「もしもし、」
『あ、乾?どう??』
「うーん……どうも駄目っぽいな」
『そうか……』
「じゃあ、プロジェクトβってことで、頼むよ」
『βね、了解。皆に伝えておくよ』
一頻りの会話を終え、乾は携帯を閉じてポケットに仕舞う。
そして視線をベッドの上に横たわる男に向けた。
「……まったくもって予想の範囲内だ。
でも……やっぱり、な……」
言葉と共に、ため息。
<例えばこんな誕生日なんて。−手塚国光の場合−>
今日は10月7日。
そんな日に、手塚国光は病床に臥せっていた。
とはいえ、季節の変わり目に襲ってきた風邪で、熱は高いがそう心配する事も無い。
前日に微熱っぽいという話は聞いていたので、皆して「早く寝ろ」とせっついた甲斐もあり、
その日はいつもより随分早い時間に就寝したのだが、どうやら眠っている間にブーストでも
かかったかのように熱が上がっていったらしい。
翌日…いわゆる『今朝』に当たるのだが、既に起き上がることは不可能だった。
「……うわぁ、見ろよ手塚、38.9℃だってさ。
どういう寝方したら、たった一晩で37.3℃からここまで上がるのかねぇ」
水銀式の体温計を振りながら、千石が苦笑を浮かべて言う。
「移るぞ。早く行け」
掠れた声で言えたのはそのぐらいで、半分意識も朦朧としていた事もあって、
それ以上は何も言わず、ただ目を閉じた。
全身から火が出たように熱いのに、でも体感的には冷え切っていて、頭の芯がぐらつく。
体温計をサイドボードに置くと、水差しと薬を持ってきて、千石は手塚に声をかけた。
「とりあえず、もうちょっと寝てまだ熱が下がらなかったら、解熱剤飲んでみなよ。
ココ、置いとくからさ。
それじゃあガッコ行くけど、ヤバかったらいつでも誰にでも連絡するコト!いいねっ!?」
千石が自分に対してそう念押しした言葉は、ちゃんと聞こえていた。
扉が閉まり、しんと静まり返った部屋で、そのまま再び手塚が眠りにつくのは容易い事だった。
汗で張り付く髪を払ってくれる手が、思いの外ひんやりとして心地よかった。
そのまま離れていく手を惜しいと思ったのがきっかけで、漸くその目を手塚が開く。
目の前に居たのはルームメイトの千石では無く、何故か乾だった。
「……起こしてしまったか?」
「乾…?」
どうして、彼が此処に居るのかの理由が飲み込めず、ぼんやりした頭で考える。
彼も同じ学業に身を置いているからして、学校に居なければならない筈の人間だ。
授業も部活も終わったという程、時間が経っているようには見えない。
カーテンの向こうからは、明るい日差しが塞ぎ切れず溢れていた。
「今……何時だ?」
「えっと、13時30分を少し過ぎたところ、かな」
「5限目は?」
「ああ、」
手塚の言いたい事を汲み取って、真面目だねェと苦笑しながら乾も律儀に答える。
「俺のクラス、5限は自習だったんだ。
ちなみに6限以降は部活も含めサボリって事で宜しく」
「…………。」
手塚の目に剣呑な光が宿る。
元々、授業をサボるとかそういう事にはやたらと厳しい反応を示すところがある。
だから真面目だと言われるのだ。
その手塚の視線を全く気にする風も無く、乾はもう一度手塚の額に掌を当てた。
「38.5℃ってところかな。
あんまり下がってないね。やっぱり薬飲んだ方が良いよ。
きっと今まで寝てたんだろ?その分じゃ飯も食ってない。違う?」
「………ご推察の通りだ」
「食欲は?」
「無い、という程でも」
「そうか」
ひとつ頷くと、乾は消化に良い軽いものを何か用意してくると言って
ダイニングの方へと足を向けた。
隣の部屋から微かに聞こえる物音に耳を澄ますようにして、手塚はそっと目を閉じた。
誰かが近くに居るというだけで、やたらと心強く感じる。
抜け出して…いや、もはや早退と言っても良いだろう乾の出現は、行動こそ感心は
しなかったけれど、有り難いと思ってしまったのが本心だ。
