中学での最後の授業が終わり、残すは卒業式のみとなった、ある日。
大きな鞄を手に、足早に駅へと向かう。
ついつい夜更かしをしてしまって、うっかり寝坊をしてしまった。
待ち合わせている相手には事前に携帯に連絡を入れておいたが、それでももう
随分長い時間を待たせてしまっているだろう。
急いで目的地までの切符を買ってキョロキョロと辺りを見回すと、改札近くに
相手は居た。
「悪い、手塚。遅くなった」
「いや、時間的には問題ない」
待ち合わせの時間は結構早めに設定していたから、多少の遅れは計算の内だ。
本当は待たせた事について謝ったるもりなのだが、それに関しては全く気にもしていないよう
だったので、それ以上は何も言わずに2人は改札を潜った。
今日は高校の入寮日だ。
名門と謳われるこの学校は全国各地から入学者が居るため、もちろん普通に
通学もできるが、大体の者は皆附属の寮へと入寮する。
この2人も例外ではなかった。
そもそも県外なので、通学しろという方が無理な話なのだが。
「しかし遅刻なんて珍しいな、お前が」
「うん……ちょっと、夜更かししちゃってね。
3時間ぐらいしか寝てないんだ」
ラッシュ時を避けた車内は人もまばらで、適当なところに腰掛ける。
「さ……!?
……お前、6時まで何をしていたんだ」
「うん、ちょっと今までの資料を纏めてたんだ。
皆に残していってあげようと思ってさ。
桃城と、海堂と、越前の分だけでも結構な量なのに、
他の部員の分もって考えて、やりだしたら止まらなくなってさ」
「……全員のか?」
「うん、そう」
へらりと笑みを浮かべると、乾は心底眠そうに欠伸を漏らす。
それを横目で見遣って、手塚は呆れたように吐息を零した。
「結局、終わらなくて諦めて寝たのが朝の6時」
「もう少し早く見切りをつけろ」
「これでも努力したんだけどね」
「どこがだ」
目的地の駅までは、随分遠い。
まだ1時間とちょっとは時間が有る。
「寝て行け」
「え……でも、」
「いいから、お前は少しでも寝ろ。
それと、これからはちゃんと睡眠は取れ」
「……それじゃ、お言葉に甘えようかな」
実はちょっと辛かったんだよね、そう小さく口元から零して。
ことり、と乾は手塚の肩に頭を預けた。
「ゴメン、ちょっと肩貸してくれな……」
言うが早いか、気づけば寝息が聞こえていた。
「………音速だな」
流れる景色に視線を向け、もう一度手塚は盛大なため息を落としたのだった。
「乾、起きろ」
肩を揺さぶられて、乾は重い瞼を持ち上げる。
電車はスピードを落として、駅へと滑り込もうとしていた。
「着いたのか」
「ああ、とにかく向こうで手続きを済ませて荷物を放り込むまでは起きておけ。
後は咎めはしない」
「うん……あ、でも少しスッキリした」
大きく腕を伸ばして伸びをする横で、手塚が右肩を回している。
仕事疲れのサラリーマンのような仕草で。
「……手塚?」
「肩が凝った」
ずっと、乾が頭を乗せたままだったからだ。
その動作を可笑しそうに眺めて、乾は荷物を持つと立ち上がる。
「駅出てすぐだったっけ?」
「駅から5分と書いてあった」
「ああいう案内の所要時間ってアテにならないもんだよ」
「そうなのか?」
言いながら駅員に切符を渡し、地図を見ながら寮を目指す。
正確には8分で寮に到着した。
名門だから、というわけではないのだろうが、やはり寮もそれなりに豪奢な風体で、
人数に比例しているのか、少し大きめのマンション、と称するのが一番解り易いだろう。
入寮案内の紙をしげしげと眺めながら、寮の前で乾が首を捻った。
「さて、ここからが問題だ」
「何がだ」
「この寮は2名1室が原則。
だが…この案内には、自分の入る部屋番号しか書かれていない」
「…そうだな」
同じように用紙を取り出し中を見た手塚が頷く。
ちなみに2人の部屋は別々だ。
乾が3階の5号室、手塚は2階の5号室。
