#28 一行、船を手に入れる。

 

バハラタに戻って助けた店の人間を訪ねると、相手も覚えてくれていたようで、
跡部たちに向かって何度も頭を下げ出した。
それを止めさせて黒胡椒について訊けば、その人は店の奥から
一袋の包みを出してきた。
中を見れば黒い小さな粒がいくつも入っている。
曰く、これが黒胡椒らしい。
お代はいらないという事で、それを聞いた4人が顔を見合わせにんまりと
笑ったのは言うまでも無い。
ここまでは予定通り。





そして一行はルーラでまたポルトガまで戻って来た。
今度はこの貰った黒胡椒をポルトガ王に届けるのである。
一行の無事の帰還に王は笑顔で出迎え、そして渡した黒胡椒を
興味深げに眺めていた。
料理に入れるスパイスとして使われているようだと、貰う時に店の人に
言われた事をそのまま伝えれば、何度も深く頷いて傍に控えていた兵士に
料理長に届けるようにと言ってそれを手渡していた。
「ああ……それで、褒美の件だが」
どうやら忘れていなかったらしいその件に触れた王は、また窓際まで行き
港に目を向ける。
そして、大臣を呼ぶと4人を港に案内するようにと告げた。
ここまでは予定通り。










「間近で見ると……やっぱでけぇな…」
「これ…ほんまに貰てもええん?」
「ええ、構いませんとも」
口を開けて船を見上げる宍戸の隣で忍足が共に連れ立ってきた大臣にそう問えば、
彼はにこにこと笑みを見せながら何度も頷いた。
「すごいね……これで、海に出るんだ」
「漸く念願叶ったり…じゃねぇの?」
「ところで…ひとつ質問があるのですが」
「アーン?」
髭を弄りながら言う大臣に跡部が視線を向ける。
こくりと彼は首を傾げて。
「操舵の経験がある方は?」
「………そういえば」
眉を顰めて跡部が唸る。
よく考えたらそもそも船というものに乗った事の無い自分達は、
操舵の経験はおろか知識すら無い。
恐らく宍戸もそうだろうし、滝もだろう。
そうなると頼みの綱は忍足だけなのだが。
「忍足、お前やった事あるのか?」
「………無いことも無いけど」
「マジかよ」
「俺の故郷も海の近くでな、訓練の中のひとつに船もあってん」
「ま、そいつは好都合だ。
 宜しく頼むぜ?」
笑みを見せて忍足の肩をポンと叩くけば、呆れたような視線と重苦しい吐息が
セットで戻ってくる。
何事かと眉を顰めてみれば。
「あんなぁ、船っちゅうモンは一人では動かせへんねん。
 操舵だけやったら船は動かへんのやで、勇者さま?
 ちゃあんと1から仕込んだるから……せいぜいキバりや」
「…マジかよ」
とはいえやはり初めてのものというのは心踊るもので、早速乗ってみようという
話になり、4人は我先にと船上へ駆け込んで行く。
船の上から望む大海原に、知らず全員の目が子供のように輝いていた。
「ちょっとぐらい、沖に出てみても良いと思わね?」
「う〜ん……まぁ、すぐに引き返して来るんやったらええやろか。
 ちょっと遊覧船の気分でな」
「やりぃ!」
宍戸の言葉に忍足も笑って頷く。
初めての経験ならこの反応も仕方の無い事だろう。
特にこの3人は怖いもの知らずといった風があるから、海に出る事への
不安だとかそんなものとは縁が無い。
ただこの水平線の先には何があるのだろうかとか、そういう事ぐらいしか
頭に無いのだろうと思う。
だがしかしそれでも構わないだろう。
あとの小難しいことは全部自分が考えてやれば良い。
「ほな、そこに錨上げるヤツあるやん、それ回してくれへん?」
「おう!!」
指差して言えば、宍戸が元気良く駆けていきハンドルの持ち手を握る。
力強く回した途端、ぐらりと船体が大きく揺れた。
ゆっくりと沖に向かって進み出すのを甲板で眺めていた跡部と滝が、
思わず感嘆の声を上げた。
「すげぇ…本当に動いてるぜ」
「やるねー…」
そこに錨を巻き終えた宍戸も混ざって、ああだこうだと話が盛り上がって
いるのを忍足が遠巻きに眺めて僅かに目を細めた。
時折吹き付ける潮風を心地よさげに受け止めて。
さて、まずは誰が脱落するのだろうかと、胸の内ではそんな風に
考えていたのだった。







