#48 忍足、スイッチが入る。
それは、ある岬を通り過ぎようとした時の事だった。 初めにそれに気付いたのは滝である。 「ん…?風……?」 正面からの向かい風に、不可解そうな表情を見せる。 もちろん遮るものの無い海の上で、突然風向きが変わるのは よくある事なのだが、今回はどこか様子が変だ。 船室に居るだろう忍足を呼びに行こうとしたその時に、それは起こった。 「うわあ…ッ!!」 立っていられないほどの強風、マストを畳む暇すらなく、船はぐんぐんと 押し戻されていく。 思わず舵にしがみ付いた滝の耳に。 「……歌……?」 風に乗って聞こえてくるのは女性特有のソプラノ。 微かにだが確かに、滝の耳はその歌声を捉えていた。 「なに、なにこれ、なにこれ…ッ!!」 ある意味心霊現象に近いこの場に居たくないのは山々だが、身動きが 取れないのが現状だ。 女性の悲しげな歌声は、胸になど響くはずも無くただ己の背筋を 寒くするだけだ。 「なんやこれ…!?」 様子がおかしい事に気付いた忍足が甲板に出てこようとして、 あまりの風の強さに眉を顰める。 どうやら押し戻されているらしいこの船は、元来た道を逆戻りさせられて、 幾分か戻ったところでようやく風は止んだ。 「な、何だよ何だよ、今の…!?」 忍足と共に千石も甲板に上がり、目指していた岬が随分遠くに いってしまった事に気付いてあーあと吐息を零す。 今回の目的は『ガイアの剣』で、それを得るためにはこの岬を越えた 向こうにある牢獄へ行かなければならないのだ。 「滝ちゃん、どないしたんや、コレ…」 「わ、分かんないけど……岬に差し掛かった途端に強い風と ………歌が、聞こえたんだ」 「歌?」 「うん、なんていうか……女の人が歌ってるみたいな」 「げー…やだなぁ、呪われてたりするんじゃないー?」 「こら千石!」 身震いして両腕を擦るようにして言う千石に、忍足の拳骨が見舞われる。 今のは痛いよと嘆きながら頭を擦る千石は放っておいて、忍足は再び 岬の方へと視線を移した。 「よっしゃ、ほんならもう一回!」 「えええええ!?」 思わず滝が大声を上げて、慌てて自分の口を掌で塞ぐ。 じ、と忍足が視線を向けていたが、まぁいいかとまた目を岬へと移し、 滝の代わりに舵を握る。 風を捉えて岬を突き進み……そして突風はまた前触れも無く襲ってきた。 「うわ…ッ!?」 「あ……歌、聞こえねぇ…?」 「ほんまや……」 耳を澄ましてそう言ってくる跡部に忍足が頷いている間に、またも岬の 入り口まで押し戻されてしまっていた。 「……ありゃあ……困ったねぇ」 「どうすんだよ、忍足」 「どうするって……渡らへんかったら行かれへんがな」 「……あ、ねぇねぇ!!」 強風と歌の原因が何であれ、その先にあるモノが手に入らないのは厄介だ。 腕組みをして唸っていると千石が声を上げた。 「岬のトコ、灯台があるよ」 「灯台?」 視線を向ければ、陸地の端に灯台が見える。 この近辺を照らし指し示すためのものだ。 「灯台があるってコトは、灯台守が居ると思うんだけど……、 何か知らないかなぁ?」 「ああ、なるほど……お前イイ事言うじゃねぇか」 「そりゃあ、たまにはねー」 感心したように頷く跡部に照れ笑いを浮かべてみせ、千石がどうする?と 首を傾げた。 この先に進む方法を知るためには、この風と歌が起こる原因を知らなければ ならないのだろう。 仕方無い、と吐息を零して忍足は進路を少しばかり西へと向けた。 とにかく何か、話を聞けると良いのだが。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ それは、ある恋人達の悲しい物語。 この地に暮らしていた仲睦まじいある恋人達がいた。 男の方は船乗りをしていて、女はいつもこの岬で恋人の帰りを 待っていたという。 だがある夜、この地方を巨大な嵐が襲った。 それはこの大地に根付くものすら押し流してしまうほどの大きな嵐で、 女は海に出ていた男を心配していた。 この嵐を無地に乗り切ってくれたのだろうか、と。 だが、男は終ぞこの地に戻って来ることは無かった。 人づてに船が嵐にやられて沈んでしまったという話を聞いたが、 女はそれを信じる事は無く、ただずっとこの場所で、大切な人が 戻って来るその時を待っているのだという。 死してもなお、この場所で。 これは、ある恋人達の悲しい、昔話。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 「…………ええ話や…!!」 灯台守の話を聞いて、うっかり感動してしまったのは言わずもがな忍足だ。 「まぁ…そういう反応だとは思ってたけどな…」 「へぇ、忍足くんってこういうネタに弱いんだ?」 額に手を当て吐息を零す跡部の隣で、千石はしきりに感心している。 「でも…このままじゃ埒が明かないよ……何か方法は無いんですか?」 「ホンマや!! こいつは何とかしたらんと、可哀想やん…!!」 「うーむ……ま、これも言い伝えなんだがな、」 困った表情で滝がその灯台守に訊ねると、思い出すかのように思案しながら その人は教えてくれた。 「男の乗っていた船もまた、今はもう無い故郷の村を探して、あちこちを 彷徨っていると言われている。 2人を引き合わせるものがあれば…あるいは、なぁ」 「ふぅ〜ん……船が、ね」 「………ということは、だ。 当然その船も…例え本当にあった話でも相当昔の話なんでしょ?」 「まぁ、ぶっちゃけ幽霊船だな」 千石の言葉にさらりと頷いて答える灯台守に、滝の表情が僅かに引き攣った。 隠すのが上手いので、それに気付いたのは事情を知っている跡部ぐらいの ものだったりするのだが。 だが、そんな滝には非常に申し訳はないのだが、なんとかしてこの岬を 渡らなければならないのは事実だ。 ぽん、と滝の肩に手を置いて、跡部が嫌味なぐらい綺麗な笑みを見せた。 「ま、そのセンで行くしかねぇだろ、なぁ?」 死刑宣告のようなその言葉に、滝は内心で少し泣きそうになっていたのだった。 <NEXT> |