#32 一行、魔王の居場所を知る。

 

それは、今はもうなくなってしまった、とある『村』の話。
なくなってしまった事すら知らない、可哀想な人々の、話。







「あ、明かりが見えるよ。村だ」
「うわー……もう真っ暗で全然見えへんわ。
 滝ちゃん、きっちりナビ宜しくな?」
「オッケー!任せといてよ!!」
「おい跡部邪魔だっつーの。
 お前まだ船に慣れねぇのかよ?」
「うるせぇ宍戸……俺はテメェと違ってデリケートにできてんだよ…」
「役立たずだなー」
「てめぇ……あとで覚えてろよ…?」
とりあえず跡部に船に慣れて貰おうと、手始めに近場の街や村へと
航海する事に決め、向かったのはポルトガから南に向かったところに
ある村、テドン。
だが思っていたよりも中途半端な場所に村はあったようで、辿り着いた時には
すっかり日も落ち辺りは暗闇な状態。
こんな場所で停泊するよりもいっそ村まで行ってしまった方が良いという
忍足の意見を採用して、今この状態だ。
相変わらず船に酔っている跡部は全く使い物にならず、残った三人で慌しく
バタバタと船内を駆けずり回っていた。
出航時と入港時はどうあっても忙しいのだ。
そんな時に全く動けない跡部はハッキリ言って邪魔以外の何者でもない。
「あ、いいかんじ、そのまま真っ直ぐね、忍足」
「了解やで〜。
 宍戸、ボチボチ錨下ろす準備しといてや」
「おーよ」
すっかり甲板でノびてしまっている跡部を尻目に、入港は着々と進んでいく。
船はゆっくりと速度を落とし、桟橋の側でピタリと止まった。
「はい到着、皆下りてや」
「だとよ跡部、いい加減に起きろよ」
「あはは、だらしないなぁ」
「うっせぇよ……」
「跡部、情けないなぁ」
「う…」
忍足にまで言われてはちょっと傷つく。
渋々といった風に身体を起こすと、気合いを入れるかのように跡部は
その両頬を己の手でパンと叩いた。
「………行くか」
海の上でさえなけりゃあ、どうってことねぇんだよ。
そうブツブツ言いつつもやや足元の覚束無い風な後姿を眺めて、忍足がくすりと
笑みを浮かべたのだった。














夜だというのに、村の中はそれなりの活気があった。
酒場は当然の事ながら、まだ他の店にも明かりが灯っている。
「へぇ、小さいのに賑やかなんやねぇ」
「本当だね。とりあえず宿取って来ようか」
「ほな俺はぐるっと一回りしてついでに道具屋寄ってくるわ。
 気分悪そうなお兄さんに酔い止めの薬買うてきてあげな」
「ちょっと待て、それは俺の事か」
「それ以外に誰がおるん」
跡部の苦虫を噛み潰したような表情と共に吐き出された言葉に、忍足が
至極当然といった風にこくりと頷いた。
「何やったら一緒に行く?
 動けへんのやったら滝ちゃんと一緒に行って、
 ベッドで寝ててくれてもええねんで?」
「……上等じゃねぇか」
忍足の挑発を受けて跡部が唇の端を緩く持ち上げた。
そこまで言われたら一緒に行くしか無いだろう。
引くに引けない跡部に可笑しそうな笑いを零しながら、滝は宿の方へと
向かって歩き出した。
「じゃあ宍戸、一緒に行こっか。
 あっちについてったら、多分色々とばっちりを食うよ?」
「お、おう、そうする」
滝に手招きされて、宍戸が慌てて追いかけた。
確かにとばっちりは御免である。
「あ、跡部、忍足!
 情報収集も任せたよ!」
2人並んで通りの向こうへと歩いていく背中に、滝がそう声を投げたのだった。







◆ ◇ ◆ ◇ ◆







道具屋へ向かいまずは跡部の為に酔い止めを手に入れてやって、早々にそれを
飲ませれば、徐々に顔色は良くなってきたようだった。
本人にも訊ねれば気分もマシになってきたらしいから、じきに良くなるだろう。
そして情報を手に入れるならやはり酒場だろうと、2人は煌々と明かりの零れている
活気ある場所へと向かった。
何か真新しい情報が手に入れば良いのだが。