「つまり、同室者が誰なのかは、行ってみてのお楽しみ、という事になるな。
ま、それはそれで面白い趣向だとは思うけどね」
「ああ、そういう事か」
見知らぬ者と同室になる、という事を今まで全く考えていなかったかのように、
手塚が乾の言葉に漸く納得したような声を漏らした。
門を潜り玄関に足を踏み入れると、そこには長机とパイプ椅子とで簡易的な受付が
出来上がっていた。
そこに座る人物に入寮案内を見せ名乗り、手続きに必要な書類を提出する。
書類を確認した相手から部屋の鍵を受け取ると、エレベーター横にある階段を
軽い足取りで上っていった。
「じゃ、とりあえずまた後で。
同室者、面白い奴なら紹介しろよ?」
「……どういう意味だ」
眉根を寄せて見てくる手塚に手を振って、乾はもうひとつ上の階へと向かった。
3階に上がり、5号室を目指す。
鍵を渡されたからてっきり必要なのだと思っていたのだが、その予想に反して
部屋の扉は既に開かれていた。
空気の入れ替えでもしているのだろうか、扉は全開で軽く勢いのある風が
吹き付けてくる。
こっそり中を窺うようにして、靴を脱ぐと乾はゆっくりと中に入った。
短い廊下の後に続くダイニングには、誰も居ない。
だがソファの上には何者かの鞄が置いてあり、既に相手が到着している事を意味していた。
どこに居るのだろうかと、ぐるりと見回す。
ダイニングの隣、もうひとつある部屋の扉が、風に煽られて揺れていた。
そこに、いるのか。
何故だか自分でも解らないが足音を忍ばせて近寄り、そっと中を覗き込む。
一人の人間が、そこに居た。
自分に背を向けるような形で、ベッドに腰掛けている。
コイツが同室者か。
口元に緩く笑みを乗せると、乾が開いたままのドアを小さくノックした。
「君がもう一人の住人かい?
君の同室者なんだけど、良い?」
音と声に反応して、相手が勢い良く振り返る。
その顔は、乾にとって誰よりも見知った顔。
「………れ、蓮二ッ!?」
「貞治…!?」
思わず開いた口はそのままで、同室者らしい柳蓮二を指差したままで、
乾はその場に立ち尽くす。
笑みを見せて、柳が立ち上がった。
「そうか、同室者は貞治だったのか……同じ部屋なんて凄い確率だな。
だが、気心知れてる相手な分、助かった」
「蓮二もこの高校を受けていたのか。知らなかった……。
まさか、お前もテニスの推薦か…?」
「いや、俺は自力で入った。
もう一人の方は、部活の推薦だったがな」
「…………。」
なんだか、酷く嫌な予感がして、それ以上訊ねるのは止めようと思ったが、
訊ねる以前に柳が自ら口を開いた。
「真田も此処だ」
「……うん、何となくそうかなぁ、なんて思ったんだけど」
手塚といい、真田といい、すぐ傍の幼馴染といい、データの取り甲斐のある奴が
揃いすぎている。流石名門。腐っても名門。
…そう思ってるのは、案外柳も同じなのかもしれないが。
「ところで」
「……何かな、教授」
「さっき、貞治は『お前も』と言ったな。
もしかしてお前は推薦なのか?」
「いや、違うよ」
「という事は、お前以外にまだ青学から来ているとみた。誰だ?」
「…………手塚だよ」
渋面を見せつつ乾がそう答えると、やはりな、という言葉が柳の口から漏れた。
「つい半年程前までは敵同士だったというのに……数奇だな」
「教授、」
「何だ、博士」
「真田氏は手塚と仲良くやってくれると思うか?」
「さて、どうだろう。
貞治式に確率で言うと……、そうだな」
勿論、真田とてその辺りの分別はついているだろう。無論、手塚もだ。
テニスを介してどうこうという問題ではなくて、もっと単純に性質としての問題で。
2人とも、余りにも硬質すぎる。
ちらり、と柳が乾に視線を送れば、乾がこくりと頷く。
答えは同じなのだろう。
呟きは、同時だった。
「「20%ってところ、だな」」
<〜後編に続く〜>