6階の、7号室。
そこが跡部景吾と向日岳人の部屋だった。
「お前、実は頭悪ィだろ?」
「……うー、3年一緒にいたんだから、知ってんだろ?
なのにわざわざソレ言うってコトは、嫌味かよ」
「よくわかってンじゃねぇか。
オラ次、問3!」
ぺしりと向日の後頭部をはたいて、跡部が問題集を指差した。
テスト期間中、約2名は地獄を見ている。
<彼らの部活動休止期間の過ごし方について>
テニスで有名な高校へと行けば、もっと高く跳べるようになるだろうかと、
長年一緒にテニスをしてきた仲間がその学校へ行くと聞いた時に、向日は
何となくそんな事を考えてしまった。
そして部活の推薦でこの学校へと入ったのだ。
忍足あたりは「やめといた方がええんちゃう?」などと言っていたけれど。
今になって思えば、その理由がなんとなく理解出来た。
単純な話、『オベンキョウガトテモムズカシイ』、のだ。
「……んっとにテメェは飲み込み悪ィな。
なんでこっちの問題は解けてんのに、ココで間違うんだよ。
同じだろーが」
「へ?何で?」
「何でって……あーもう!!」
最初は同室の跡部に、試験前の部活休止期間を使って教えてもらっていた。
が、それでひとつ理解した事がある。
跡部は誰かにモノを教えるという事が、とても下手なようだ。
問題を解く事自体、跡部にとっては造作も無い事だ。
だが、己の頭の中では理解しきっている事を誰かに伝授するという事が、
どうしても上手くできないらしい。
「……あー、やっぱ俺、こういうの向いてねーな」
ガリガリと頭を掻きながら言ったのは、跡部の方で。
彼はおもむろに携帯を取り出すと、着信履歴から名前を探し出してコールを入れた。
「あー………俺だ。
悪ィ、俺もう限界だ。代わってくれ」
それを見ていて最初、相手は忍足なのだろうかと思ったのだが。
「だから俺は向いてねェって最初から言ってただろーがよ。
イイじゃねェか、そっちにも居るんだろ?
1人になろうが2人になろうが大した差じゃねェだろが。
………おう、解った。じゃあそっち行かせるぜ」
そう言って電話を切ると、跡部が机の上の教科書類を片付けながら淡々と告げる。
「岳人、お前はラボ行きだ」
・・・・・・・・・・・・・・・?
跡部の言った意味がよく解らなくて、いそいそと教科書とノートを抱えて
己の腕を引っ張る相手の顔を困惑したように見上げた。
「ちょ、跡部、ラボって何だよ!?」
「教授と博士の部屋だ」
「は?」
「だから、柳と乾の部屋だってンだよ」
「………ああ、」
漸く理解して向日がホッと息を漏らした。
真田あたりで無くて良かったとも思って。
別に最終的に理解でき、試験も及第点を貰えるのであれば、跡部に
教わったままでも構いはしなかったが、なにぶん跡部の教え方は乱暴すぎる。
口と手が同時に出るから困るのだ。
「なんか今、千石も居るらしいから。
ついでに丁度良いだろ」
そう言うと、跡部は向日の腕を引っ張ったまま部屋を出た。
実際のところ、305号室では。
「あン?なんだよ、てめェも居たのか」
「居ては悪いか」
玄関先で出会い頭に睨み合うのは跡部と真田。
電話の時には聞いていなかったが、どうやら彼も共に勉学に励んでいたらしい。
「おい弦一郎、やめないか。
喧嘩しに来たのでは無いのだろう?」
後ろから柳に背中を突付かれて、漸く真田はその場から離れる。
「まぁ別に構わねーよ。
俺が此処で勉強するワケじゃねェからさ。
とりあえず、コイツの事頼むわ」
跡部の言葉に「ああ、解ってるよ」と言って柳が向日を招き入れる。
その奥のダイニングを覗き見ると、問題集の答え合わせをしていた千石が
真田に「何だこの点数は!たるんどる!!」とお叱りを受けている姿が見えた。
そういえば、もう一人の頭脳の姿が見当たらない。
「乾は何処行ったんだ?」
「………ああ、」
くすりと笑うと柳が指を真下に向ける。
「205に居るよ。
手塚に付き合って、面白い事をしているようだ。
忍足も居るから、気になるなら行ってみると良い」
その答えにふぅん、と声を漏らすと、跡部は305号室を後にした。
エレベーターホールで部屋に戻るかどうするか悩んだけれど。
「……そう言われちゃ、気になるじゃねェか、なァ?」
ぽつりと呟くと、跡部はエレベーター横の非常階段から、1つ下の階へと向かった。
実際のところ、205号室では。
一応礼儀とインターホンを押して、だが無遠慮にドアを開ける。
するとその音を聞きつけて出てきたのは忍足だった。
本来の部屋の主、手塚は姿すら見えない。
「………なんで侑士なんだ?」
「なんでって何やねん。
まぁええわ。丁度オモロイとこに入ったとこなんや。
ほら、入った入った」
「何してんだ?」
「まぁ、見たらすぐ解るわ」
「?」
言われるままに上がり込んで、ダイニングに一歩踏み込むと。
「手塚。てーづーか。
あのさ、コース逆走してるんだけど」
「………何っ?」
テレビの傍のゲーム機からは、カタカタとディスクの回る音。
そして軽快な音楽が聞こえてくる。
ソファに並んで座った手塚と乾は各々にコントローラーを握っていて、
レースゲームに勤しんでいた。
「………何やってんだ?コイツらはよ」
忍足がカーペットの上に座って観戦しているのに、跡部も隣に座って問い掛けた。
「ああ、何や知らんけど手塚がこのゲームにハマってしもうてな。
このソフト自体は…いやハードもか、それは千石のらしいんやけどな」
「………試験前だっつーのに、随分余裕じゃねェの?」
「まぁ、頭ええから構へんのとちゃう?
