#30 忍足、悟りを開く。
「もう勘弁してくれ…」 ほとほと嫌になったのか、それの目の前で宍戸が嘆きの声を上げた。 ある意味それは仕方が無いと言える。 目の前にあるのは先の無い床、そして向こう岸を繋げているのは一本のロープ。 「あっはっは、綱渡りしろやって、宍戸がんばりやー」 「忍足!!てめーさっさと一人で渡りやがって!!」 「やってお前が先に誰も居らへんと怖い言うたんやろが。 早よ渡らんと、後ろにこわ〜いお兄さんがたが待っとんで?」 宍戸の目の前で手本を見せるかのようにヒョイヒョイと軽い足取りで渡りきった 忍足は、くすくすと笑いながら早く渡れと手招きをする。 向こう岸と繋げるには余りにも頼りなさげなロープと、覗き見るだけで 足が竦む空虚な穴。 実際は、塔なのだから見えているのは下の階なのだが。 「やややややっぱダメだって俺ありえねぇって」 「うるせぇさっさと行け!!」 「ぉわッ!!」 嘆く宍戸の後ろで苛ついたように跡部が言うと、その背を思い切り蹴り飛ばす。 危うくまっ逆さまに落ちそうになったが、それは宍戸がなんとか根性で持ち応えた。 「あっ、あぶっ、危ねーだろ!!バカ!!アホベ!!」 「アーン!?てめぇ突き落とされてぇか!!」 「だから俺は置いて行けつったろーがよ!!」 「それじゃてめぇの修行にならねーんだよ!!」 ぎゃあぎゃあと言い争いを始める二人を呆れたように眺め、これは先が長そうだと 忍足がその場にしゃがみ込んだ。 「あーあー……そない無理矢理引っ張り回しても逆効果って気ぃすんねんけどな…」 誰が何と言ったって、例え天地がひっくり返ろうとも、どうしてもこれだけは 変わりようがないという部分は誰しも持っているだろう。 そこを無理強いしてどうするのだと思いはするけれど、そこは宍戸と主に跡部の 問題であるからして、自分には見守っている他はない。 まだ行けだの行けねぇだの言い争っている宍戸と跡部を眺めて、忍足はまた重苦しい 吐息を零したのだった。 いっそ突き落としてみれば、本当にダメになるかうっかり克服したりするか どちらかするんじゃないだろうか? そんな風に考えていると、それまでずっと眺めているだけだった滝が漸く 行動を取った。 「宍戸、ちょっと」 「あ?なんだよ…」 宍戸の腕を掴むと、滝がにっこりと花が綻ぶような笑みを見せる。 そして宍戸の腕を取ったまま、問答無用でロープに足を乗せたのだ。 「な、おい、ちょっと滝ッ!?」 「はいはい黙って、大丈夫だって俺がついてる」 「ついてたらイイってもんじゃねーんだよッ!!」 腕を強く掴まれたままの宍戸がそう声を上げるのだが、残念ながらもう滝に 聞く耳は無いようだった。 一歩、二歩とバランスを確認して保ちながらロープを進んでいく。 「下向いたら怖いよ?」 「そ、そんなこと、言われても…ッ」 平然とした口調で滝が言ったが、言われたら言われたで逆に目はそっちへと いってしまう。 視界の端に、随分遠く見える床が映って、思わずくらりときてしまった。 「うわ、ちょ、高…」 「あ、危ない!!」 ぐらり宍戸の身体が傾いだのを見て、忍足の声が上がる。 だが。 「はい落ちまーす」 「え、落ち…って、ぎゃあああああ!!!!!」 今度は滝が宍戸の腕を掴んだままで、そう宣言すると問答無用でロープから 飛び降りた。 これには流石の跡部も目を瞠るしかなくて。 「おい、滝!!宍戸!!」 「ちょ…何やっとんねん!!」 思わず階下を覗き込むように跡部と忍足がその姿を捜す。 上手く着地したらしい滝は、すっかり目を回している宍戸はそのままに上を 振り仰ぐと、にこりと笑みを浮かべてひらひらと手を振って見せた。 「ったく……驚かせやがって」 「ほんま、たまらんわ……」 ホッと安堵の息を零すと、跡部と忍足が視線を交わして苦笑を漏らすのだった。 