「ネクロゴンド……?」
聞いたことの無い地名に忍足が首を傾げる。
跡部が酒場の店員から地図を借りてきて、それをバサリと机に広げた。
まずは今自分達の居るテドンを探す。
そしてそこから北へと視線を動かせば。
「此処か……」
跡部が指差した場所は、高い山脈に囲まれた場所。
見た限りでは、船では行けそうになく、歩きもほぼ不可能に近いだろう。
少なくとも今の状態で、この山脈を越えるのは無理だ。
「まぁ…普通の場所には居ないだろうと思ってはいたがよ……。
 まさかこんな場所とはな…」
重い吐息を零して、跡部が肩を竦めた。
その普通でない場所に、魔王が居るというのだ。
「此処から…めっちゃ近いのになぁ……」
「手も足も出ねぇな、コレじゃ」
いっそ空でも飛べれば山脈を越える事もできるかもしれないが、そんな方法は
今だかつて聞いた事も無い。
「こんなに近くに居んのに、何もでけへんのは……辛いなぁ」
脱力した風に椅子に腰を下ろすと、忍足はそのまま机に突っ伏した。
もう少しで手が届きそうなのに。
地図を元通り畳んで店員に返すと、すっかりしょげ返ってしまった忍足の肩を
跡部が慰めるように叩いた。
「焦んなよ、忍足」
「跡部…?」
「居場所が分かっただけでも御の字だ。
 今回はそれでヨシとしようぜ」
「せやけど…」
「俺達は、今俺達に出来る事をやっていけばいいんだ」
「そう……やねんけど、」
手が出せないのがもどかしいのか、煮え切らない口調で忍足が身体を起こした。
跡部には知る事の出来ないであろう相手に対する憎しみが、どこかまだ忍足の中で
燻っているのだ。
もちろん以前聞いた出来事のせいだという事も分かるし、だからそれがどれだけ
小さくなろうとも決して消える事は無いのだという事も、頭では理解している
つもりだ。
自分は自分で魔王を倒して『勇者になる』という目標があるが、そんな忍足に
手を貸してやりたいと思ったのも事実。
だからこそ、確実に追い詰めて仕留めたい。



「大丈夫だ。必ず、辿り着ける」



忍足の顔を覗き込むようにして自信を篭めてそう言えば、やや間を置いて漸く彼が
こくりと頷いた。
「……せやね、必ず」
「とにかく、ここから俺達がどうするかってコトだよな」
「あー……此処に宍戸でも居ったら、飛ぶ方法探した方が良くねぇ?とか
 言い出すんやろなぁ」
「言えてるぜ。滝も歩いての山越えは絶対反対しそうだしな。
 つーか………そこを狙うべきか、やっぱり」
「ああ、俺もそう思たわ。
 とりあえず宿に戻ってアイツらに話してみた方がええな」
「そうだな」
こくりと頷いて2人は席を立った。
ドリンクの代金だけテーブルの上に残して。
夜道の大通りを宿のある方向へと歩きながら、ふと思いついたように忍足が
口を開いた。
「せやけど……不思議やねぇ」
「何がだよ?」
「なんでこの村……こんなに魔王の居る場所から近いのに何事もなく
 済んでんのかなぁ、って」
「それってどういう…」
「やって俺んとこなんかそのせいで………っと」
口が過ぎたのか、そこまで言って忍足が口を噤んだ。
訝しげに向けられている視線を、何事も無かったかのようにさらりと躱す。
「忍足、お前……」
「すまん、今の話は聞かんかった事にしといて」
「待てよンな勝手な話が…!」
「頼むわ。今は………あんまり思い出したくないねん」
そう言われてしまえば、跡部にこれ以上追求はできない。
拝むように手を合わせてそう懇願すれば、諦めたように跡部が視線を外した。
通りの向こうに宿屋の明かりが見えてきて、待ちくたびれたのか宍戸と滝が
入り口の前で佇んでいる。
それを見ると忍足が手を振って合図をしながら駆け出した。
「忍足!」
呼び止められて、忍足が足を止める。
くるりと振り返って、その真っ直ぐな眼差しに一瞬、息を呑んだ。
通りのそこかしこから溢れてくる柔らかい光を受けて、跡部が毅然とした姿で、
そこに在って。
「なん……跡部?」
そのまま捕われてしまいそうで、何とか絞り出した言葉はやや掠れていた。
「お前、多分、本当は全部ちゃんと分かっているんだろう?」
「…………。」
「それを訊くなって言うのなら、今は俺は何も訊かねぇ……だが、」
蒼い双眸が鋭い光を放ってゆるりと細められる。
ただそれを、何かのシーンを見ているかのように感じ取って。





「いつか、必ず全部話せ。……絶対だ」





分かっていた、卑怯な事をしていると。
自分の痛い部分だけをつまみ出すように見せて、真実は奥深くに隠して、
手に入れたのは同情だ。
そんなものは欲しくないと思っていたけれど、必要だったからそうしたし、
目的の為なら誰でも何でも犠牲にしてみせるぐらいの覚悟はあった。
けれど、そんな自分に勘付きながらもそれでも構わないと言ってくるこの男の
覚悟はどれほどのものだろう。
もしかしたら裏切られるかもしれないという可能性を今、跡部は確かに感じた
筈なのだ。
利用しようとしているのは自分。
それを知りながら利用されようとしているのは、跡部。
覚悟なら、きっと跡部の方がずっと強くて、重い。
「あ……跡部……俺な、」
「ああ」
「いつか……その時が来たら、ちゃんと、全部話すから……」
「ああ」
どこまで卑怯なのだ、自分は。
惨めで、あさましい。