つーか、手塚下手スギやっちゅーねん」
緩やかなカーブで何故かスピンする車。
それに思わず吹き出して、忍足が指差し笑い転げていた。
1つ上の部屋では今まさに地獄絵図が繰り広げられているだろうというのに、
気楽なモンだよなぁと吐息を零して、跡部が呆れた表情で手塚に目を向けた。
食い入るように画面を見ている手塚はまるで何かに夢中になっている子供のようで、
そんな姿を初めて見たなと自覚した時、思わず小さく口元が緩んだ。
「コーヒーでも飲むか。
勝手に煎れさせてもらうぜ」
自然と笑みの表情になってしまう自分を何とか誤魔化したくて、跡部はそう言うと
立ち上がってキッチンの方へと向かった。
それに視線を向けた忍足が、一言。
「跡部、俺の分も宜しゅうな」
「あ、ついでだから俺の分も宜しく」
便乗して声を出したのは乾だ。
ちゃっかりしているなと跡部が小さく舌打ちを漏らすと、間髪入れず、もう1人。
「跡部、俺も欲しい」
コイツら……!!
視線を向ける事も返事をする事も無く、跡部は4人分のカップを
テーブルに並べた。
変わって部屋は再び305号室。
「……よし、今日はこのぐらいにしようか。
根を詰めると能率も悪いしな」
教科書を閉じて相変わらずの穏やかな口調で柳が言うと、2人の生徒は同時に
テーブルに突っ伏した。
「やったーー!!やっと解放されたァーーーー!!」
「もうカンベンしてくれよなーー」
「何を言ってるんだ、まだ全然試験範囲終わってないぞ?」
「……………マジですか」
嘆く2人に釘を刺すように柳が言うと、心底嫌気が刺しているといった表情で
向日と千石が眉を顰めた。
「ま、明日の事はともかく今日はこれでおしまいだから。
あとは好きにして良いよ」
「明日もしっかりコキ下ろしてやるから覚悟しておけ」
「でーー!?真田もかよーー!!」
「不満そうだな」
「だってお前、ヒントくれるだけで解き方教えてくれないじゃんか!!」
「当たり前だ。己で考えねば身につかんだろう」
「身につく以前に、理解させるトコロから始めてもらえないでしょーか!?」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ3人にくすりと笑みを零して、柳はベランダの窓を開けた。
空はもう夜の色が広がっていて、いつの間にこんなに時間が過ぎたのだろうかと
思わず一歩、ベランダに出る。
途端、下から複数の声が聞こえた。
「俺様に勝とうなんざ10年早ェんだよ!!」
「ぬ…その体勢からドリフトして一気に前に出たのか。
やるな、跡部」
「勝率はどないや、乾?」
「うーん……難しいところだね。6:4で跡部ってところかな。
だけど手塚の上達度は目を見張るものがあるし、
正直何しでかすか解ったもんじゃ…、」
「うわ!!手塚の車加速しよった!!」
「……凄いな、まだできるんだ。
それはデータに無かったよ」
「く…っ、何してくれやがんだ手塚!!」
「俺は負けん!!」
「……賑やかだな」
笑みを浮かべたままで、もう一度ベランダを閉めカーテンを引く。
そしてくるりと室内を向けば、約2名の姿は既に無かった。
「弦一郎、向日と千石は?」
その問いに、真田は黙って指先を下へと向ける。
なるほど音速だな、とひとつ柳が頷いてみせると、真田はゆっくりと立ち上がった。
「ご苦労だったな、蓮二」
「いや、このぐらい大した事じゃないよ……って、弦一郎?」
「コーヒーでも煎れてやろうかと思ってな」
「弦一郎特製かい?」
「当然だ」
ハッキリ言い切ると、真田は「借りるぞ」と言って棚からカップを取り出した。
ソファに腰掛けそれを待つ間、柳はテーブルの上に置いてあった、真田の使っていた
テキストを手に取った。
ぱらぱらと捲って、まだ答えの合わされていない部分を一通り見遣る。
煎れたての珈琲の香りが鼻孔を擽ってきたのは、割とすぐの事で。
「どうかしたか?」
2人分のコーヒーを手に真田が戻って来たので、柳はそれを閉じて脇に除けた。
「いや…弦一郎も案外ツメが甘いなと思って」
「ん?」
「97点だ」
「………恐れ入ったな」
柳の言葉に、思わず真田の口元から苦笑が漏れた。
最後に、305号室の玄関先で。
「ああ、でも弦一郎特製は100点だな」
「……なに?」
「美味かったよ」
そう言って、柳が小さく零れるような笑みを見せた。
すぐ下の部屋では、今も歓声と絶叫が聞こえてきている。
<終>
向日をちゃんと書こうよと思って書いた話が、
気が付けばオールキャラになってしまいましたとさ。(笑)
部活でも勉強でも遊びでも、コイツらは全力で戦ってるんだなーみたいな、
そんな雰囲気を受け取ってもらえたなら嬉しいかなぁ、と。
ちなみに、レースゲームは何でも良いです。
が、いっそマリオカートとかだったら可愛いかもしれないなぁ。
跡部はマリオ。
乾はルイージ。
忍足は誰でも使う。
千石はクッパ。
……ぐらいかなー。やっぱ。
どうでも良いけど、手塚はキノピオが好きそうです。(笑)
もしくはクリボー。(笑)
まぁとにかくキノコ系。(何でだ)