「ま、まじでしぬかとおもったんですがたきさん……」 すっかり怯えまくった様子でそう訴えてくる宍戸に、滝が視線を向けると 同じようにしゃがみ込んだ。 「バカだなぁ、落ちるって言ったじゃないか」 「い、言ったけどもよ、お前…」 「だからさ、怖いと思ったらダメなんだって。 底なしの穴ってわけじゃないし、下の床見えてんだからさ、落ちそうって 思ったら、素直に落ちちゃえばいいんだよ」 「って…んなコト言われても……」 「まぁ理屈じゃないから言っても無駄だってわかってるけどさ」 「お前……結構ひでーな…」 乾いた笑いを見せつつ宍戸が言うのに、今更じゃないかと立てた膝に頬杖をついて、 滝が頭上に見えるロープを指で示した。 「とはいえ、あそこからココまでって、この程度の高さだよ。 落ちてみてわかったでしょ?」 「そ、そりゃあ…まぁ」 「失敗して落ちちゃっても死なないし、大丈夫だよ。 次はいっそ死んだ気になってチャレンジしてみようか」 「………スパルタ……」 「何か言ったかい?」 「いえ何も!!」 笑みを見せながら言ったがそこに隠された殺気を敏感に感じ取って、宍戸は慌てて 首を横に振った。 そして頭上を仰ぐ。 下から見上げる分にはどうという事は無い。 大した高さだとも思わない。 なのに、いざ上から下を見た時のこの違いは一体何だ? 「……次は、なるべく頑張ってみるわ、俺」 「そう、頑張ってよ、宍戸」 宍戸の言葉にそう相槌を打つと、滝は改めてこのフロアをぐるりと見回した。 四方を壁で囲まれているという事は、この場所は同じ階の何処とも繋がって いないという事だ。 だが。 「………階段だ」 フロアの隅に下へと下る階段が目に入って、滝は立ち上がった。 なんとなく、お宝の匂い。 「宍戸、ここで待ってて」 「え、あ、おい滝!!」 思わず上がる宍戸の声をそのままに、滝は階段から下のフロアへと降りていった。 そこは大した広さではなく、ちょっとした隠し部屋のような雰囲気がある。 その隅に、宝箱。 「わー…何か見つけちゃったよ。 いただき、だよね」 くすりと笑みを見せて、滝が針金一本で南京錠を開けてみせると、その蓋を 躊躇い無く開け放った。 中に入っていたのは、一冊の古びた本。 箱から出して、軽く砂埃を払って、パラパラと何気なく捲ってみる。 見たことのない文字の羅列に眉を顰めて滝が呟いた。 「………何語?」 何となく雰囲気でわかるのは、それが古い文字なのだろうという事。 読めるわけがない。 「ハズレかなぁ…あ、でも、骨董品屋に持っていったら高く売れたりして」 転んでもタダでは起きない男、それが滝萩之介だ。 とりあえず貰って行こうとその本を片手に上へと戻ると、いつの間にやら 跡部と忍足も降りてきていた。 「あれ、跡部も忍足も、降りてきちゃったんだ?」 「やっていつまで経っても戻って来ぉへんねんもん」 「全くだ、あんまり待たせるんじゃねぇよ」 「あはは、ごめんごめん。 あ、そうだ跡部、こんなの見つけたんだけど」 言いながら滝は手にしていた本を跡部へと差し出す。 手にとって中身を眺めて、跡部の眉間に皺が寄った。 「………読めねぇ」 「やっぱりね」 「何だよコレ」 「読めないから分からないよ。 価値があるといいなぁと思って持ってきてみたんだけど」 「俺にも見して?」 興味を持ったか、忍足が跡部の肩口から本を覗き込む。 その首がこくりと傾いで。 「読めへんの?」 「あ?」 「ちょお、貸して」 訝しげに向けられた跡部の視線をそのまま流して、忍足は跡部の手から本を 奪い取ると、まずは皮の表紙をしげしげと眺めた。 「『魔法の基本理念と呪文の構成論』………なんじゃそら」 はははと小馬鹿にするかのように笑いながら忍足がタイトルを読み上げると、 改めてその本の中身に目を通す。 