「…………………ごめん。」





「バーカ」
俯いてぽつりと零された言葉に、跡部が小さな笑みを浮かべた。
「待ってるから、その気になったらで良い」
「………うん」
「おら、泣いてんな」
「…そんなつもりは……」
「じゃあコレは何だ?」
「う…ッ」
跡部が服の袖で乱暴に目元を拭ってやると、忍足が小さく呻きを上げた。
利用しようがされようが、そんな事はどうでも良い。
自分は彼を信用しているし、彼も自分の事を信じてくれているのならそれで良い。
そこに微かでも繋がりを感じていられるから、それで良い。
「さ、行こうぜ」
「ああ……なぁ、跡部」
「あん?」
「……ありがとう、な」
心からの感謝を述べて、忍足はそう柔らかく微笑んだのだった。







◆ ◇ ◆ ◇ ◆







この先のルートを遅い夕食を取りながら打ち合わせた。
このまま陸沿いに船を進めていけばバハラタの地に繋がり、そしてそこから
南に下るとランシールという街がある。
とりあえずはそこへ向かおうという話になって、その日は休む事になった。



そして、その翌日のことだ。



最初に不思議な感覚がして目を覚ましたのは宍戸だった。
小鳥の囀りひとつしない朝を迎えたのは、この時が初めてだ。
それが不思議で仕方なくて、隣のベッドで寝ている滝を起こさないように、
そっと部屋を出た。
廊下に出ても、階下に下りてもしんと静まり返った室内に違和感を覚えて、
彼は急ぎ足で外へと出る。
そこで彼はありえない光景を見た。
荒れ果てた大通り、人の気配などひとつもない。
そして雑草なども無造作に伸び始めていた。
街並みは昨日と同じだが、その建物はまるで何か戦争でもあったかのように
ボロボロに壊れて朽ち始めてきている。
もちろんその屋根から伸びる煙突からは、朝の炊事での煙などひとつも
上がっていない。
この静寂は何だろうか。
「……何があったんだ……?」
振り返って宿を見れば、この場所も所々が崩れ落ち非常に痛ましい外観だった。
昨日は、こんな風では無かった筈。
嫌な予感を感じ取って、宍戸は宿屋の中に駆け込むと仲間達を起こして回った。
最初はまだ疲れの取れていない身体を起こすのに時間をとっていた仲間達だったが、
着替えて外に出てみて、眠気など一度に飛んでしまったようだ。
人の気配の無いこの場所は、どう考えても異常だ。
「どうなってんだ…?」
「昨日……確かに人、たくさんいたよ、ね…?」
広場の真ん中にあるのは枯れた井戸。
息づくものは何も無い。
コツン、とつま先に何か当たったのを感じて忍足が視線を向けると、そこにあったのは
この場所で息絶えたのであろう人間の、残骸だった。
もはや骨しか残っていないそれを、地に膝をついて持ち上げる。
胸の内には確信があった。
「やっぱり……」
「忍足…?」
「やっぱり、そうなんや。
 こんなに近くで、無事でなんかいられる筈が無いねん」
頭蓋骨と向き合うように視線を合わせる。
やはり此処も同じだった。
きっと、同じ目に合ったのだ。
「どういうことなんだよ…忍足、」
わけがわからないと眉を顰めて訊ねてくる宍戸に、忍足がゆるりと首を左右に振る。
「この村は、とっくの昔に滅んでるんよ。
 多分……総攻撃に合うたんやろな。
 建物とか見てもムチャクチャやもんなぁ……。
 けど……きっと、」
彼らは闇の中で生き続けている。
死んだ事すら気付いていない彼らは、闇の中でだけ普段どおりの活気を取り戻す。
朝になれば全て幻と消えてしまうだけなのに。
「可哀想になぁ……こんな村や、戦えるような人間居らんかったんやろなぁ。
 きっと一瞬やって……終わりを知る事すらでけへんかったんやろなぁ……」
ほろりと忍足の頬を涙が伝った。
もしかして、知ることは叶わないけれど、もしかしたら自分の居た街だって
同じ目に合っているかもしれない。
少なくとも、自分の家族が死んだのは知っている。
けれどあの戦いの結末までは知らない。
生き延びただろうか。仲間は、友は。
心配で心配で堪らないのに、確かめる事すらできない自分がもどかしい。
早く、帰りたいのに。
「酷いわ……俺らが………この人らが何したって言うん……?」
「………忍足、」
黙って立ち尽くしている宍戸と滝を余所に、跡部は彼に近付くとその肩に
そっと手をかけた。
「行くぜ忍足、ランシールだ」
「……あとべ…?」
「絶対に追い詰めて、この手で仕留める。
 そうだろう?」
「………。」
「根源を潰して、それからお前の故郷の場所を探して回ろうぜ。なァ?」
「…………うん」
手にあった誰かも分からない亡骸をそっとその場に戻すと、忍足は立ち上がった。
とにかく今は、前に進むしか無いのだ。
跡部に促されるように背を押されて、忍足はゆっくりと一歩を踏み出した。













また夜になれば、彼らは現われるのだろうか。
もはや尽きることの無い生命を、朝が来れば儚く消えてしまうその世界を、
すぐそこにある魔に怯えながら暮らしていくのだろうか。





できることならば、彼らには安らかな眠りを。





立ち去り際に、そう祈りを篭めて滝が十字をきった。








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