何も食べないよりは遥かにマシだと、乾はインスタントのお粥を持って戻ってきた。
ちゃんと話を聞くと、千石に「アイツの昼飯の事まで考えて無かったよー」と泣きつかれ、
丁度具合も気になっていた事もあって乾が様子を見に行く事を引き受けたらしい。
千石も戻ろうかと頭を悩ませていたが、5限は教師が厳しいという事で有名な数学が
控えていて、そういうワケにもいかなかったのだ。
ついでに先述した通り、乾のクラスの5限が自習になったという要因も大きい。
つまりは色んな偶然が折り重なって、乾が今この部屋に居るという事になる。
お粥を食べながら話を聞いて、薬を飲むともう一度手塚がベッドに横になった。
「……迷惑をかけたな」
「本当にな。解ってるなら早く治す事だ」
「手厳しいな」
苦笑を滲ませて答えると、また額にそっと手が触れてきた。
冷たい。
自分の熱が高いという事も理由のひとつだが、その手には血が通っているのだろうかと
疑いたくなってしまう程に。
「お前の手、」
「うん?」
「冷たくて、気持ちが良い」
「そうかな?」
「ああ」
小首を傾げて聞き返す乾に、手塚が頷いた。
「乾は…、」
「何?」
「戻らないのか?」
学校へ、とは付け加えなくても伝わるだろう。
それに少しも悩む素振りを見せず、乾はあっさりと答えを返してみせた。
「戻らないよ。
言っただろう?6限以降はサボリだって」
「……どうするんだ?」
「どうって……此処に、居るけど?」
そもそも様子を見るのと看病するのが目的で来たのだ。
これで目的完了と自室に戻ってしまっては、まるでサボりたいが為にこれを口実に
したようなものである。
「………手塚、もう少し眠ったほうが良い。
しかし、とんだ誕生日になってしまったな」
額の手を頬に滑らせる。
やはりそこも随分と熱かった。
「乾、」
手塚が、ほんのり温くなった乾の掌を更に己の右手で押し付けるようにして緩く掴む。
何か言いたそうな表情をしているのに気付いて、乾が少しだけ手塚の傍に顔を寄せた。
その時、手塚の左手が自分の後頭部に回って強く引き寄せられる。
しまった、と思った時には既に唇は奪われてしまっていた。
「……っふ……ん、」
歯列を割るようにして滑り込んできた舌は、相手の体温と比例しているのか
普段よりずっと熱く、そして乾いていた。
思うままに口内を蹂躙してくるそれに緩く応えてやりながら、それでもこういうキスの仕方に
慣れてしまっていた乾にとっては、特に冷静さを欠かせる程のものではなく。
脳裏を過ぎったのは、風邪が移ったらどうしようか?といった程度のもので。
ちゅ、と小さな音を立てて唇を離せば、やや呆れた表情の乾の視線とぶつかった。
「あのさ、これで俺が風邪引いたらどうしてくれるんだ?」
「その時は俺が誠心誠意を持って看病しに行ってやろう」
「確信犯?」
「そうとも言うかもしれんな。
誕生日プレゼントとして戴いておいた」
「何だか最近、やる事が跡部に似てきてないか、お前?」
「………………心外だ」
「もう寝ろ、お前」
「そうしよう」
素直に頷いて、手塚が大人しく布団を被る。
だが、乾の手はまだ強く握られたままで。
「手塚?」
「何だ」
「…………いや、何でもない」
「変な奴だな」
「手塚、俺は、」
「………?」
「ちゃんと、此処に居るから」
そんなに必死に縋るように、掴まえていなくても、大丈夫だから。
そう言うと手塚は何も応えず、ただ右手で掴まえていた乾の手の甲に、
静かに口付けを落としただけだった。
「………おやすみ、手塚」
「ああ、おやすみ」
漸く温もりを宿してきた乾の手を、放す気は毛頭無かった。
何か良い香りがする。
何処か芳しい………ああ、花の、匂いだ。
どうして、花の匂いがするんだ?
眠りの底から浮上してきた頭は、その答えを求め始める。
だから、目を、開こうとして。
パンパァン!!!