最初は流し読みをするかのようだったその視線が、徐々に真剣なものへと変わり、 最終的にそれは驚愕へと変化した。 「なんやこれ………こんな本が、なんでこんなトコロに……」 「おい忍足、何が書いてあるんだよ」 「タイトル通りや……呪文構成の理論が全部記されてて……けど、これ、」 「何でそれがそんな驚く事あるんだ?」 首を傾げて訊ねる宍戸に、忍足がゆるりと首を横に振った。 「こいつ……回復魔法まで理論に沿って解明されとる。 つまり、滝ちゃんの『奇跡』が、『理屈』で片付いてしもうとるってことや」 「何だと…!?」 「え、え、どういう事だよ」 忍足の説明を理解できたのはどうやら跡部だけのようで、宍戸はやはり よく分からないとしきりに首を捻っている。 「簡単に言うとやな…今まではな、魔法で治療や回復はでけへんかってん。 いや…でけへんってわけはないんやけど、めちゃめちゃ難しかってん」 「え、でも滝が使ってるじゃんよ」 「滝ちゃんのは魔法であって魔法でない。 やって宍戸、滝ちゃんがホイミ使うのに呪文唱えてるとこ見た事あるか? 僧侶は神に近しい者として、祈ることで様々な『奇跡』を起こせる。 滝ちゃんのする回復は、分かりやすく言えば神様にお願いして何とかして もろてるっちゅう事なんや。 それは分かるな?」 「お…おう、何とか」 「そんで、なんで魔法使いが回復魔法を使えへんかと言うとやな、呪文の 組み立てが上手いこといかへんから。それだけやねん。 俺らは言葉に力を乗せて、魔法を使う。 例えば砂漠ん時みたいに氷を使うにも、空気を凝縮させて温度を急激に下げて、 てな具合にひとつひとつ呪文で指示しなあかんねん。それが魔法なんや。 その中でも回復魔法は…俺ら魔法使いにとっては『神の領域』って呼ばれとって、 自力で開発するのは、よっぽどの天才やないと不可能やと思われとる世界やった。 特に生命に関わるような魔法は、呪文にどこか必ず矛盾が出てきよる。 その矛盾を解消してやらんと、魔法としては使い物にならへんねん。おわかり?」 「………なんとなく」 うーん、と唸りながら聞いていた宍戸が、忍足の言葉に曖昧な頷きを返した。 わかるような、わからないような。 けれども何となくだが、要するに忍足の言う『矛盾』を解消してくれるような事が、 その本には書いてあるという事なのだろうということは、感じられた。 「これがあれば……なれるかもしれへん」 パタンと本を閉じた忍足が、ぽつりと誰にともなく呟いてみせる。 なれるかもしれないのだ、跡部が求める『魔法のエキスパート』に。 「賢者に……なれるかもしれへん」 「じゃあ忍足に、その本あげるよ」 「えッ!?」 驚いた表情で忍足は顔を上げると、にこにこと笑みを見せた滝と視線があった。 「滝ちゃん…」 「こんな風に楽しそうな忍足見るのも珍しいからさ、その本あげるよ」 「……ええの?」 「うん、だからさ、賢者になってみなよ」 「ああ……そうやな」 滝の後押しに素直に頷いて、忍足は大事そうにその本を抱えた。 これがあればもっと、もっと彼らの力になれるだろう。 頑張るわ、と強く言った忍足の肩をぽんと叩いて、跡部が満足そうに目を細めた。 「じゃ、とりあえずは宍戸の修行の再開だな」 「せやねぇ、せめて綱渡りはできるようになってもらわんと」 「ちょ、ちょっと待てーーー!!!」 この展開でよもやまさかまた自分にお鉢が回ってくるとは思ってもみず、宍戸が 思わず大声を上げる。 「お前ら、普通それなら善は急げとかって塔を出るもんだろうが!!」 「それはそれ、これはこれだ」 「そうそう」 「往生しぃや、宍戸」 「くっそー……」 訴えを簡単に退けられ、宍戸が心の底から嫌そうに顔を顰めたのだった。 <NEXT> |