとはせず、切原が唇を笑みのカタチに象る。
ちゃんと見えた。柳だけじゃなかった。
「樺地も、いるんだ?」
「ウス」
傍で聞こえたのは、普段から聞き慣れている声。
それだけで酷く安心する。
「………へへ、」
嬉しそうな笑みを漏らすと、切原が自分の目を覆う柳の手に、熱を持った自分の手を重ねる。
空いてる方の手を布団から出して、ある程度見当をつけた方向へと伸ばした。
「樺地ィ〜……手ぇ、」
掠れた声で呼びかけると、返事の代わりに柳の手よりもほんの少し冷たい手が、そっと触れてくる。
ああ、もう大丈夫だ。
「………何か良いっスねぇ、こういうの…」
「少し眠るんだ、赤也」
「へ〜い……」
意識がゆっくりと沈む。柳に言われなくとも眠りに落ちそうだ。
……目が覚めたら、いなくなってたりしないよな?
頭の隅っこでそんな事を思ったが、もしかしてそれは口に出ていたのかもしれない。
「心配するな、此処に居る。そうだな……樺地?」
「ウス」
眠りに落ちる瞬間に、切原の唇が弧を描いた。
<終>
よくありがちな風邪ネタ・赤也編。(笑)
柳お母さんは赤也が心配でたまらんかったようです。
樺地お兄ちゃん(兄…?/笑)も赤也が心配だったらしいです。
そんなハナシ。(笑)
実際、樺地と赤也はどんなカンジで仲良しなんだろうー…と想像したら、
「よく出来た無口な兄と手のかかる弟」という関係しか思い浮かびませんでした。
同い年なんだけどなぁ……。(汗)
お父さんが真田でお母さんが柳でお兄ちゃんが樺地。
高校パラレルではそんな設定でいこうかなぁ、と。うん。