午後6時。
特に何かする事があるわけでもなくて、ただ暇を持て余していただけだったので、
食堂が開くと同時に、夕食を採るため手塚と千石は1階に向かった。
やはり中はまだガラガラで人はまばらだ。
だが、そこに見慣れた姿を見つけていた。
「やっほー、向日、跡部!」
「ンだよ、テメェらも晩飯か」
「うん、暇だったしね、お腹も空いたしね」
食堂入り口脇にあったトレーを手に、千石がそう答えて鼻歌交じりに
配給を受け取りに向かう。
同じように手塚もトレーを手に取っていると、背後に人の気配がして振り返る。
「………忍足」
「ああ、手塚やんか。
あれ、皆居るんや。なんや考える事ってワンパターンなんやなぁ」
そのワンパターンの中に自分が入っているのを認めた上で、そう言うと忍足は
苦笑を浮かべた。
言いながら自分もトレーを2枚手にして、1枚を自分の隣にいた真田に手渡す。
そこにどこか違和感を感じて、だがその正体にすぐに気付くと手塚は
真田に声をかけた。
「柳はどうした」
「ああ……声はかけたんだがな。
乾が帰ってくるのを待つそうだ」
「……そうか」
「なんだかんだ言うてラブラブやんなー、柳と乾って」
そう言ってケラケラ笑う忍足に軽く一瞥をくれて、真田はさっさと歩いていく。
「……どうしたんだ」
「さっきから、どうもご機嫌斜めなんよ。
やっぱ柳が乾を気にかけとるからかなぁ?」
「いや…多分お前の言動も一因してると思うが」
「そぉか?」
きょとんとした目で首を傾げると、忍足が真田の後ろに並んで手塚を振り返る。
「あんな手塚、不安って伝染するんやで、知っとるか?」
「…身をもって経験済だ」
「えー、そうなんや。嫌やな」
「忍足」
「何?」
「………お前も、伝染しているんだろう?」
それに一瞬、虚を突かれたような目をして。
「………ホンマ、ヤな奴やなぁ、手塚」
「そうか」
吐息を零す忍足に、手塚は口の端だけで笑んでみせた。
皆で(2人足りないが)夕食を採って、部屋に戻って。
千石が「観たい番組がある」と言うので、テレビは明け渡してやって。
特に何かしたい事があったわけでもないから、部屋のベッドに寝転がって
手塚は本を読んでいた。
が、実際は文字を追っているだけで内容なんて頭に入ってこなかった。
解っている。これは、不安だ。
忍足が言っていた。伝染するのだと。
だからどうと言う事でもない。
ただ、願うだけだ。
早く……早く帰って来い、と。
と、ふいに部屋のインターホンが鳴った。
それに「はいはーい」と元気良く返事して玄関に向かったのは千石だった。
何気なく携帯の時計を見遣ると、午後8時を少し過ぎたぐらい。
まだ雨の音は煩いぐらいに耳について離れなかった。
駄目だ、静か過ぎて。
『乾はもう帰ってきただろうか?』
どうしても…思考が向こうへといってしまう。
ガチャ、と扉を開けて、千石は思わず声を上げた。
「あれっ、柳?どうしたの!?」
「………いや、」
柳の周りに漂う何かを感じ取って、千石は柳の手を引いて玄関に入れると
扉を閉めた。
さっきとは違う口調で、真摯に問う。
「どうしたの、柳?」
「此処に………貞治は来ていないな?」
それは、問いというよりも、確認に近い。
「来てない、けど………」
「帰って来ないんだ」
「……え?」
「貞治が、帰って来ない」
腕時計を見れば、8時15分を少し過ぎた辺り。
4時過ぎに乾が病院に連れて行かれたのだから、これはいくら何でも遅すぎる。
「弦一郎の所にも、跡部の所にも訊いてみた。
どこにも……居ないんだ」
「マ、マジですか………」
まだ雨は降っている。
傘も持っていないくせに、一体何処で何をしているのか。
それに、あ、と千石は声を上げた。
「そ、そうだ柳、携帯は?
電話してみた?」
「電源が入ってなかった」
「うそー……」
こりゃ参ったね、と千石が天井を仰ぐ。
と、その肩を後ろから急に掴まれた。
そのまま一歩横に押し退けられる。
「え、うわ、ちょっとっ!?」
「退け、千石」
「ちょ、何、手塚?」
さっさと靴に足を突っ込むと、手塚は柳の隣も擦り抜け玄関の扉を開けた。
「捜してくる」
「さが…って、お前、傘!!」
一言告げて足早に出て行く手塚に、慌てて千石が声をかけるが。
「必要ない。邪魔になるだけだ」
それだけ言うと、階段を駆け下りていった。
「あちゃー……風邪引いても知らないよー…?」
頭を掻きながら柳を見ると、普段から想像もできない程の弱々しい姿で。
こっちはこっちで困っちゃったね、と心底困惑した表情を浮かべる。
まさか柳蓮二のこんな姿を拝んでしまう羽目になるとは。
「大丈夫だよ、柳。すぐ見つかるって」
「………ああ」
「とにかく、ちょっと入りなよ」
問答無用で柳を腕を取って無理矢理ダイニングへと引っ張り込む。
ソファに座らせて、千石は携帯を取った。
「あ、もしもし、真田?