◇ ◆ ◇ ◆ ◇







「これは意外やったかもしらんな……」
「ああ、俺も意外だった」
「俺もちょっと想像してなかったなぁ……」
戸惑いを隠せない表情のままで見下ろす先に蹲っているのは、あろう事か
彼らのリーダー跡部景吾その人である。
よもやまさか真っ先に脱落するのが跡部だったとは、さすがに忍足も
思わなかった。
「ちょお、大丈夫なんか?」
「……るせぇ……」
ぐったりとした状態で手摺に凭れかかるようにその背を預ける。
頭の芯がぐらつくような、内臓を引っ掻き回されたような、そんな感覚。
有体に言えば、船酔いというやつだ。
「お前…船弱かったんだな、ダセェ」
「うるせぇつってんだろ……」
青い顔のままで悪態を吐くと、跡部はそのまま甲板に仰向けに転がった。
何をどうしても気分の悪さが晴れない。
吐き気を催すところまではいかないが、それにしたって胸のムカツキが酷い。
「俺、船酔いってした事あらへんねんけど…何がアカンのやろな。
 やっぱこの波の揺れなん?」
「それはあるかもしれないな。
 ホイミで治るならかけてあげても良いけど」
「……余計気分悪くなったりしてよ」
「笑えねぇからやめてくれ…」
腕で顔を覆うようにして呟く跡部に、3人の顔から苦笑が滲み出た。
こんな姿の彼も珍しいだろう。
「要は馴れやしな、何度も乗ってたらじきに酔わんようになるって。
 ほな、今日は戻ろか」
「あ、じゃあ俺、今度は舵握ってみても良い?」
「ええで滝ちゃん。
 説明はさっきした通りやしな、やってみ?」
「了解!!」
元気良く答えて急ぎ足で操舵室に行く滝を見送ってから、跡部の傍に
座り込んだ忍足がのんびりと空を見上げた。
雲も少なく、暖かい日差しが心地よい。
「ええ天気やなぁ…あ、海鳥や」
「海鳥って食えんのか?」
「宍戸……お前はなんでそう……」
「いや、なんとなく言ってみただけだって。
 それに何かあった時の非常食って考えるのもひとつの手だろ?」
「素直に魚釣ってみようとか思われへんのかいな…」
「あ。」
ポンと手を打って漸く思いついたのか宍戸が忍足の言葉に頷く。
ならば船の中に釣り道具も置いておかなくては。
そして「他にも要りそうなモンがあるかもしてねぇからな」と言うと、
宍戸は船内を探索するべく中へと入っていった。
残ったのは自分と生ける屍状態になっている跡部だけなので、甲板の上は
静かなものだ。
波の音と遠くで聞こえる海鳥の声だけを耳に瞼を下ろすと、太陽の温もりも
あってか、ついウトウトとしてしまった。
と、足の上に急に重みが走って、うっすらと目を開く。
すると視界に入ったのは蜂蜜色の髪だった。
「ちょお……それはお前、ちょっと図々しスギとちゃうか?」
「うるせぇ。甲板は固ぇんだよ」
「さいでっか」
尚も波に乗り揺れる船体に眉を顰めつつ何とか我慢している跡部に笑いを
堪えつつ、素直に膝を貸し与えてやって忍足はもう一度空を見上げた。
暫くそうしていると、跡部の声が聞こえて視線を下へと向ける。
「どないしたん?」
「何考えてんだ」
「……どうやったら、跡部の船酔いが治んのかなて」
「…………。」
「はいはい、そんな怖い顔しなさんなて。
 せやけどこれからも船使おうて思ったら、いちいち船酔いなんて
 しとられへんで?」
「しょうがねぇだろ……酔うなんて思わなかったんだよ」
目を閉じて深呼吸するように深く息を吐く跡部に、くすりと笑みを零して
忍足はその髪に手を伸ばした。
梳くように指を通す度、蜂蜜色の髪が太陽の光を受けてキラキラと輝く。
暫くそうしていて飽きたのか忍足が手を止めたところで、声がかかった。
「止めるなよ」
「ん?」
きょとんとした表情で見下ろせば、目を閉じたままの跡部がぽつりと漏らす。
「お前の手、気持ち良いんだ。
 このまま寝れそうだから、止めるな」
「………はいはい」
どこまで俺様なんだと考えたが言うのも今更だと思い至る。
仕方無く伸ばした指先に、また蜂蜜色の髪が絡みついた。








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