飛び起きた。
勢い良く身を起こせば、頭上から紙吹雪が舞い落ちる。
心臓の音がやたらと早い。
驚いたからに相違ないが。
「な……、」
何事だ、と口にしようとして、だがそれは周囲の声に遮られた。
『HAPPY BIRTHDAY!!』
のろのろと、視線を上げる。
いつ帰って来たのか知らないが、手塚の居るベッドの周りには、
皆が揃っていた。
眠る前は乾だけだったのに、今は他に千石も、真田も、柳も。
忍足や向日も……あの、跡部も。
全員がクラッカーを手に、笑顔で自分を見ている。
これは、どういう事なのだろうか。
「ははっ、手塚、驚いた!?」
ピョンと跳ねてベッドの上にボスンと腰を下ろすと、向日がそう笑って訊ねてくる。
それに手塚が素直に頷いた。
「……心臓が止まるかと思った……」
「「大・成・功!!」」
してやったり、と向日と千石がその言葉にパンと手を打ち鳴らす。
改めて自分の居るベッドに目をやると、枕元から自分を囲むかのように、
花と色紙で作った飾りが敷き詰められていて、漸く香りの正体がこれだったのだと
知ることが出来た。
そして一緒に置いてあるプレゼントらしき包みが7つ。
全て、自分の為に用意されたものなのだろう。
自分の為だけに。
「しっかしよ、俺もこないだ同じ目に合ったが……、突然コレ鳴らされると
結構ビビるぜ?
変に音がでけェんだからな」
「そやったなァ、ビックリしすぎて泣きよったもんなぁ、自分」
「そうなんだ、跡部!?」
「忍足……テメェ………」
「怒ったら益々図星や言うてるようなモンやで」
「てめ……後で覚えとけ……!!」
「ところで、このプレゼントは開けても構わないのだろうか?」
「構わないよー、ていうか手塚、俺も自分以外のヤツのプレゼントって
中知らないんだよね。開けて俺にも見せてくれって!!」
「ああ、ちょっと待て、千石」
「あ、その前に、手塚」
「何だ、乾……!?」
「ちょっと………うん、大丈夫だ。
37.2℃、まずまずの下がりっぷりだな」
「そうか」
「ああ解ったぞ……アレだな、蓮二」
「何がだ、弦一郎?」
「こうやってベッドの周りを花や贈り物で飾ると………、
まるで棺桶の中みたいなんだな」
「…………っ、真田!!
言っちゃならねェ事をっ!!」
「向日の言う通りだ弦一郎。
そういう事は思っていても口に出すものではない」
「という事はお前もそう感じていたんだな、蓮二?」
「多分、皆実はそう思っていたりするのではないか?貞治」
「まぁ確かに、寝てる手塚の周りをデコレーションしてる時には、
俺様もちょっとばかりそんな事を思っちまったがな……」
「あはは、何や、やっぱ皆そうなんかいな」
「…………。」
「…………。」
一瞬の沈黙が部屋中を包む。
「「「わははははははは!!!」」」
笑い出したのは、そこにいた全員だった。
「手塚、」
乾に名前を呼ばれ、手塚がハッと顔を上げる。
「祝ってもらったら、何て言うんだ?」
「………ああ、」
それに気付いたように、手塚が声を出す。
ふと視線を周囲に向けると、皆が優しい眼で自分を見ていた。
上手く言えるか自信が無くて、つい俯いてしまったが、ふいに視界に
花が目に入って、何気なく一輪手に取ってみた。
飾られたというには無造作すぎるその花々に統一性は無く、色んな種類の花が
無造作に散りばめられていた中、手に取ったそれは紛れも無く目覚めの瞬間に
感じた匂いと同じもので。
恐らくその場にいた乾以外の全員が、驚きで言葉を失くしてしまっただろう。
手塚の表情には誰から見てもハッキリと認識できる、いわゆる『笑顔』と称されるものが
ありありと浮かんでいたからだ。
「こんな誕生日は初めてだ…………ありがとう」
言葉と表情に精一杯の感情を込めて、手塚はそう言って微笑んでみせた。
<終>
ハピバス手塚!!
どう終わらせようかちょっと悩んだ話だったのですが、何とか完成できて良かったよかった。
手塚は何気ない日常に幸せ見つけられる人間だと、そんな風に思うので、
すごく子供くさい、フツーのハナシになってしまいました。
読んで下さった皆さんが、手塚につられてほわんと笑って下されば嬉しいかなーと。
傍に乾が居て、周りに皆が居て、それで心の均衡が保たれるような、
だから、どっちか片方でも欠けたらダメになっちゃうような、手塚がそんな人なら嬉しいです。
そんなワケで、手塚はモチロン乾が一番好きなんだけど、皆が大好きなんですねー。
やー、別にそれは手塚だけじゃないんですが。
仲良し万歳!!(笑)
何気ないハナシでぎゃあぎゃあ騒げるような、そんな間柄に仕立て上げていきたいです。