#36 跡部、故郷へ戻る。
朝、慣れた寝心地のベッドで何度目かの寝返りを打った後、 自然と瞼が持ち上がった。 ぼんやりした頭で、そういえば自分の家に帰って来たのだと、 そんな事を考えて。 「…………遅いんじゃぁない?」 「ぎゃああああああ!!」 視界一杯に飛び込んできた妖怪変化に、跡部は勢い良く飛び起きた。 そして隣の部屋ではその絶叫を耳にした滝と忍足が慌ててベッドから 身を起こす。 「な、なんや!?」 「今の声、跡部?」 顔を見合わせて、何があったのか確かめに行こうと頷きあう。 ベッドから下りるのと、その部屋の扉が荒々しく開かれたのは同時だった。 「助けてくれーーー!!!」 「え、なに……し、宍戸!?」 「出たーーー!! 妖怪が出たーーーー!!!」 滝に縋り付いて喚く宍戸を尻目に、忍足が部屋を駆け出していく。 一緒に来なかった跡部が心配だ。 相手はあの妖怪変化、いかに跡部が成敗しようと躍起になっても、 どうあったって勝てない相手というのは絶対にいるのだ。 「あかんで跡部……早まりなや…!!」 ぎゅっと唇を強く噛み締めて、忍足は隣の部屋の扉を些か乱暴に開く。 中に踏み込もうとした足は、だがそこで床に縫い付けられでもしたかのように 止まってしまった。 「う…っ」 既に挑んで敗北してしまったのだろう、屍のように床にひれ伏す 跡部の背の上で、正座をしながらお茶を片手にゆらりゆらりと独特の動きを 刻んでいるのは、紛れも無い、あの御方。 「じーちゃん……朝っぱらから激しいんとちゃう……?」 乾いた笑いを零しながら、だが助けに向かう勇気は無く、忍足はがくりと 肩を落としたのだった。 悪夢の再来だ。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 朝から跡部の機嫌がすこぶる悪い。 それもその筈、目覚めの瞬間から見たくも無い顔を拝まされ、剣を手に 挑んだものの返り討ちにあい、挙句の果てにはシルバーシートだ。 跡部の中では1、2を争う汚点だろう。 相手はあのオジイなのだからとか、負けてもしょうがないとか、そんな風に 慰めても機嫌は直るどころか下降の一方である。 遅めの朝食を4人で食べた時も、久々にジローに会いに行った時も、眉間に 深い皺を寄せたままで跡部はロクに口を開こうともしなかった。 それを不思議に思ったジローが「跡部ってばどうしたの?」と尋ね、馬鹿正直に 事情を説明した宍戸に容赦無く跡部の蹴りが入っていたから、一応話などは ちゃんと耳に入っているのだろう。 途中で滝が「神父様にも挨拶してくるね」と言って離れ、宍戸も「じゃあ俺も たまには家に帰ってみるわ」と言って逃げるように去り、そんな跡部と2人 放置された忍足は、正直途方に暮れていた。 こんな鬼のような形相の跡部を放って行くなと、今ばかりは滝と宍戸を 恨んでしまう。 「あ……あんな、跡部、」 「……あァ?」 勇気を振り絞って声をかけてみたものの、低く殺気の篭った声音で 返事をされてしまい、逆にどうしたものかと躊躇してしまう。 余計な言葉は逆効果にならないか。 「あんな、朝な、助けてやれんで……ごめんな」 「…は?」 「いや、なんちゅうか……あのじーちゃんの姿見たら、足が竦んでしもて 何もでけへんかってん……情けないなぁ」 「………。」 「宍戸も俺らの部屋に逃げて来よるし、ほんま、ええトコ無しや」 「………お前、何か勘違いしてねぇか?」 「へ?」 立ち止まってそう言う跡部に、困ったような表情で忍足も足を止めた。 確かに辺り構わず不機嫌な空気を晒してしまったことは跡部の方の 落ち度ではあるし、それに関しては申し訳ない気もする。 けれどそれは、決して忍足が思っているような理由からではないのだ。 「旅に出る前から、ずっとそうだった。 あのクシジジイに挑んで、一本取れたためしがねぇ。 今朝だって、先手打って来たのは向こうからとはいえ、俺は一切の手抜き無く 本気でかかったってのに……あのザマだ」 「跡部……」 「旅に出て少しは腕も上がったかと思ったが、もしかして俺は何ひとつ 成長しちゃいねぇのかと思ったらよ……悔しかったんだ」 「そんなことあらへん」 ゆるりと首を横に振って、忍足の口元に笑みが乗った。 比べる対象があのオジイだから、そんな風に思えてしまうだけなのだ。 跡部がちゃんと強くなっているという事は、此処から一緒に旅を始めた自分が 良く分かっている。 跡部は強くなっているし、きっとまだ強くなれる。 少なくとも自分はそう信じているから。 そもそもどれだけレベルを上げても、あのオジイには一生敵わないだろう。 「……せやから妖怪変化なんとちゃうん?」 自分の思ったことを告げそう締め括り、忍足が照れたような笑みを見せると、 真っ直ぐに忍足を見つめていた跡部の蒼い目が緩く細められた。 もしかして、ご機嫌が直ったか。 「……俺の野望は、あの妖怪変化の息の根を止めて、この街に平穏を取り戻して やることだ」 「この街にやなくて、跡部自身になんとちゃうん?」 「そうとも言うな」 茶化すように忍足が言えば、素直に認めて跡部がくつくつと笑いを零した。 どうやら本当にご機嫌を直してもらえたらしい。 それにホッと息を零すと、忍足は滝と宍戸の居ない間に旅に必要なものを 補充しておくかと道具屋へ足を運んだ。 「いらっしゃーい!」 道具屋の扉を潜れば、比較的若い男の声。 それに視線を向ければ、カウンターの前で店番をしている男は自分達と 変わらないぐらいの歳の、オレンジ色の髪をした男だった。 頭の中で何が必要だったかを整理しながら忍足がカウンターへと向かえば、 彼が何かを発するよりも先に、店番の男のお気楽な声がした。 「あらら、俺好みの綺麗なお兄さんいらっしゃい!! 何が要り用かな? この薬草?それとも毒消し草?それとも……オ・レ?」 「な、なんや、アンタ……」 白々しく自分の手を握りながらそう言う男に、忍足が些か動揺した声を上げた。 とはいえそのおどけた態度に浮かぶ表情は営業スマイルなのだから、 特に警戒しなくてはいけないわけでは無さそうだが。 「ほらほら、遠慮なんかする事ないよー………って、うわッ!!」 いきなり目の前に剣の切っ先が突きつけられ、男は反射的に両手を上へ持ち上げた。 「それじゃあ遠慮なく、千石清純17歳を所望するぜ?」 「お……おかえり、跡部く〜ん…」 威圧的な視線のまま忍足の肩を掴んで守るように引き寄せそう言う跡部に、 千石と呼ばれた男は作り笑いを漏らしながらそう返すしか無いのだった。 <NEXT> |