「乾…っ!!」
息を切らして走ってきた珍しい手塚の姿に、その場所で待っていた乾が
小さく笑みを浮かべた。
「お前、そんなに走ると滑って転ぶぞ?
 いやまぁ、俺としては手塚がすっ転ぶ姿も一度は見てみたいけどね」
肩を竦めておどけてる乾に、だが手塚はそれには答えず
手にしていた、つい先刻乾自身から受け取った封書を突きつけた

 

「乾、これはどういう事だ…!?」

 

これは雪の降った日の話。

 

 

 

<例えばただひとつの想いについて>

 

 

 

こんな寒いところで立ち話をする事もないだろうと、結局足はスタバへ向かった。
ホットコーヒーで身体を温めながら、テーブルを挟んで向かい合って。
「……どういうって言われても………ねぇ」
最初の手塚の問いに、乾はそう答えて困ったように苦笑を浮かべただけだった。
自分にとっては色々な葛藤を経ての話だが、手塚にとってなら結果論でしか無い筈だ。
報告すると約束したから、しただけに過ぎない。
改めて訊ねられても、どう説明すべきかで迷ってしまう。
「青学に行かないという話は聞いた。
 だが……これは考えてもいなかった。
 逆に言うなら、別に同じでなくても良かっただろう?
 どうして………俺と同じ所を選んだんだ?」
「おや、部長様はご不満ですか?」
「誰が部長だ」
「失礼、『元』部長様」
「茶化しているのか」
「いやいや」
苦笑してコーヒーを啜ると、乾が手塚が持っていた自分の合格通知を取り戻した。
ヒラヒラと泳がすようにしながら、視線をそのコピー用紙へと向ける。
手塚に説明する事に対しての抵抗は殆ど無い。
そもそも、最初からある程度なら彼にだけは説明していたからだ。
だが、これまでの経緯を説明する手段が見つからない。
あの胸の内での葛藤を説明する為の。
「………あのさ、」
「何だ」
「俺の膝は、もうダメらしいんだよね」
「……聞いたな」
「うん、言ったよね。
 それで、俺なりに前向きに考えたんだよ。
 テニスをプレイする以外で、何か俺に出来ること……いや、
 俺に『やりたい事』っていうのは存在するのかなってさ」
「……………。」
「考えた結果、それに辿り着いたわけだ」
「端折るな」
端的に説明したら、手塚にピシャリと撥ね付けられた。
うーんと暫く唸りを上げて悩んで、もう一度、言い直すように乾が言う。
「俺はね、」
「ああ」
「もう、テニスはできないから、」
「……ああ、」
考えながら話しているのか、乾の喋りはとても緩やかだ。
それに辛抱強く待っていると漸く答えが出たのか、乾がひとつ頷いた。

 

「俺は、お前を強くしてみたい」

 

酷く驚いたような目が自分を見ていて、少し居心地の悪そうに乾が視線を逸らす。
「テニス以外にやりたい事といえば、やっぱりあんまり思いつかなくて、
 ただ、皆のメニューを考えたり、野菜汁飲ませたりして鍛えていくのは楽しかったし、
 そうした事の結果を数値で実感できた時は、すごく嬉しかったんだよ。
 そしてそれは、テニスができなくなったこれからでもできる事だから」
スキルとして残るのならば、いっそ専門的な知識を身に付けていくのも良いと思う。
己にとって『やりたい事』といえば、やはりそういう事なのだ。
束縛されてしまっているのだろう、テニスというものに対して。
「……どうして俺なんだ。
 青学の皆と引き続いても、構わないんじゃないか?」
「いや、アイツらはもういいよ。
 充分強くなったと実感してるし、それに……言っただろう?
 俺は、お前を強くしたいんだ。
 だってお前、コレのせいで結局はあんまり居なかったじゃないか」
言うと乾は弄っていたマドラーの先で、手塚の左肩をとんと突付いてみせる。

 

「俺のノートもさ、お前のページだけはまだ未完成なんだ。
 だから、ちゃんとしたデータを取って、お前にとっての本当に最善なメニューを作って、
 お前を強くしたかったんだ。
 手塚の……強さにまだ先があるなら」

 

左腕と肩の故障もあって、結局中学テニスでは遠慮がちなメニューしかできなかった。
それが心残りだったと言ってしまえばそれまでの話だ。
だが、手塚も自分もこれから中学を卒業するといった年齢なのだから、
まだまだ能力に上限なんか無い筈だ。
「だから俺は、お前と同じところを選んだんだよ」
そう静かに告げて、乾はコピー用紙を元のように畳むと乱暴に開けられた封筒の中に戻す。
新しい学校で出会う新しい仲間の為にメニューを考える事も魅力の一つだ。
だが、それはどこの学校に行っても同じ事が言える。
ならばと選んだ理由に、避ける理由などどこにも無いだろう。
「まぁ、そういう事だから、これからも宜しく頼むよ手塚クン」
コーヒーを飲み干して笑う乾を前に、手塚はただ言葉も無く。

 

 

 

 

 

 

胸は不自然な程に高揚していた。
それは、乾が自分を理由に高校を選んだという、その事実の為に他ならない。
恐らくこれ以上無いぐらい、嬉しい……と感じているのだろう。
嬉しかったし、楽しみでもあった。
自分がまだ強くなれるということ。
そしてその傍らに乾が居てくれるということ。
だけどやはり、本当は何処か不安で。
テニスでしか引き止めておけない自分に、不安を感じていて。
「……乾」
「うん?」
「俺で、良いのか?」
何故か遠慮がちに言ってくる手塚に一度視線を向けて、そして乾は柔らかい笑みを見せた。

 

「手塚だから、良いんだよ」

 

その笑みにつられるように、手塚も口元を綻ばせた。

 

 

 

 

 

 

「そうそう、手塚」
店を出てお互いの帰路に着くため別れようとしていたその時、乾が何かを
思いついたように呼び止めた。
「何だ?」
「俺さ、ああは言ったけど、膝が完全にぶっ壊れるまでプレイしたいから、
 そこんとこヨロシク」
へらりと笑って言う乾に、手塚が眉間に皺を寄せた。
「乾……?」
「モチロン、さっき言った事も嘘じゃないさ。
 だけどやっぱりプレイヤーとして、後悔はしたくないからね」
そう言うと、乾は「じゃ、」と手を振って歩き出した。
なんだかんだ言っても、コートの中でラケットを握っている、あの時間が好きなのだ。
その気持ちは同じプレイヤーとして理解は出来るので、それには何も言わず手塚も
「ああ、またな」とだけ答えて、乾の向かう方向とは逆へと歩き出した。

 

そうして、彼らの3年間は始まっていく。

 

 

 

<終>

 

 

 

 

まだです。

まだラブじゃございません。お互いに。(笑)
こう、影響しあうような間柄ではあるような、そんな気はしてるんですけどねー。
これがラブになるタイミングっていうのがまた難しくて……。(汗)

手塚と乾にはもうひとつヤマ場があって、多分そこかなーっていう気がします。
そしてそのヤマ場に出す第3者を誰にするかで今から頭を悩ませている次第で。

 

なんていうか、こう、
ゆっくりと愛を育んでいくような、そんな熟年夫婦みたいな間柄がイイですねー。
ゆったりまったり、そんなイメージで。