ちょっとこっち来てくんないかなー。
うん、柳が今こっち居るんだけどね、テンション下がりきっちゃっててね。
え?……そう、まだみたい。今手塚が捜しに出たんだけどね。
俺じゃどうしようもないんだよー。
とにかくすぐ来て。ヨロシク!!」
そう言って電話を切ったついでに、乾の携帯に電話してみた。
やはり電源は入っていないようで、ため息混じりにそれを切ると、
千石は無造作にポケットに突っ込む。
同じ階だという事もあり、すぐに真田はやってきた。
「あ、来てくれたんだ。サンキュー」
玄関口でそう真田に言いながら、千石は靴を履く。
それから、傘を持って。
「奥に居るからね、柳」
「……千石、お前はどうするんだ」
「俺?俺もちょっとその辺捜してくるよ。
捜す人数は多い方が良いでショ?」
にんまり笑みを見せて、あとヨロシクねと告げると階段を駆け下りていく。
それを玄関口で見送っていれば、エレベーターホールを挟んだ向こうの廊下を
駆ける忍足の姿が見えた。
傘を持っているところからすると、忍足も捜しに出るのだろう。
廊下の手摺から下を覗き見れば、千石と何か言葉を交わしている2人が見えた。
恐らく跡部と向日だ。彼らもまた。
全く…、持つべきものは友だな、乾。
と、其処に居ない仲間に呟いて、真田はダイニングへと足を向けた。
「…………」
普段は真っ直ぐ毅然としているその背が、小さく丸まっている。
声をかけられず、ただ黙って真田は柳の隣に腰を下ろした。
きっと自分には気づいているのだろう、だが柳は口を開こうともしない。
少しぐらい、言ってくれても良いものを。
「たるんどるな、蓮二」
「………」
「いつからお前はそんな弱い男になった」
「………それは、単なる弦一郎の偶像だ」
「なに?」
「柳蓮二は、そんなに強い人間ではない」
「………。」
「何も言わずに居なくなった友に、こんなにも動揺している。
そんな、度量の狭い、人間だ」
「蓮二……」
「こんな事をしても無意味だと解っているのに、幼い頃の自分に重ねてしまう。
そしてどうしようもなく、不安になってしまう」
あの日、彼だけを置いてきてしまった自分のように。
あの日、言葉だけを残して消えてしまった自分のように。
もし……帰って来なかったら?
彼も、自分を置いて消えてしまったら?
「きっと、あの頃の貞治も、今の俺のような気持ちで居たのだろうな。
今になって……解る気がする」
「…………。」
「今更になって思う。酷い事をしてしまったんだな、と」
手で顔を覆うようにしてそう告げた柳に、どうして良いのか解らなくて、
真田はその肩を抱き寄せただけだった。
そしてただ、彼の為に思いを馳せる。
早く帰って来い、と。
「蓮二…、昔と今では違うことが、2つある」
「…弦一郎?」
「1つは、お前には俺が居ること。
そして……乾には、手塚が居ること」
「手塚……?」
「ああ、奴が居る限り、乾は消えてなくなったりはせんだろう。
手塚がそんな事させるわけがないからな」
「…………そう、だな…」
「それと、もう1つ。
乾は、俺達が必ず見つけ出す、という事だ」
ぎゅ、と一度励ますように強く抱き締めると、真田はソファから腰を上げた。
「蓮二、携帯は持っているな?」
「あ、ああ……」
「見つけたら、連絡を入れる」
「ちょ…、弦一郎!?」
再び玄関に戻ろうとする真田に慌てて追いかけた柳が声をかける。
すると、思ったより穏やかな声音で、返事があった。
「皆で捜した方が早いからな。
俺も捜してくる」
「弦一郎……」
「此処を放っておくわけにもいかんだろう。
留守番を頼むぞ」
言い置いて、真田は靴を履くと颯爽と出て行った。
その背中が余りにも力強くて。
「………ありがとう…弦一郎……」
何も出来ずに礼を言うしかない己の弱さを、心底嫌悪するのだ。
<続>
忍足さんは、自分の感情はひた隠しにするくせに、
周囲の空気や感情にはものすごく敏感だとイイです。
誰も気付かないようなちょっとしたコトでも気付いてしまうぐらいだとイイです。
そんで、周りの感情に伝染されやすい人だと尚良いです。
それが忍足さんのイイトコロであり、弱点でもあると良いです。
そんな忍足さんの感情を、直感的に感じ取るのは跡部。
感情の機微を読み取ってしまえるのが、手塚。
なんだかんだで、跡部と手塚もかなりの類似品だと思ってます。(性格は別として)
理解者が居るのは良いコトです。
で、柳さんは乾さんが大好きなんです。
幼馴染というよりは、兄弟みたいな感覚に近いです。
柳がお兄ちゃんで、乾が弟みたいなカンジ。
だから、帰って来ない乾さんが心配で心配で胸が潰れそうなのです。
ええ、過保護なんです。(笑)
決して恋愛感情云々で無いトコロがミソです。(笑)