「痛いんだ」

もう一度、静かに言う乾に。
無意識の内に、手を伸ばしていた。
抱き締めた身体は、すっかり冷え切っていた。
「解っていたけど、覚悟はしてたけど、それでも痛いんだ」
「乾……」
力を込めて抱き締めれば、その肩口に額を預けて、乾が項垂れる。
急に持ってるもの全部取り上げられてしまった、そんな気分。
でも、何か見えない重いものを押し付けられた、そんな気分。
どうしたら良いのか解らなくて、手持ち無沙汰で、でも身動きが取れない。
その気持ちは痛いほど手塚にも伝わってくる。
だがそれは余りにも、酷じゃないか。
今、全て取り上げるなんて。
「乾、夢はまだ、そこにあるか」
「ああ……あるよ」
「だったら、」
身体を離して、覗き込むように見る。
能面のような強張った乾の表情を、どうにかして溶かしたかった。

 

「最後まで諦めるな。頑張れ、乾」

 

大きく見開かれた目が、自分を捉える。
まさか、この状態でまだテニスを後押しされるなんて思わなかったのだろう。
驚愕が表情に隠されること無く浮かんでいる。
「手塚……」
「走れなくなるまで、足が動かなくなるまで、諦めるな」
「……っ、」
「俺が、全部見ていてやるから」
真っ直ぐに自分を見てくる手塚に、乾は困惑する。
どうして、手塚がそこまで。
疑問はそのまま、口に乗った。
「どうして……?」
「……乾が、」
一旦そこで言葉を切って、逡巡する。
膝の上で組まれていた乾の手を、強く握った。
良いのだろうか、今、言っても。
だけど逆に言えば、多分、今しか無いのだろう。
「乾が、好きだからだ」
「………え?」
「好きだ、乾」

 

多分それは、ずっとずっと以前から。
それこそ、中学の時から、ずっと。

 

「………え、あ、その、」
狼狽して乾が声を漏らす。
その頬が、その顔が、みるみる真っ赤に染まっていく。
言われた言葉の意味が解らないわけでは無かったようだ。
「好きだ、乾」
「………て、手塚…」

 

駄目だ、もう、止まらない。

 

強い衝動が身体全部を突き動かす。
その想いは堰を切ったように、溢れて、溢れて。
吸い寄せられでもするかのように、未だ呆然としたまま動かないその唇を奪った。
何度も啄むように。
乾の唇は、酷く冷たかった。
拒まれる事の無いそれを繰り返して、もう一度ゆるりと抱き締める。
その耳元で、ありったけの気持ちを込めて。
「好きだ」
「…………うん」
何度も、何度でも言ってやれる。
彼の抱える不安全てが取り除かれるまで。
それが、自分の想いの全て。

 

 

 

 

「……?」
ふいに背中に回された腕に驚いて、手塚が身を離そうとする。
それを乾が逆に強く抱き締め返すことで遮った。
「乾…?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
肩口に顔を埋めてしまって、その表情を見ることができない。
が、声音は充分すぎるほど動揺していて、思わず手塚は苦笑を浮かべた。
さて、この動揺は何ゆえか。
「俺は今、凄く情けない顔をしている確率、90%だ」
「それは高確率だな。見てみたい」
「嫌だね」
「そう言うな」
「煩いな」
ぶっきらぼうに答える乾が、どこか可笑しい。
思わずくすくすと笑う声を抑えられず、それが逆に相手を逆撫でしたらしい。
背中をバシバシ叩かれて、思わず手塚が「痛い」と苦情を漏らす。
そんな風に照れる乾も、全部全部大好きで。
この気持ちは、愛しさで。
この想いは……恋慕で。
だからこそ。

 

「どんな道を歩んでも、どんな風に変わっていっても、
 お前だから最後まで見ていたいと、思うんだ」

 

乾が必要とするなら、何度だってその背を押してやろう。
諦めるなと、肩を叩いてやろう。
「手塚……」
「それが、俺の想いなんだ、乾」
困惑の色を隠せない瞳が、眼鏡の奥で揺らぐ。
元より手塚は乾の返答に期待をしていたわけではない。
ただ、伝えたくなっただけなのだ。
だから、敢えて言葉が欲しいとは思わない。
「………さぁ、乾」
ぐいと腕を引っ張って立たせると、ひょこり、と足を引き摺りながらも
乾は大人しく従った。
「皆、お前を捜しているんだ。帰るぞ」
「…………ああ」
物言いたげに見返してくる目は、それでも何を伝える事も無い。
手を繋いで、乾の速度に合わせて歩く。
空を見上げると、真っ暗な空間から零れ落ちてくる滴。
ああ……冷たいな。
雨も、気温も、相手の身体も、自分の身体も、何もかもが冷たくて。
ただ繋いだ手だけが、温かかった。

 

 

 

<続>

 

 

 

手塚さん視点での告白編でした。
次回は乾さん視点です。